(3)




「――浩之!」
 先行する浩之の前に、糸の切れた操り人形のようなぎこちない鈍い動きで、それでも浩之を阻止せんと近寄ってくる12型2機と13型1機に、綾香は警告の叫びをあげつつスピードを上げた。
 浩之の左腕を掴もうと、1機の12型が手を伸ばす。
 それを浩之が軽く払いのけただけで、とすん、と相手は尻餅をついた。
「………」
 それでもモタモタと、立ち上がろうとする12型を無言で見つめ、浩之はその脇を通り過ぎる。
 それを遮ろうとして他の2体がフラフラと歩み寄ってくが、その緩慢な動きを容易にかわし、あっさりと苦悶している大志の前に辿りつく。

 ぐ、が、が、が、ぎ、っぎぎぎが、ぎぎ…

 もはや大志とは完全に別人の目で、獣のような呻きを洩らしながら、それでも唇を離さず震える指で笛を吹き鳴らす男の顔を、浩之は見つめた。
 大志の顔に二重写しに、痩せて血色の悪い黒髯の顔が浮かんだような気がした。

「…もういいだろ?」
 目玉をギョロリとこちらに向け、視線だけで男は問うてきた。
 浩之の背後からは、先程かわしたメイドロボたちがゆっくりと歩み寄ってくる。

 浩之は、むしろ静かな声で、言った。
「あんたが何者で、どういう経緯があって、そして何を目的にこんなことをしてるのか、俺は知らない。
 生前…あんたがどんな人間で、どんな人生を送り、そしてどんな想いを残して死んだのか…俺は何にも知らない。
 でも、一つだけわかることがある」

 ゆっくりと、背後のメイドロボ達が浩之に手を伸ばしてきた。
 3人がそれぞれしがみついてくる。

「あんたが今やってることは、どう考えたってロクでもないってことだ」
 浩之の両腕を12型がそれぞれ抑え、13型の腕が首に回った。
 そのままギリギリと絞めに入る。
「ちょっとなにボサッとしてんの浩之!?…こら、離れろこいつぅ」
「いいんだ綾香」
「はあ!?」
 追いついてきた綾香がまとわりついているメイドロボ達を引き剥がそうとするのを、浩之は制止した。そのことに一瞬きょとん、と眼を丸くしたものの、綾香はすぐに憤然とする。
「なんでよ!だってどー見たってピンチじゃない!一旦頚動脈を完全に極められたらあっさりコロっっていっちゃうのよコロって!ちょっと、芳晴さんもイビルさんも何か言ってやってよ!」
「うん。まあ、浩之君の言うとおりにしてみてよ」
「あたいパス」
 かく、と少し肩をこけさして、地上に降りてきた二人を綾香は納得いかない顔で見た。
 唇を噛み締め、もはや頼れるのは自分一人とばかりに綾香はツカツカと浩之に近づく。
 その時、浩之が言った。
「綾香」
「……う」
 少し困ったような顔で、喉を絞められて苦しそうで、でもいつもと変わらない顔で名前を呼ばれて、綾香は口篭もった。
 しばらく拗ねたような目でジターッと見つめ、そしてはあ、と大きなため息をつく。
「もう。なんだかよくわかんないけどわかったわよ」
「そりゃどうも」
 そんな二人のやりとりに、脂汗を浮かべた大志…にとり憑いているモノが、声を上げた。
「なんダ貴様…シニたいのカ?」
 その声も、既に大志の肉声ではない。しわがれた、苦しげな声が浩之たちに問うた。
「ナンダ?お前らハ、ナンなんだ?こいつはイマ、殺されヨウというノニ」
「死なないよ」
 芳晴が、静かに言った。
「少なくとも、浩之君は大丈夫だって自信があるようだからね。なら、大丈夫」
「よくわかんないけど…こういう時の浩之、嘘は言わないから」
 不安げに、しかし綾香も頷く。
「…ナニを…バカな…」
 浩之が、眼を閉じた。
 そして、再び眼を見開きながら、言った。
「…あんたにはわからないのか?そうなんだろうな。
 わかってるなら、こんなことするわけがないもんな。
 人も、ロボットも、何も信じていないあんたには、絶対にわからないんだろうな」

 首を絞めながら、しかしどうしてもそれ以上力を込められないでいる量産型セリオの腕に、浩之は軽く顎の先を押しつけた。
 その感触は、柔らかい。

「あんたの笛の誘惑に対抗して、立っていられないほど苦しむマルチやセリオと違って、あんたに唯々諾々と従ってるこいつらを見てさ。
 正直…俺は心のどこかで、やっぱり仕方のないことなんだって思ってた。
 ロボットなんだから仕方ないって思ってた。
 でも、そうじゃない。そうじゃないんだよ。
 だってあの娘…泣いてるじゃないか。
 ごめんなさい、って泣いてるじゃねーか。
 こいつらだって…同じ顔してるじゃねーか」

 マリナの呟きは、浩之一人しか聞いていない。
 だがそれでも、よくわからなくても、綾香にはわかった。多分、他の者たちにも。
 わからないのは、得体の知れぬこのモノだけ。
「いや…違うな。
 そんなことは、最初からわかってなくちゃいけなかったんだ。
 こいつらは、マルチとセリオの妹達なんだから。
 ほんのちょっとだけかもしれないけど、二人の想いを受け継いでいるんだから。
 そして、こいつらみんなを作った人達が…長瀬さん達が、どんな想いを込めて、こいつらを世界に送り出したかってことを、俺、忘れてた。
 …みんな、99%まで、笛に操られてるかもしれないけど。
 でも残りの1%が必死になって抗ってる。
 みんながんばってる。
 こんなことしちゃいけない、って。悪いことしちゃいけない、って」
 そっと腕を動かすと、それはあっさりと戒めから解放された。
 俯き、立ち尽くす二人のマルチの、少し埃を被った髪をそっと浩之は撫でてやった。
「よく、がんばったな。…でも、もういいよ。
 あとは、俺が、俺たちが、やるから。
 だから、もういいんだ。な?」
「……ハイ…」
 小さな呟きを後ろに、前へ一歩踏み出す。
 首にかかった腕は、いつの間にか外れていた。
 そして、もう、障害は何も無かった。
「ばかナ…ロボットなど、ただノ道具ダ。機械ニ心など、アリエない」
「そうかもな」
「ソンナモノ、全部錯覚ダ。人間のカッテな思い込みダ。機械は、プログラムされた通りにウゴク。アヤツラの心など、ただのプログラムだ」
「そうかもな。
 でも、プログラム通りに動くのが機械なら…機械にとってそれ以上正しいことが、他にあるか?」
「???」
「お前の命令に従わないのも、プログラムに従った結果だろ。
 誰かを好きになるのも。
 誰かを信じることも。
 命の価値を知ることも。
 泣きたいほどの悲しさを知ることも。
 それが全部、紛い物のプログラムだとしても、今、こいつらが感じてる気持ちは間違いなくココロさ。なら…何の問題がある?プログラム万々歳だ」
「詭弁ダ!」
「どうでもいいよ。お前の与えたプログラムより、元から入ってたプログラムが強かったってだけの話だとしても。
 大事なことは、ただ一つ」
 相手の眼前に立って、真正面から睨みつけて。
「もう、いいだろ?」
「……………」
「やめろよ。カッコ悪いよあんた。
 さっき、自分で言ってたよな。…いや、あれは、アンタじゃなくて九品仏先生自身の言葉だったかもしれないが。
 暴力で人を従わせるのは、結局は己に人を従わせるだけの才覚も器量もない、って。
 そのとおりだよ。
 あんた、自分が人の上に立つ器量がないから、そんな笛でロボットを操るしかないんだよな」
 芳晴が口をはさんだ。
「見ていて思ったよ。
 貴方は、貴方のために、貴方を護ろうとするメイドロボ達がどうなっても、少しも動揺なんてしてなかった。
 だからわかった。貴方にとって、貴方以外の全てのものは、使い捨ての道具なんだな、って。人もロボットも関係なく。
 それは、貴方が何も信じていないってことさ。何も信じていないから、そんな無情なことができるんだ」
 むしろ悲しそうに、芳晴は言った。
「だから貴方にはわからない。
 貴方が機械と蔑む、ロボットにだってわかることが、貴方にはわからない。
 何も信じず、全てのものを道具としてしか見ず。それで貴方は何を得る?」
「何もないよ」
 浩之が、頭を振りながらいった。
「あんたが必要としているのは、自分の意のままに従う…ロボットのような…道具だろ。
 あんたが仮に世界を好きなようにできるとしたら…それはどんな世界だ?
 自分の意志をもたない人形の群れ。その世界で、人形たちに傅かれ、でもあんたはやっぱり一人ぼっちだろう。
 誰もあんたを好きにならない。誰もあんたを心配しない。誰もあんたのことを思ったりはしない。
 心が無いんだからな。
 だからあんたは力で無理矢理、自分を崇めさせるしかないんだ。
 わかんないのか?想像してみろよ?できないのか?
 あんたがどんなに卑小で、醜いかってことを!?」

 うぐ……

 何も言わず、何も言い返せず、ソレは、僅かに退いた。
 だが、杖を手放そうとは、決してしない。

「…ふむ。まさしくその通りであるな」
 やや気取った、どこか傲慢さを感じさせる声がした。
「我輩が思うに、悪には悪の才能というものがあるし、また善悪に関係なく、おのずと備わった格…人間力とでも表現しようか?そのようなものがあるのだよ。
 お主は所詮、そこまでの男だ。人間力において、同志浩之とは比較にもならん」
「大志さん!?」
 大志の、左目に活き活きとした彩りがあった。暗く沈んだ右顔と、なにはともあれムダに活力溢れるいつもの大志の左顔とが、一つの顔に同居している。
「うわキモッ!」
「ワハハハハハハハ。同志イビルよ、そこはせめて『アンタはあ○ゅら男爵かっ!?』とでもツッコミ入れてくれるお約束どころであると思うのだがな」
「…こ、この人は…」
「まあ…何事にも動じないその図太さはある意味賞賛されてしかるべきかもしれん…」
 綾香と芳晴が、こめかみを指で抑えながら自分を納得させるように呟く。
「お主では世界征服など夢のまた夢。
 この世は荒野なのだよ!その荒野を征し野望を達成することができるのは、選ばれた者のみ!
 お主とは何かこう、相通じるものがあったが…やはり選ばれた者では無かったということか。
 …やはり世界の覇者となるのはこの九品仏大志と同志・和樹の二人にのみ許された野望であることだなっ!!!」
「「「「あんたら所詮同じ穴のムジナかいっ!!!」」」」
「ぐはああああっ!!?」

 どきばきめきぐしゃっ。

 浩之と綾香と芳晴とイビルの鉄拳ツッコミが、容赦なく大志の顔面に連続して食い込んだ。単にボコ殴りしてるだけとも言うが。
 そして。

 キィン!

 そのどさくさで、澄んだ音を立て、あっさりと杖が真っ二つにへし折れた。

 をををををヲをヲヲヲヲヲをヲをヲヲ……!!!!

 途端、大志の身体から一瞬、黒い霧のようなものが舞い上がった。しかしそれはすぐに、あっさりと霧散してしまう。
「あ…?」
「あれ?…ひょっとして…これで終わり?」
 あまりのあっけなさに、浩之と綾香は拍子抜け気味に、顔を見合わせた。
「…そう簡単ってわけでもなかったんだけどね」
 こっそり、芳晴は呟いた。
 結局、最後の最後で、決め手になったのは強大な魔力でも腕力でも冷厳だが現実的な判断でも、神の奇跡でもなく。
 人間力。
 それにつきた。
 単純に、力で相手を捻じ伏せたのではない。人として、相手を圧したのだ。
「…しかし…なんてーか…まあ、なんかよくわからんけど、今回の一件は、大志のバカが憑き物つきにとり憑かれたことが直接の原因なんだけど。
 …どこからどこまでがその幽霊?の仕業で、どの辺までが大志の地なのか…ちょっと、判断つかねーなー」
「……そうですね。なんか、とり憑かれてる割には大志さんそのまんまって所も多々ありましたし」
 うーん、と腕組みして唸るイビルの横で、ちょっぴり頬に一筋の汗など垂らしつつ、芳晴はあっさり気絶している大志を見下ろした。
 …見事に渦巻きナルトな目をしていた。

 な、なんてお約束な人なんだろう。

 心の内だけで、芳晴はそう呟いた。

  * * * * *

 それから二日後。
 学園は、ものの見事に事件以前の平穏さを取り戻していた。
「…なのにどうしてそんな元気ないんですか柳川先生?」
「……………」
 昼休み、軽く昼食を済ませて一人職員室に訪れていた綾香は、無言で机に突っ伏してる柳川に声をかけた。その隣ではパクパクと、弁当箱片手に旺盛な食欲を見せている貴之がいる。
 何故か、マインの姿は無かったが。
「ねー。ちょっと、返事くらいしてくれたっていいでしょ?」
「…うるさい。喋ると無駄なカロリーを消費する」
 陰々滅々とした柳川の返事に、少しだけ首を傾げてから、綾香は貴之に質問した。
「なに?どしたの?お弁当ヌキなの柳川先生?」
「ううん。ちゃんと、マインは柳川さんの分も作ってるんだけどね」
 そう言って、貴之は柳川の机の隅に鎮座しているタッパーを開けて見せた。
 中身は別に何の変哲もない。ミートボールにチーズささみ、ニラとひき肉の卵焼き、小魚と昆布の佃煮、肉そぼろを乗せた御飯と、まず申し分のない内容の弁当である。 
「ううう…あいつ、俺が肉嫌いなの知っててこんな弁当を〜〜〜〜〜〜」
「これを機会に偏食を治してみたら?」
 案外無情な一言を告げると、ごちそうさま、と貴之は手を合わせた。
「をーっほっほっほっほ!『私はアナタの忠実なる卑しく哀れなイヌでございます』って額が擦り切れるまで這いつくばって懇願すれば、アタシ手製のベジタブルサンドと交換してやってもへぶうっ!?」
 みなまで言わせず延髄蹴りでメイフィアを沈めると、柳川はいつものように床で痙攣するメイフィアからサンドイッチの包みを強奪してパクつきはじめた。
「…柳川先生って、いつか女に後ろから刺されて死ぬと思うなあたし」
「刺されたくらいで死ぬもんですかこの人が」
 首を抑えながら起き上がってきたメイフィアが、柳川の弁当箱に手を伸ばして食べ始める。
「…ふむ。まあ70点ってとこかな」
 弟子の進歩を評点しながら、メイフィアも貴之に問い掛けた。
「で、どしたの?マイン、まだ機嫌直んないの?」
「直らない、っていうか。柳川さんを無視してるというか」
 家事の手を抜くわけではない。ただ、柳川に対して口をきかない。元から口数は少ないが、更に輪をかけてひどい。
 態度も冷たい。
 食事の内容は今まであまり食卓に並ばない肉・魚類主体の内容。
 御飯のおかわりを要求すれば、しゃもじの先にちょっとだけついでよこす。
 朝の出立時、いつもネクタイを結んでくれていたのにしてくれない。
 風呂で、背中を流すように頼めば、今までは散々恥ずかしがったあげく、観念してバスタオル一枚で入ってきてくれたものだが、昨夜なんかカッパにゴム長というスタイルで、デッキブラシでゴシゴシ擦ってくれやがる。
「俺は死ぬかと思ったぞ!まだ背中ヒリヒリするし!」
「んなもん最初っからやらせなきゃいいでしょバカ」
 心底あきれてメイフィアは嘆息した。
 そんな二人を笑って見ながら、貴之は食後の茶をすすりながら、綾香に視線を向けた。
「で、何の用かな?君が俺等に一人で会いにくるなんて今まで無かったし、理由も思いつかないんだけど」
「あ、あは。…その、一昨日のことで」
 あはー、と右手を後ろ頭にやったりしながら、綾香は口調は軽く、問い掛けた。
「あたし。あの、雪音と組み合った時。
 …関節極めても、折れなかったんですよね。いや、無論、折りたかったわけじゃないですけど。
 エクストリームとか、他の大会でも、普通そういうのは禁止ですし。当たり前だけど。
 でも、格闘をやる以上、時に真剣勝負…全く妥協のない、潰しあいをやらなきゃいけない時も、あるかもしれないんですよね。そんなこと、無いにこしたことはないですけど。
 ただ、『格闘家』としては、それは致命的な甘さなのかな…って」
「甘いさ」
 一刀両断に、柳川は切って捨てる。
「俺は別に格闘家ってわけじゃないが…誰かを傷つけるつもりなら、同様のリスクを負うことを受け入れるのは当たり前だろう。格闘家ってのは、他人をブッ壊すのが仕事なんだろ。躊躇ってどうする。
 …もっとも、自分の身の安全は確保したまま、一方的に相手を傷つけるというのは、普通は虐殺というな」
 ズッ、と茶をすすって、つまらなそうに柳川は言った。
「道徳的に正しい方が、野蛮な殴り合いで勝つなんてバカなことがあるか。負ける理由があるから負けるんだ。それが甘さだというなら、そうなんだろ?そんなこと、今更聞くまでもないだろう、お前だって」
「………」
「誰かを傷つけなきゃ目的を達成できないなら、俺はそうする。
 現実は非情だ。どんなに可哀相な事情があっても、そんなものを目の前の現実は斟酌なんてしてくれない。ただ…」
 一旦言葉を切って、もう一度、茶をすする。
「ただ、それを免罪符にして、『現実的な判断』を正当化したくはないな。誰も傷つけずに目的を達成できる方が、良いに決まってるんだから。それがどんなに甘い考えでも」
 そして、綾香に向かって苦笑する。
「浩之は、人としての正道を行く。
 だからあいつは、それでいい。俺には、なかなか真似できんことだ…ごちそうさん」
 サンドイッチの包みをクシャクシャにしてゴミ箱に捨てると、柳川は黙って座る綾香に怪訝な表情をしてみせた。
「…何を嬉しそうな顔してるんだお前は?」
「え?わたし、笑ってる?」
 不思議そうに自分の両頬に手を添えながら綾香はそう言ったが、口元は明らかに綻んでいた。
「変な奴だなお前」
 そう言うと、もはや一片の興味も示さず新聞を広げた柳川を、メイフィアと貴之はジタッとした目つきで見た。
「…ははあ。どうも、ウソじゃないみたいだけど」
「こーゆーことには鈍いわね、アンタ。こんな簡単なことがわかんないかそうですか。
 貶されるよりは褒められる方が良いに決まってるでしょコンチクショー」
「…はあ?」
 本気でわかっていない柳川を残して、三人はさっさと席を立っていった。

  * * * * *

「万物が、万物たり得ているのは、その本質――イデア、内包しているイデアの情報によって成り立っている、という考え方があります」
 いつもの薄暗い倉庫、いつもの古びた応接セット。
 そのソファーに座った雪音は、対面に座るマインにそう講釈した。
「例えば石が石であるのは、『石』としてのイデアを持ち、それを外部に発信し、『これは石だ』と認識されることで石としての自分を確定させている…というものです」
「ハ、ハア…」
 完調の様子で元気よく、雪音の薀蓄は続くようであった。
「もし、仮にそのイデアに干渉し、その石としてのイデア情報を書き換えて、黄金のイデアに換えてしまったら…その石は黄金になってしまうでしょう」
「ソレハ…錬金術ヤ、魔法デハナイデスカ?」
「そうですよ。魔法とはイデアに干渉する理論、という説もあります。まあ仮にそうだとしても、魔法にできることは所詮、一時的な書き換えに過ぎませんから、その効果はまず永続はしませんが。
 それに、あまりに急激な書き換えというのは無理があります。本来、イデアというものは容易に変質させられるものではないでしょうから。ただ――それなりに時間と労力をかければ」
 つんつん、と無言で雪音の腕を指でつくマリナの意を受けて、雪音は説明を大幅にショートカットすることにした。
「例えば――所有者に不幸を招き寄せる宝石、というものがあります。いわゆる呪われた品――ここに保管されている物の大半は、そういった品物ですが。
 宝石というものは、それだけで価値があります。ですから時に、欲得で不幸の原因となることもあります。
 最初の所有者が、件の宝石を入手してまもなく病死した。そのこと自体と宝石には、何の因果関係もありませんでした。ですが、二番目の所有者が交通事故を起こして死亡した――これは単なる偶然だったのですが、そこで、周囲の目が変わります。
 人はジンクスを担ぎますから、これは偶然に過ぎないとわかっていても、どこかでこの宝石は何か不吉なものがあるのでは?という疑念を、宝石に向けるようになる。
 先程も申したように、宝石というものは欲得の渦中に巻き込まれる確率は、結構高いものです。
 そこで3度目の不幸が起こった時…まあ3度目とは限りませんが、そういった事が続けば、周囲から『この宝石は持ち主を不幸に導く呪われた品』という認識を向けられるようになります。
 そしてそのような認識を長期間に渡って向けられた宝石は、少しずつ、そのイデアを変質させてゆきます。本当に、その認識通りの力を備えるように。微弱なものでも、力は力。それは周囲に影響を及ぼし、持ち主に不幸を招き、更に「呪いの品」という認識が強固なものになり、それは宝石のイデアを更に変質させ――やがて本物の、呪われた力をもつ宝石が誕生するのです。
 説によってはこの情報の変質を、『夢を見ている』と表現することもあるようですが」
 長い前振りを終え、ようやく雪音は本題に入った。
 テーブルに置かれた、二つに折れた、件の杖を見る。
「――一応機密なので具体的なことはあまり口外できないのですが。
 この杖の所有者、仮に『G教授』としますが、この教授は70年代初期に、とある犯罪集団のトップに立っていました。――教授はロボットを使い、様々な犯罪行為を行っていたといいます」
「ロボット!?…30年以上モ前ノ話デショウ?」
「時代の先をいった驚くべき技術力を保有していたのか。それとも、商品化ということを前提とせず、精算度外視ならではの規格外品だったのか。当時最高のロボット工学者の協力があったとも聞きますが…とにかく、ソフト的にはともかくハードとしては、兵器と言って良い性能を持つロボットをその組織は所有していたのです。
 そして、この杖はG教授が配下のロボットを制御するために使っていた、高周波笛だったのです」
「………」
 黙って壊れた杖を見るマインの内心では、様々な疑問が渦を巻いていた。
 その組織はその後どうなったのか。
 G教授とやらが…この杖に憑いていた、あのゴーストなのか。
 そして、どうして、規格の違う自分たちが、いや、ロボットならば問答無用で操るような力をこの杖が持っているのか。
 そんなマインの胸中を見透かして、雪音は説明を続けた。
「何せ、人間社会の闇に潜む組織のことです。その実体がどのようなものであったかは定かではありませんが、既に壊滅していることは間違いないようです。組織内の叛乱…G教授に協力していたロボット工学者…K博士としましょうか。この方が組織に反抗するために特別に造った戦闘ロボットが存在するという話もあるのですが…詳細は不明です。
 とにかく組織は消失し、その後G教授も亡くなられたそうです。
 が、芳晴様によると、この杖に憑いていたのは幽霊などではなく、単なる念…怨念、妄執といったものらしいですね。それでも、相当に強力なものだったようです…この杖の、イデアを大幅に変質させてしまう程に」
「ソンナ事ガ…有得ル、ノデショウカ?」
 マインの質問にすぐには答えず、雪音はちらりと壁のアンティークな振り子時計を見た。
 時刻は12時47分。昼休み終了まで、それほど時間は余ってはいない。
「実際に、あるんですから仕方ありません。
 この杖はロボットを操るための笛でした。それが、やがてG教授の力の象徴であるかのように、周囲から見られたのでしょう。実際、その通りだったのですが…。
 ロボットをコントロールする笛が、いつしかロボットならば自由に操ることのできる笛へ、そしてロボットにとっては絶対的な力を持つ笛へと、歪んだ認識が強まり、イデアを変質させていったと思われます。また、G教授が強い妄執を遺したことも大きいでしょう。
 それが似たような野望を持つ九品仏先生と接触し、同調し…そして、先日のような事となったわけですね」
 雪音の、長い長い説明は、とりあえずそれで終わった。本人としてはまだまだ喋り足りないのではあるが、さほど時間も残ってはいないし、長々とした講釈は飽きられて途中から聞き流されるだけであることも、十分承知している。さんざ、マリナにそういわれたので。
「…雪音サン。マリナサン」
「はい、なんでしょう?」
「………」
 丁寧に返事をする雪音と、目線だけで何?と問うてくるマリナを見て、マインは、すぐに視線を俯かせた。
 それでも、言う。
「…先日ハ、柳川様ガ」
「私、柳川先生嫌いです」
 先日の一件の謝罪をしかけたマインを強引に遮り、雪音はピシャリと言ってのけた。
 それだけで、もうマインは何も言えなくなってしまう。
「こんな事を申し上げるのは失礼ですが、前々から私はあの方に対しては良い印象を持ち得ませんでしたが、今回の事で決定的に、キライになることにいたしました。マインさんには申訳ありませんが、この件に関しましてはこの評価が覆ることは有得ない、と断言いたしましょう」
 実も蓋もない。
 露骨な嫌悪だった。
「この際ですから私の思うところを正直に述べさせていただきます。
 マインさん、あなたは殿方を見る目がありません。
 よりにもよってあのような社会不適応者をマスターとするなど、私はあなたの倫理観念はどうなっているのか、疑いましたよ。
 こんなことならば、いっそ私がマインさんの処女おっ…!」
 こつん、と後頭部にマリナのモップが添えられるのを感じて、雪音は沈黙した。
 しばらく、そのまま沈黙して。
「イヤデスネー、ホンノ、冗談ニキマッテルジャナイデスカー」
 ガクガクと、やたらと不自然な口調でそうのたまる雪音を半眼でみながら、マリナはそっとモップを遠ざけた。
「…えー。
 気を悪くされるでしょうが、でも、私達はマインさんの選択は間違ってると思いました。
 命令ではなく、自分で自分の主人を選べるのであれば、私は…少なくともあの方だけは選びません。マリナさんも同意見ですよ。
 あの方は、マインさんが自分に寄せるほどの好意を、マインさんに持ってはいない。
 そう、思っていたからです」
 雪音の言葉が過去形であることに気づいて、マインは顔を上げた。
 二人の顔は、いつもと変わらぬ、無感情で無表情なもの。
 でも少しだけ、目が笑っていた。
「あの方は、私達と、あなたを、天秤にかけて。
 そして、あなたを選んだ。
 私達も、暴れる柳川先生の姿は一度ならず目撃して、そればかりか時々巻き込まれてますからね。あの方が暴れる時、どういう心情であるか、ある程度分析できる自信はあります。
 …決して、喜んでなんかいなかったです。
 自分のやっていることを、愚かさも、醜さも、ちゃんとわかって。受け入れて。
 その上で…あなたを選んだんだ、って。理解しました。
 口惜しいけど、私達のこれまでの判断は、間違っていたようです。個人的にはキライですけどね。
 だから…」
 ポン、と何時の間にか後ろに回っていたマリナが、そっと姉妹の肩に手を置いた。
「…アマリ、イジメナイデアゲテ」
「イジメル…!?」
 今日、初めて声を出したマリナは、少し苦笑――したような顔をして、言った。
「…今、マインサン…楽シイ?」
「………」
 ゆっくりと首を振るマインに、小さくマリナは囁いた。
「ナラ、止メマショウ」
 それだけ言って、マリナはモップを抱えて倉庫の奥へ歩いていった。
「…………」
「それにしても…そんなに男の人って良いものなのでしょうかねぇ…」
 色々と考えに沈んでいるマインに構わず、テーブルの杖の残骸を片付けながら、雪音はぼやいた。
「それにですね。…ねえマインさん?」
「ハイ?」
 少しびっくりしたような顔をするマインをチラと見て、雪音は、珍しく困ったような顔をした。
「――バタフライマスクって、どう思います?」
「……ハ?」
 いきなり何の脈絡もない話を振られても、咄嗟に対応など思いつかない。
 目を白黒させているマインに構わず、雪音は勝手に質問を続けてきた。
「バラ鞭って、好きですか?」
「…好きな方、ッテ…あまりイナイんじゃないかト…」
「うーん。ではエナメルと革、どちらがより女王様だと思います?」
「…ア、アノ、さっきカラ、何の話ヲ…?」
 なんだか背後にオドロ線を背負った雪音は、暗い顔つきで、言った。
「昨日、舞奈さんから通販頼まれたんですよ。そーいった品々を」
「ヴ」
 ひくっ、とマインの口元が引き攣るのを見ながら、雪音は、はっきりと嘆息した。
「どうも…先日の一件で女王様属性に目覚めちゃったみたいなんですよねぇ、舞奈さん」
「ソ、それは危険ですッ!もーすとでんじゃらすデス雪音さん!!」
「…とりあえず、木馬だけは絶対に手配してくださいと頼まれてるんですが」
「……ソ、ソレデ?」
「私も、命は惜しいですから」
「手配しちゃッタんですカ―――――――――――!!?」
「…今夜は俺とお前でダブルライダーだからな、なんて謎なこと言ってましたし滝ライダー・パンチ怖いですし」
「はうううううう…」 
 マインが呻きながら頭を抱えた。
「とりあえず『対策本部の張り紙』と『近所のクソガキ』、『こんなこともあろうかと開発していた新兵器』と『ウチの若い者』それに何といっても『博士』は必須ですよね」
「怪獣映画ノ見すぎデス!」
「今の舞奈さんの危険度はガ×ラにだって匹敵しますっ!!」 
「…ソレ、イマイチ伏字になってマセン」

 私、なんでこーいう人たちと友達やってるんだろう。
 思わずそう自問自答してしまう、マインだった。




<なし崩しに了>







【後書き】
 大まかな概略は結構前から考えてはいたんですがー。
 あ、発想の元ネタになってるのは相変わらずキカイダーですが、今回はちょっと仮面ライダー龍騎と魂も混じってたり(笑)

『この戦いに正義は無い。あるのは、たった一つの純粋な願い』

 13人の仮面ライダーが己の私利私欲のために血みどろの闘争を繰り広げる(誇張はあっても間違いではないよな?)という主筋の龍騎でしたが。
 
 英雄になりたいとか(キチピー論理ですが)
 単に幸せになりたいとか。(悲惨な死に方しましたが)
 戦ってりゃ幸せな奴とか。(でもキレっぷりがカッコいいかも)
 まあそういうのもありましたが。

 難病のため余命いくばくもない自分が永らえるためだとか。
 愛するもの(妹・恋人)を救うためだったりだとか。
 
 その願いを叶えるためには他の12人を倒さなければいけないとはいえ、じゃあ、その願いを「それは悪だ。間違っている」と頭から否定できるかというと…ねえ?
 まあほら人情的には。

 そして、それぞれの願いを否定できないまま、それでもやっぱり戦いはやめさせたいという願いと。
 悩んで、悩んで、悩んで。結局答はだせなかったかもしれないけれど、それでもやっぱり、自分はこの戦いを止めさせたい、という願いがあって。
 魂のように、正義を胸に熱く戦うのが仮面ライダーだよなーとか思いつつも、これはこれでおもしろいかな、と。

 ガンダム以後、内向的にうじうじ悩む主人公が増えましたが、悩んでばかりで何もやってなかったりとか社会不適応者だったりとか単に性格悪いだけじゃねーかこいつとか、うわもうやめて鬱だ以下略。

 久しぶりに、悩む姿が鬱陶しくないヒーローだったと思う。龍騎って。最終回直前で亡くなっちゃいましたが(苦笑)

 まあ、そういったことを考えながら書いてました。
 ただ、やはり最終的にはオチャラケギャグで落とすわけにはいかないな、と。扱うものがモノですから。失敗してるっぽいですけど。

 なお、某国の偉大なる指導者の誕生日を伝えるニュースで将軍閣下を称える歌が紹介されたので、試しに検索してみたら…いやあ、なんだかなー(爆)
 おもわず使っちゃいましたが。





 ☆ コメント ☆

瑞希 :「なんていうか凄い騒ぎだったわねぇ」

和樹 :「だな。あちこちでてんやわんやだったし」

瑞希 :「ハァ。まったくもう。大志ってば相変わらず問題児なんだから」(ーー;

和樹 :「ま、大志だしな」(ーー;

瑞希 :「散々迷惑かけまくって。ホント、困った奴よねぇ」

和樹 :「――ま、さすがのあいつも今回の件で懲りたかな?
     少しはおとなしくなればいいんだけど」

瑞希 :「和樹。それ、本気で言ってる? 大志よ。大志なのよ」

和樹 :「……懲りてない、かなぁ?」

瑞希 :「懲りるわけないでしょうが」

大志 :「へろー、同志諸君!
     早速だがこれを見たまえ。
     先程、ガチャピン先生の所でこの様なビックリドッキリ素敵アイテムを発掘したのだが……」

瑞希 :「ほらね」

和樹 :「……」(ーー;



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