大十字さんとのデー……もとい、彼に案内をさせてのアーカム散策。

 姫さんとのアーカムの散歩。つーか、ぶっちゃけデート。

 それは、最近の私にとって、

 それは、最近の俺にとって、

 何よりも大切で大事で、他の全てを投げ捨ててでも優先されるべきものであり、仮令何者であっても侵す事の許されない神聖な時間。

 なのに……。



 大十字九郎。
 彼との出会いは最悪だった。
 ぶつかられ、大変な苦労をして購入したアイスクリームを落とされ。
 文句を言って言われて、挙句の果てには公衆の面前で声を張り上げての大喧嘩。
 本当に最悪な出会い方。
 でも……にも関わらず。
 何時の間にか、気が付けば。
 私は微笑んでいた。彼に非難をぶつけつつ、それでも微笑んでいた。楽しくて仕方が無いといった風情で。
 そして彼も。大十字さんも。
 口では不平不満をブチブチと零してはいたが、目は穏やかな優しい笑みを湛えていた。
 大声で怒りの言葉を吐き出しながら、けれどもやっぱり笑っていた。
 何時の間にか、気が付けば。
 喧々諤々とした喧嘩は和やかな談笑へと変わっていた。



 姫さんこと覇道瑠璃。
 彼女との出会いは最悪だった。
 前方不注意でぶつかってしまい、彼女の手からアイスを落とさせてしまったのだ。
 その結果、睨まれるわ文句を言われるわ。
 無論、悪いのは俺である。非は完全にこちらにある。それはちゃんと理解している。
 しかし、だ。あまりにも彼女の要求がエスカレートしていった為、俺もついついヒートアップしてしまった。声を大にして反論してしまった。公衆の面前での大喧嘩。
 本当に最悪な出会い方だ。
 でも……にも関わらず。
 何時の間にか、気が付けば。
 俺は笑っていた。彼女に怒声を叩き付けつつ、それでも笑っていた。楽しくて仕方が無いといった風情で。
 そして彼女も。姫さんも。
 容赦のない悪口雑言を吐き出していやがったが、目は穏やかな優しい笑みを湛えていた。
 プクッと頬を膨らませたりもしたが、間違いなく笑っていた。
 何時の間にか、気が付けば。
 俺たちは意気投合していて、お互いに名前なんか教えあっていたりした。

 普通なら話はこれで終わり。
 どんなに会話が盛り上がろうと、気が合おうと、所詮は行きずり。赤の他人。
 しかも、なんと彼女はアーカムシティを牛耳る覇道財閥の御令嬢ときた。
 俺みたいな赤貧大学生とは遠い世界の人物である。
 だから、普通ならここで終わり。手を振り合ってサヨナラしたら、もう二度と会うことも無い。後ろ髪引かれても勿体なく思っても、それが現実それが普通。
 けれど、俺たちはそうはならなかった。俺たちには、幸運なことに共通点が存在していたのだ。
 ミスカトニック大学という共通点が。



 私は経営学、大十字さんは考古学。専攻は全く違う。
 しかし、どちらもミスカトニック大学である事には変わりはない。
 その事が分かった時、私は大いに驚き、そして激しく喜んだ。恥ずかしいことに、大十字さんが苦笑してしまう程に感情を顕にしてしまった。
 この人との、大十字さんとの縁がまだまだ繋がっている事が、これからも紡いでいけるであろう事が素直に嬉しかった。「初対面の相手なのにどうしてそこまで?」と自分で自分に突っ込みたくなる程に嬉しかった。

 縁。私と大十字さんは確かに縁があるのだろう。
 以来、構内に於いてもちょくちょく顔を合わせる事となるのだから。意図せずに、偶然に、一日の間に何度も何度も。『縁は異なもの味なもの』とはよく言ったものである。
 お互いに好感を抱き、憎からず思っている者同士。待ち合わせて一緒に食事をしたり、街を歩いたりするようになるまでに時間は然して掛からなかった。
 そして、『ときどき』だった一緒の食事やデー……散歩が、『毎日の』『日課』になるまでにも大した日数を要さなかった。
 気が付けば彼のことばかり考えている。
 暇さえあれば、無意識のうちに、大十字さんの顔を、声を思い浮かべてしまっている。
 そんな事態に陥ってすらいた私であるから、大十字さんとの一時が自分にとっての『特別』になるまで、然程月日を必要としなかった。

 特別。そう、特別なのだ。
 大十字さんと共に過ごす時間は、私にとっては本当に特別なのである。
 覇道の令嬢ではなく、ただの瑠璃でいられる時間。
 甘くて、あたたかくて、ちょっぴり切ない時間。

 ――大十字さんの為だけに服を選んで、大十字さんの為だけに髪を整えて、大十字さんの為だけに軽くメイクをして迎える時間――

 今の私はこの時間の為だけに生きている。そう断言出来てしまう程の掛け替えのない瞬間。

 何よりも大切で大事で、他の全てを投げ捨ててでも優先されるべきものであり、仮令何者であっても侵す事の許されない神聖な時間。

 なのに……。




『るりくろ』




「なあ、姫さん?」

「なんです、大十字さん?」

「あれ、なんだと思う?」

「巨大なドラム缶……でしょうか?」

 呆気に取られた顔で淡々と会話を交わす俺と姫さん。
 俺たちの大切で大事で――以下略――な時間は、予想外な物体に因って木っ端微塵に砕かれてしまった。
 毎度の様に執事さんを出し抜いて街に繰り出してみれば、出迎えてくれたのは阿鼻叫喚。悲鳴に怒声、派手な爆破音に破壊音。機械の駆動音。トドメに、場にそぐわないギターの音。

『ふわーっはははははははははっ! どうであるか、これぞ我輩のスーパーウェスト無敵ロボ28號DX改初出お披露目バージョンであぁぁる! 皆様、はじめまして。貴方の隣の愛すべしお茶目な大天才、ドクタァァァァァァァ・ウェェェェストォォォォォ、である。以後お見知りおきを』

『エルザロボ。はじめましてだロボ』

 ついでに響く自己紹介の声。
 あのドでかいドラム缶に乗ってるのは何気に律儀な奴らっぽい。
 甚だしくアレなオーラが漂っていたりするし、お近付きになりたくない雰囲気はプンプンさせていたりするが。

「お、おのれーっ! やりたい放題、好き勝手に破壊活動に勤しみおって! 治安警察を舐めるなよ、絶対に逮捕してやるぅぅっ!」

「おいおい、危ないよ、ストーン君。落ち着きなさいって。あんなデカブツ相手に拳銃一丁でどうしようって言うのよ」

 俺たちが呆気に取られている目の前で、あの円柱に果敢に立ち向かっていく治安警察の皆々様。
 尤も、全く効いちゃいないみたいだったが。
 無理もない。あんな常識外れの奇天烈物体、暴徒鎮圧用等の人間相手の武装しか持っていない警察にどうこう出来るはずもない。軍隊でも連れてこない事にはお話にもならないだろう。

『うひゃーひゃひゃひゃ! むだむだ、無駄であーる! そんなモノでこのスーパーウェスト無敵(略)の猛進撃を止められるワケがないのである。我輩の華麗な舞を止めたいのであるならば、大人しくこちらの要求を無条件に受け入れるがよろし』

『よーきゅーを受け入れるロボーっ!』

「要求、だと?」

 巨大ロボットから発せられたその単語に周囲が一斉にざわつく。
 こんな大掛かりなマネをした上での要求だ。きっと生半可なモノではないだろう。
 俺も警官達も固唾を呑んでウェストの次の言葉を待った。

『我輩の要求は、アーカムシティ中のカラオケを取り扱っている全店にて、我輩作詞作曲の至極の名曲『愛しのエルザ』を配信することであーる。さあ、そこな凡人共も声を合わせて歌うのである。まいふぇあれでぃ〜、えぇるざぁ〜♪』

 ……口あんぐり。
 今の状況を一言で表すとこうなる。
 なんつーか、恐ろしさすら感じる程の激しくくだらない要求だった。生半可ではない事は確かだったが、いろんな意味で。
 人間、ツッコミ所の多すぎるモノに出会った場合、えてして却って何も言えなくなるものだ。今回などは正にソレ。痛すぎる沈黙が辺りを覆う。妙に気まずい。重い。
 そんな嫌な静けさの中、姫さんがポツリと呟いた。

「許せません」

 拳をギュッと握り締め、肩を震わせて、怒りに燃える瞳をドラム缶に向けて言葉を紡いでいく。

「許せません。絶対に許せません。カラオケですって? 『愛しのエルザ』ですって? よくも、よくもその様なふざけた理由でこんな騒動をっ!」

 姫さんの身体から強烈な怒気が溢れ出た。思わず平伏して無条件降伏したくなる程の膨大な怒気が。
 キレてる。完璧にキレてる。はっきり言って怖い。
 ……まあ、姫さんの気持ちは分かるけれど。
 此処アーカムは実質覇道財閥が支配している街だ。
 覇道財閥によって支えられ、覇道財閥によって動かされ、覇道財閥によって護られている街。それがアーカム。
 乱暴な言い方をしてしまえば、アーカムは覇道の所有物なのである。
 その己の所有物を、眼前で理不尽かつ奇天烈な理由により破壊され冒涜されているのだ。怒りを覚えて当然だった。姫さんも覇道に名を連ねる者であるのだから。
 今この瞬間、姫さんは瑠璃ではなく、アーカムの支配者である覇道であった。

「せっかくの、せっかくの大十字さんとのデートですのにぃ! それを妨害した罪、万死に値しますわよ!」

「――って、そういう理由で怒ってるのかよ!?」

 前言撤回。覇道もへったくれもない、すっごく個人的な恨みだった。俺のモノローグ、台無し。

「だって、悔しいじゃないですか。大十字さんとの時間は誰にも邪魔されたくありませんのに……こんなくだらない事で……。大十字さんは違うのですか?」

 微かに口を尖らせて、拗ねた口調で姫さんが尋ねてきた。

「いや、違わないさ。もちろん俺だって姫さんと同じ気持ちだよ」

 やや苦笑して返す。

「それはそうと、姫さん。話は変わるんだけどさ」

「……はい? なんでしょう?」

 唐突に話題を転換され、姫さんがキョトンとした顔になる。

「俺との時間、姫さんもやっぱりデートだと認識してたんだな。いつもいつも散歩とか社会見学とかそういう言い方ばかりで、絶対に『デート』という単語は口にしようとしなかったからさ、実は少しだけ不安だったりしたんだよな。『デートだと思ってるのは俺だけなのか?』ってね。いやー、よかったよかった。安心したよ、ホント」

「え? ええっ? ――っ!? い、いえ、そ、そそそ、それは、その……あの……で、デートというのは、こ、こ、言葉の綾でして……で、ですから、つまり、その……だから……あ、あうぅ」

 俺が些か意地の悪い笑みを浮かべて言うと、姫さんは思いっきり言葉をどもらせ、耳まで真っ赤に染めて俯いてしまう。
 ――ああ、やっぱ姫さんって可愛いよなぁ。
 今更ながら本気でそう思う。
 モジモジしている姫さんを見ていると、ギューッと抱き締めたい欲求が心の奥底からムラムラと湧き上がってきた。
 否、湧き上がるだけではなく、実際に手を伸ばしていた。衝動の赴くままに。

 ――が、その手は姫さんに届かなかった。もう少し、という所で止められた。
 決して姫さんに抗われたワケではない。嫌がられたワケではない。現に、姫さんは恥ずかしがりながらも期待に満ちた目を向けていたし。
 俺の手を止めたモノ、それは視線だった。四方八方からの無遠慮な視線。警官からの、野次馬からの。そして、巨大ロボットからの。

『あー、そこそこ。我輩たちをシカトして、なーにを二人の花園を構築しているであるか。しかもしかも、公衆の面前で破廉恥な行為に及ぼうなど不潔も不潔、大不潔である! 貴様には道徳心というものが無いのであるか!? 少しは他者の迷惑というものを考慮しなければいかんであるぞ、若人よ!』

『羞恥心に欠けてるロボ』

「てめぇらが言うなぁぁ!」

 ついつい周囲を忘れてラブコメ的世界に浸ってしまった恥ずかしさを誤魔化す様に大声で言い返す。いいところで妨害された悔しさもちょっとだけ加味して。

「全くです! 道徳心や羞恥心に欠けてるのはあなたがたの方ではないですか!」

 ロボットを睨み付けて姫さんも叫んだ。おそらく、俺と同じ様な気持ちを胸に抱きつつ。

『黙れである、こーの桃色カップルが! 貴様らのような風紀を乱す輩は、我輩が学級委員に代わって粛清を……』

「なんだよ?」

 口上を途中で止めたウェストに、俺は訝しげに突っ込んだ。

『むむ? おや? そこな美少女……確かどこかで……ぬぬぬ?』

『どうしたロボ? 思い出せないロボ? だったら、そういう時はこうすればいいロボ』 

『え、エルザ? な、何故にトンファーを構えているである……ふぎぃにゅわぁぁぁぁぁっ!』

「な、なにやってんだろうな、中で?」

「さ、さあ? なにをしてるのでしょうね」

 表現し難い、異様に鈍い音がスピーカーから聞こえてきたのだが。

『う、うがぬぐぎが。お、おおっ! 思い出したであーる!』

『壊れた時は斜め45度がベストロボ』

 ……ホントに何してやがった、お前ら。特にエルザ。
 惨状が容易に想像できてしまい、俺たちの顔が見事に引き攣る。
 だが、次の瞬間、俺の顔は違う意味で引き攣らされた。

『そこな娘、覇道瑠璃ではないか!』

「な、なんだと!?」

 アイツ、どうして姫さんの名前を!?
 実は知り合いだったとかいうオチか?
 そう思い姫さんの方を窺うと、その視線に気付いた彼女は即座に首を振って否定した。

『ふっふっふ。この、大! 天! 才! ドクター・ウェストを舐めてはいかんのであーる。アーカムシティの要人の顔と名前は全て、すーべーて、脳にインプットしているのである。先ほどはど忘れというお茶目さんを披露してしまったであるが、今はバッチリ記憶完璧である。――ふっ。我ながら、自分の優れすぎた記憶力が怖いであるな。この胸を衝く恐れも才能ゆえか。我輩のような規格外の大天才を創り出してしまうとは……神とは誠に残酷である。だが! だがしかし! このドクター・ウェスト! どんな苦難が待ち受けていようとも、我輩は、我輩は決して挫けず跪かず前へと前へとただひたすらに!』

 なんて傍迷惑に無駄に律儀で勤勉な奴だ。
 ……つーか、取り敢えず、いい加減誰か止めろ、この○○○○を。

『博士、そろそろ止まれロボ』

『っ!? ぬぎゃあああぁぁぁぁっ!』

 なんだかよく分からんが、ナイスエルザ。

『ぐ、ぐふっ! げふっ! ま、まあ、それはさておき閑話休題。――覇道瑠璃、であるか。ふむ。我輩の崇高な要求を押し通す為の人質にはうってつけの人物であるな』

「――なっ!?」

 電波な妄想をダラダラと口走ってたかと思えば、突然なにふざけた事をほざきやがるか、こいつは!?

「だ、大十字さん」

「心配すんな。姫さんは俺が護る」

 反射的に姫さんを背中に庇う。

『些かポリシーだの美意識だのに反したりするような気がしたりしなかったりと微妙だったりするであるが――我輩の野望達成の為、有効利用されろであーる! エルザ! 捕まえるである!』

『了解ロボ! 捕獲用システム、作動!』

『ぽちっとな』

 破壊ロボの前面の一部が観音扉式にパカッと開く。そして、そこから巨大な『何か』が俺たちの方へと伸ばされてきた。

「うわっ! あ、あぶねっ!」

「きゃあっ!」

 咄嗟に姫さんを腕の中に抱き寄せてそいつを躱す。
 向かってきたのは『手』。幾つもの節を持ったアームの最端に取り付けられた、5本の指を持った『手』。言うなれば、マジックハンドの大親分だった。

『むっ。邪魔をするなである、若造。無駄な抵抗はやめて大人しく覇道瑠璃を渡せである』

「ざけんなっ! てめぇらみたいな○○○○に大事な姫さんを渡してたまるか!」

「だ、大十字さん……だ、大事なって……」

「え? あ、あはは。つ、つい」

 頬をポッと染める姫さん。それにつられて俺も赤面してしまう。

『……エルザ! 威嚇射撃である! この期に及んで公序良俗を乱さんとする不埒な桃色カップルに正義の鉄槌を喰らわしてやるのであーる! レッツシューティング! キルユー! キルユー!』

「ちょーっと待てやぁ! 誰が正義だ、誰が!? つーか、威嚇じゃねーのかよ!? 何故に殺る気に満ち溢れてやがりますか、てめぇらは!?」

『心配するなロボ。威嚇とは名ばかりロボ。最初っから当てる気満々ロボ』

「どこをどうすれば『心配するな』なんてセリフが出てくるんだぁ!?」

『問答無用ロボ。ファイヤ!』

 エルザの声と共に、弾丸が雨のように降り注がれてくる。
 逃げる間もなく俺の近くに次々と着弾。爆音。轟音。

「きゃあああああっ!」

「だあああぁぁぁっ! シャレになってねぇぇぇぇ!」

 流れ弾が付近の建物を破壊し、停めてある警察の車両を吹き飛ばす。
 今までどことなく他人事のような顔で見物していた野次馬が蜘蛛の子を散らすが如く逃げ出した。
 同様に半ば傍観者と化していた警官たちが、我に返るや否や拳銃やライフル等を発砲して応戦したりしているが全く効果なし。ウェストのロボットの装甲には傷一つ付かなかった。

「どちくしょーっ! こんなのどうしろって……っ!?」

 破壊ロボの放った銃弾。その一つが俺の間近に、本当にスレスレの場所に着弾した。

「ぐわぁぁぁっ!」

「きゃああぁっ!」

 熱。爆風。衝撃。
 それらをまともに浴びせられ、姫さんを抱き締めたまま、俺の身体が宙を舞う。
 刹那の浮遊感。妙にリアルに脳へと届けられる近付いてくる地面の映像。
 なんとか身を捩り、姫さんを強く抱え込み、

「っがは!」

 背中から、コンクリートへと激しく叩き付けられた。
 頭を打つ事だけは免れたが、それでも一瞬意識が飛んだ。姫さんへと回していた腕からスッと力が抜ける。

「だ、大十字さん!? 大丈夫ですか!? 大十字さん!?」

「……あ、ああ。俺は……へ、平気……っ!? 姫さん、逃げろ!」

「え!?」

『遅い! もらったロボ!』

「――っ!? きゃあっ! いやああぁぁ!」

 僅かな隙を見逃さず、エルザが姫さんを捕らえた。
 巨大なマジックハンドに拘束され、姫さんの身体が持ち上げられていく。

「く、くそっ! 姫さん!」

 叫びながら無理矢理に身体を起こす。
 膝はガクガク、背中には激痛、頭はまだボーっとしていた。だが、そんなもんに構っていられない。
 俺は意地だけで強引に立ち上がる。

「放せ! 汚ねぇ手で俺の姫さんにさわんじゃねぇ! 放しやがれえええぇぇぇ!」

 叫んだ。喉が裂けんばかりに咆哮した。
 しかし、

『お・ろ・か・も・の♪ 放せと言われて放すぶわぁかが何処に居るであるか! 覇道瑠璃は我輩が確かに頂いたである。負け犬は負け犬らしく大人しく無様に地に這い蹲っているであーる! ひゃーっはっはっは!』

 そんな俺をドクター・ウェストは軽く受け流す。

『安心したまえ。覇道瑠璃は、我輩が人質として有効に活用してしんぜよう。そしてそして、その後は我輩の洗脳システムの実験台として、最期の最期まできっっっちりと使い尽くしてくれる。だから、さっさと潔く諦めるが吉であるぞ』

 諦めろ、だと?
 ざけんな。ざけんなよ。
 そんな事、出来るワケねぇだろうが。
 姫さんが捕らえられた事で、無闇に発砲できなくなった警官達。
 発砲できたところで全く通用しない武装。
 相手はでかくて頑丈で、加えて今は人質付き。
 こちらは脆くて弱くて、加えて打つ手無し。
 諦めるしかない。そう思っても仕方がない状況ではある。
 けれど、それでも。
 諦められるワケ、ねぇだろうが。
 砕けそうなほどに歯を噛み締めて、破壊ロボへと鋭い眼光を向ける。

『許しておくれ、瑠璃ちゅあん。貴様に恨みは無いが……ま、覇道だったのが悪いのであるよ。覇道の家に生を受けた己の運の悪さを嘆いてくれである』

 怯える事無く凛とした態度を保って睨み付ける姫さんを、小ばかにする様にウェストが嘲笑した。
 ウェストにしてみれば大した意味を持たない言葉であろう。単に勢いから出たセリフであろう。
 だけど。
 だけど、俺には、強く響いた。臓腑を抉られた。

「……いい加減に……いい加減にしろよ。
 まだ、まだ、苦しみを強要するのか?
 あれだけ辛い思いをしてきたのに。
 悲しんできたのに。
 傷ついてきたのに。
 まだ、姫さんは、覇道は、理不尽な痛みから解放されないのか?
 いい加減にしろよ。マジにいい加減にしやがれよ」

 無意識に口から出てくる怒り。嘆き。
 俺は知らない、思い当たる節も無い。
 辛い思い? 悲しんできた? 傷ついてきた?
 知らない。そんなこと知らない。そんな姫さんの姿など俺は知らない。
 知らない? 本当にそうか?
 分からない。全くもってワケが分からない。頭が混乱している。
 だが、俺の怒りは、嘆きは治まらない。否、それどころかどんどん膨れ上がっていく。
 俺の中から俺の知らないはずの『想い』を無理矢理に引き出しながら、際限なく膨れ上がっていく。

「そんなこと、そんな不条理、許せねぇだろ。許せるワケねぇだろ」

 ま、そうだな。その通りだ。許しちゃいけねぇよな、んなこと。
 自分自身が発する言葉に戸惑いつつ、それでも納得し、同意し、受け入れた。
 俺の知らない俺を、俺の知らない大十字九郎の想いを受け止めた。
 許しちゃいけねぇよな。認めちゃいけねぇよな。絶対に、さ。なあ、そうだろ。
 真正面から全てを受け止めた。否定せずに、あるがままに全てを。

「……ふぅ」

 少し、落ち着いた。
 頭の中は相変わらず怒りでグチャグチャだし、胸は嘆きで引き裂かれそうだ。
 でも、少し、落ち着いた。冷静に思考できるようにはなった。
 ――さてと、それで、だ。
 認められない、許せない。そいつは構わない。俺も同じ気持ちだ。
 問題は手段。
 どうする? どうやってあのデカブツをぶっ壊して姫さんを助け出す?
 残念な事に、今の俺には有効と思える手段は全く……

「なっ!?」

 無い。そう思った、否、思おうとした矢先だった。

 ――我が名を喚べ、主
   我が名を唱えよ、主――

 頭の中に言葉が響いた。
 知らない声。覚えの無い声。
 だけど、よく識っている声。

 ――然れば、妾、無慈悲な氷擁を以って、汝の愾を討ち払わん――

 そうだ。俺はこいつを識っている。
 ならば、何の躊躇も必要ない。

「風に乗りて来たれ」

 左腕を前に突き出した。甲には見知らぬ文様が、手の内には輝きが現れる。
 その様を眺めながら、俺は素直に、導かれるように、思い浮かぶがままに名を呼んだ。

「イタクァ!」

 顕現する。見惚れんばかりの光沢を誇る銀色の暴力。回転式拳銃。
 迷わず引鉄を引く。迸る6発の轟音。
 撃つと同時に、俺は走り出した。

『な、なんであるか? 一人でブツブツ喋っていたかと思えばいきなり発砲? よく分からんであるが、拳銃などがこのスーパーウェスト無敵……な、なにぃ!?』

 イタクァから放たれた弾丸は銀の尾を描いて縦横無尽に疾駆し、姫さんを捕らえているマジックハンドの指を正確に貫いていった。粉砕していった。無論、姫さんには小さな掠り傷すら負わせずに。

「え? ええ? きゃあっ!」

 支えを失い落下する姫さん。
 その下には、もちろん、

「よっと。へへ、ナイスキャッチだな」

 待ち構えていた俺が居た。

「だ、大十字さん」

「お待たせ、姫さん」

「あ、ああ、ぁ、あ……だ、大十字、さん。大十字さん、大十字さん大十字さん、大十字さん! 大十字さん! 大十字さーん!」

 解放された安堵からか、俺の腕の中に納まって気が抜けたのか、姫さんは瞳から涙をポロポロポロポロと零しだした。
 捕らえられている間も毅然とした態度を崩さず、泣き言一つ上げなかった姫さんが、俺の首にしがみ付いてポロポロポロポロと。

「もう大丈夫。もう大丈夫だよ」

 姫さんをギュッと抱き締める。強く強く。姫さんの無事を実感し、不覚にも俺もちょっとだけ目が潤んだ。

『な、ななななな!? なにゆえぇぇぇ!?』

『し、信じられないロボ』

 姫さんの体温を堪能している俺の耳に、無性に聞き苦しい声が届けられた。
 ああ、そういや、まだやる事が残ってたっけな。
 こいつを徹底的に破壊してやらなきゃいけないんだった。あまりにも些細な事だからマジに忘れてたぜ。

「悪ィ、姫さん。ちーっとだけ待っててくれ。今、こいつを片付けちまうからさ」

 そう言って、お姫様抱っこの体勢になっていた姫さんをそっと地面に降ろす。
 さて、どうしてくれようか。
 ちょっとだけ考える。
 すると、

 ――我が名を喚べ、主
   我が名を唱えよ、主――

 先ほど同様に頭の中に言葉が響いた。
 これもまた知らない声。覚えの無い声。
 だけど、やっぱりよく識っている声。

 ――然れば、妾、慈悲深き業炎を以って、汝の愾を焼き崩さん――

 ああ、俺はこいつも識っている。
 こいつも俺の……。
 だったら、ここは使ってやらないとな。

「フォマルハウトより来たれ」

 俺は右腕を突き出した。甲には見知らぬ文様が、手の内には輝きが現れる。
 その様を眺めながら、俺は素直に、導かれるように、思い浮かぶがままに名を呼んだ。

「クトゥグア!」

 顕現する。黒と紅を基調とした純粋な破壊。自動式拳銃。
 迷わず引鉄を引く。フルオートで放たれる断罪の炎。

『ぬ!? ぬわわわわわ!? ぬわにいいいいいいいいいいいいいいい!?』

『ロボ!? きゃ、きゃあああああああああああああああああ!』

 破壊ロボの装甲を撃ち抜き、砕き、蹂躙していく真紅の弾丸。
 轟音を響かせ、炎を舞い上がらせ、一片の容赦もなく葬り去っていく。

『ぎ、ぎやあああああぁぁぁぁぁぁ! そ、そんなぶぅわかなあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

『ロボーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?』

 我が物顔で跋扈していた破壊ロボは、完膚なきまでに貪り尽くされ、焼き尽くされ。
 アーカムの街に、爆破と極火の華を咲き乱れさせた。

 これが、後にアーカム名物とまで呼ばれる事となる『ウェスト花火』の記念すべき第一号であった。



○   ○   ○



 巻き上がる炎と爆煙。
 それを眺めながら、銀髪の少女が膨れ面で一人ごちた。

「まったく、断片如きが妾を差し置いて抜け駆けしおってからに。彼奴等、よっぽど九郎の事を気に入っておるのだな。……あの男、いったいどの様にクトゥグァとイタクァを誑かしたのだ? 一度、本気でジックリと訊いてみたいものだ」

 少女の口は止まらない。次々と文句が出てくる。

「せっかくの、せっかくの好機であったのに。劇的な再会を演出できる好機であったのにぃ! ストレートに素直に顔を出してもよいのだが、どうせならもっとドラマチックに感動的に運命的に出会いたいではないか! なのに! なのにぃ! 断片何ぞに先を越されるなんて! 不覚! まったくもって不覚だぁ!」

 悔しげに地団駄を踏む。踏みまくる。地面がひび割れて陥没する程に踏み踏み踏み。
 暫しの間、ヒステリックにジタバタと。
 しかし、やがてそれにも厭きたのか、少女は唐突に足をピタッと止めた。

「……だが……ま、よいか」

 そして、小さく苦笑を浮かべる。

「好機は、まだまだいくらでもやって来るだろうからな」

 見たところ、九郎は相変わらずトラブルを招き寄せる性質のようだ。
 しかも、あのウェストとの関わりすら持ってしまっている。
 少女の望むシチュエーションなど、これから掃いて捨てるほどに、過剰供給なほどに発生するに違いない。
 なら、焦ることはない。
 その時をゆっくりと待てばよい。

「明日も明後日もその後も、未来は何処までも何処までも繋がっているのだから」

 騒動の現場へと視線を向けながら、銀髪の少女は口元に柔らかな笑みを湛えた。
 穏やかに、楽しげに。



○   ○   ○



「やれやれ。これにて一件落着っと」

「お疲れ様でした、大十字さん」

 息を吐き出しながら肩を回す俺に、姫さんが笑顔で労いの言葉を掛けてくる。

「ところで、大十字さん。その……それは一体?」

 俺の両手の甲に焼き付けられた刻印をマジマジと見詰め、不思議そうな顔で姫さんが尋ねてきた。

「これかい? こいつは……」

 こいつは……何なんだろうな?
 正直、俺も未だによく理解していない。つーか、ぶっちゃけサッパリだったりする。
 でも、これだけは分かる。

「俺の仲間で、相棒で、戦友さ。なっ、そうだろ、お前ら」

 姫さんに答えながら、俺は刻印へと微笑み掛けた。

「……むすー」

「ん?」

 なんだろう? 姫さん、俺の両手を睨んでる。言葉通りの、ムスッとした、唇を尖らせた拗ねた表情で。

「ひ、姫さん? どうかした?」

「え? ――っ!? な、なんでも、なんでもありませんわ!」

 俺が問うと、姫さんはハッとした顔になって、ブンブンと首を左右に振った。

「そ、そうかい? なら、いいんだけど」

 姫さん、まるでヤキモチを妬いてるみたいな雰囲気だったけど。
 ――まさか、な。いくらなんでも拳銃相手に嫉妬したりはしないだろう。……たぶん。

「それにしても、今日は散々な日になっちまったよなぁ。ホント、酷い目に遭ったぜ」

 場の空気を変える様に、俺は露骨に疲れた表情を浮かべ話題を転換させた。
 ややオーバーアクション気味に肩を竦めて愚痴る。

「そうですね、確かに酷い目に遭いました。……尤も……悪い事ばかりでもありませんでしたけど。大十字さんに『俺の姫さん』と言っていただけましたし、お姫様抱っこも……」

「え? なんだって? 悪ィ、よく聞こえなかった」

 ボソボソとしたか細い声で零す姫さんに、俺はそう聞き返した。

「い、いえ! ただのつまらない独り言です! き、気にしないで下さいまし!」

「――?」

 なんだかよく分からんが、姫さんがそう言うのならきっとそうなんだろう。

「……ま、いいか」

 真っ赤な顔で焦りまくった態度でワタワタしているのを見るに、あまり下手に突っ込んではいけない気もするし。
 触らぬ神に何とやら。こういう場合はそっとしておくに限る。
 従って、俺は無理に藪を突付く事はせず、無難な内容で姫さんに話し掛けた。

「んじゃ、姫さん。そろそろ帰ろっか。送るよ」

「えっ? 帰る、のですか?」

 俺のその提案に、姫さんは否定的な態度を見せた。

「大十字さん、何処かお身体が辛かったりするのですか?」

「へ? うんにゃ。別にそんなことはないけど。受けたダメージも抜け切ってるし。多少疲れちゃいるけど、それも大したことは無いし」

 姫さんの問いに、俺は怪訝な顔をしつつ素直に答える。

「なら、どうして帰るだなんて言い出すのですか? まだ日は高いですよ」

「そう、だけどさ。でも、今日はもう姫さんは屋敷に帰ってゆっくりと休んだ方がいいと思うんだ。そりゃあ、俺だってデートはしたいよ、正直に言えばね。だけど、姫さんは怖い目にも遭ったわけだし、仮令本人が意識してなくても、やっぱり精神的に小さくない負担を受けてるんじゃないかと思う。……だからさ、無理をせずに、今日は大人しく静養した方がいいって」

 軽く睨んでくる姫さんの言外の意を汲み取りつつ、俺は優しく静かに諭す。
 対して、それへの姫さんの回答は「ハァ」という深い深いため息だった。

「大十字さん、ほんっとーーーに女心を理解してませんのね」

「は、はい? おんなごころ?」

 予想外の単語に目をパチクリさせてしまう。

「怖い思いをしたからこそ……貴方の……大十字さんの傍にいたいのではありませんか」

 俺に身を摺り寄せて、姫さんが熱く囁く。

「わたくし、まだ、帰りたくありませんわ。まだ、帰さないで下さいまし」

 爪先立ちをし、俺の耳元で甘く囁いた。
 この人は、時々こんな卑怯な事を言う。
 俺の脳を蕩けさせるような態度を見せる。
 この場で飛び掛ってしまいたくなる衝動に襲われた。
 全ての抗いを捨てて、姫さんに浸かりきってしまいたくなる。
 しかし、アッサリと敗北を認めてしまうのもなんとなく悔しい。

「お、おいおい、何気に大胆な発言だな、姫さん。そんなこと言うと、『はじめてのむだんがいはく』をお勉強させちまうぞ」

 なので、俺は冗談めかした物言いで必死に抵抗してみた。姫さんの放つ清楚な色香にクラクラしながら。
 それに対し、姫さんは何も言い返さない。
 ただ、上目遣いで俺を見上げ、『望むところですわよ』と言わんばかりの挑発的で蠱惑的な笑みを浮かべるのみ。
 ズルイ。姫さんは本当にズルイ。ズル過ぎる。
 俺がその顔に弱いことを重々承知の上でそんな表情をしてくれやがる。
 この人は俺をどこまで虜にすれば気が済むのだろう。
 どこまで俺を嵌めれば、絡め取れば気が済むのだろう。どれだけ惚れさせれば満足するのだろう。
 敵わない。
 参った。
 負けた。
 白旗だ。
 無条件降伏。

「うふふ。では、大十字さん、行きましょうか?」

「あ、ああ。そうだな」

 姫さんの『対大十字九郎限定』の甘い権謀術数に、俺は心地よい恐れを抱くのだった。
 既にどう足掻いても抜け出せないまでに姫さんに囚われ、篭絡されてしまっている事を、喜悦と共に強く深く自覚しつつ。



○   ○   ○



 ――ああ、そうそう。最後に一つ余談を。
 馬に蹴られた……もとい、クトゥグアによって派手に吹っ飛ばされた二人がどうなったかというと……

「お、おぉのれ、おのれぇ! よーくもやってくれたであるなぁぁ! 次は、次はずえええったいに負けないであるぞ! 覚えているがいい、我が宿命のライバル的カップルの片割れよ! 今度はギャフンとかグゥとか色々言わせてやるであーーーる!」

「熱いモノが身体中を駆け巡ったロボ。ひょっとして、これが恋?」

 瓦礫の中でピンピンしていた。健在だった。ガッカリな事に無駄に元気だった。
 どうやら、アーカムシティが再び騒乱に包まれるのは確定事項っぽかった。

「貴様らに次なんか来ると思うな、この犯罪者! 逮捕するーーーっ! つーか、警察を無視するなーっ!」

「やれやれ、ストーン君もまだまだ若いねぇ。○○○○相手に会話を成立させようだなんて。ほーんと、若い若い」

「ネス警部! 何を傍観者に徹してるでありますかぁ! 他人事みたいに言わんで下さいぃぃっ!」

「次は、この大! 天! 才! ドクタァァァ・ウェェェェェストォォォ! が、ぎったぎたのぼろんぼろんのぐっちょぐちょのげろんげろんにしてやるであーーーる! 部屋の隅でお祈りしながらガタガタ震えて待っているである、桃色ふしだらカップル一号(仮名)! 覚悟するがよいわぁぁっ、ふひゃはははははははははははははっ!」

「この、まるで全身が炎に包まれた様な熱さが恋? いろんな所が焦げ臭いのが恋? はふぅ、恋って激しいロボ」

 訂正。
 既に騒乱の真っ只中であった。

 嗚呼、アーカムの平穏よ、何処に。





< おわり >