『保健室での一コマ』
「おや? また誰かをKOしちゃったの?」
それが、半ば保健室の常連と化しているとある女生徒への、校医である私からの第一声だった。
「あ、あはは」
乾いた笑い声をもって私の問いに『是』と応える女生徒。
その子の名は、来栖川綾香といった。
世界的な大財閥である『来栖川グループ』の御令嬢であり、『エクストリーム』なんて格闘技のチャンピオンであり、また、我が校の名物的存在である『藤田家』の一人でもあったりする。
類い希な容姿とそれらの『肩書』が相まって、我が校でも五本の指に入るほどの目立つ生徒である。
「それで……えっと、申し訳ないんですけど……いつものやつ、お願いできますか?」
その来栖川さんであるが、彼女は度々保健室のご厄介となっていた。
とは言っても、来栖川さん自身が薬や絆創膏の世話になるというケースは非常に希なのだが。
「もちろんいいわよ。いつものやつね」
来栖川さんの要求に軽く応えると、私は棚から湿布薬を取り出した。
「ほい。これでいい?」
「はい。ありがとうございます」
湿布を受け取りつつ、来栖川さんがペコリと頭を下げる。
「他には何か必要な物はある?」
「いえ。これだけで十分です。臑(すね)がちょっと腫れただけですから」
小さく手を振って彼女が言う。
「ふーん。臑がちょっと、ねぇ。どうせ、来栖川さんが思いっ切り蹴ったんでしょ?」
「べ、別に……思いっ切りなんてことは……」
一瞬『う゛っ』と苦い顔をした後で、私から目を逸らしてボソボソと零す来栖川さん。
どうも、この子は典型的な『うそが吐けないタイプ』のようだ。見ていて微笑ましく感じられる。
「で? 今日の犠牲者は誰? いつもの如く藤田君?」
「……はい」
コクンと首肯しながら、来栖川さんが小声で答える。
「あらら、やっぱり。やれやれ、藤田君もいつもいつも大変ねぇ。
……でもまあ、彼なら平気かな?」
「平気? なんでですか?」
何気なく呟いた言葉に来栖川さんが反応を示してきた。
「んー、だってさ~、来栖川さんを彼女にしていられるくらいなんだから藤田君ってかなりのタフさを誇ってるんじゃない? 『やっぱり藤田だ。10人乗ってもだいじょーぶ』って感じで。だったら、ちょっとやそっとの衝撃くらいじゃビクともしないでしょ? ねぇ?」
「『ねぇ?』って言われても困りますが……。というか、どこぞの物置じゃないんですから」
私からの問い返しを聞いて、来栖川さんがちょっとゲンナリとした顔になる。
「そもそも、なんなんですか『あたしを彼女にしていられるくらいなんだから』って。人の事を凶暴女みたいに言わないで下さいよ」
微かにくちびるを尖らせて来栖川さんが抗議してきた。
「そう言われたくないのなら、保健室に来る回数を少しは減らしなさいね。今のままじゃ、違うって主張されても説得力がないわよ」
「うぐっ」
私からの反撃が胸にグサッと突き刺さったのか、来栖川さん見事に轟沈。
「ホント、程々にしときなさいね。熱くなる気持ちは分かるけど」
「……は~い」
「それに、さ……老婆心から言わせてもらうけど……あんまり彼氏の事をKOしない方がいいんじゃない? そんなことばっかりしていたら今に嫌われちゃうわよ」
「……え?」
来栖川さんが小さな問いを零した。
「男の子って、女の子に負ける事を極端に嫌ったりするでしょ? 女の子に負けることでプライドが傷つけられる子もいるしね。特に運動面ではその傾向が顕著よ。だったら、実際に肉体がぶつかり合う格闘技なんて尚更じゃないかしら。負けたときのショックは生半可なものじゃないと思うわ。
だから、ダメージが肉体的なものだけで済んでいるうちに……」
「あたしにわざと負けろ。浩之に勝つな、と?」
「無理強いはしないけどね。けど、出来るならなるべくそうした方が良いと思うの。これからのあなたたちの為にも……」
「その必要はありません」
私の言葉は、来栖川さんのきっぱりとした声によって遮られてしまった。
「な、なんで?」
「男とか女とか、浩之はそんな細かい事を気にしたりしないですから。
それに、あたしが手を抜いたりしたら、そっちの方が却って浩之のプライドを傷つけることになってしまいます」
「それは……そうかもしれないけど……」
「先生の仰りたいことはよく分かります。
あたし……過去にある男性のプライドを粉々に砕いてしまった事がありますから」
そう言った時の来栖川さんの顔は……笑顔だった。今にも泣き出しそうな……無理に繕ったことが見え見えな……哀しい笑顔だった。
いつも元気で明るくて輝いている来栖川さん。そんな彼女の心に、このような顔をさせてしまうだけの傷がある。その事実は、私を少なからず驚愕させた。
「実はですね……あたし……もう随分と前ですけど、浩之に尋ねてみたことがあるんです。冗談めかしつつも『女に負けるのって嫌?』って意味のことを……。そうしたら、あいつ、何て答えたと思います?」
私の方を向いて、そんなことを訊いてきた。
「うーん。そんなことないよ、とか?」
ちょっとだけ考えに耽った後に、私はそう答えた。
自分でも『少し普通すぎるかな』と思いながら。
「あいつはもっとシンプルですよ。
『負けるのは嫌に決まってるだろ』ってアッサリと返してきました。
『相手が誰であろうと負けたら悔しいからな』って。
で、そんなことを言っておきながら、『でもまあ、勝負自体が楽しめれば、それで全てOKって気もするけどな。結果はオマケみたいなもんだし』ですって。
そのくせ、『負けっ放しにはしない。最後には必ず俺が勝つ』とか言うんですよ。
矛盾しまくってるっつーの」
「なんか、らしいわね」
綾香さんの語る藤田君の解答に、私は苦笑しつつも妙に納得してしまった。
「あたし、その答えを聞いて何となく感じたんですよ。
ああ、浩之にとっては男とか女とか関係ないんだなぁって。
たぶん、誰が相手であろうと“全力でぶつかり合えさえすれば、結果はどうであろうとそれで満足”なんていう非常にストレートな思考をしてるんだろうなぁって。
きっと、そういうことを気にするような繊細さは持ち合わせていないんじゃないですかね。
ま、早い話が大雑把で単純なんですよ、浩之は。分裂でも出来るんじゃないかってくらいの単細胞なんです」
物言いは辛辣だが、来栖川さんの顔には先程とはうってかわって穏やかな微笑みが浮かんでいた。
心の傷は決して消えない。
しかし、癒す事は出来る。乗り越える事だって出来る。
支えとなってくれる者がいるのなら尚更であり、彼女の場合はそれが藤田君だったのだろう。
来栖川さんの笑顔を見た瞬間、私はその事を改めて確信した。
そして、彼女にとっての藤田君の存在の大きさが感じ取れた気がした。
「だから、そんなイージーなヤツに変な躊躇とか遠慮なんか必要ないんです。こっちも小難しいことなんか考えないで、思いっ切り全力でぶつければいいんです。きっと、向こうもそれを望んでいるのですから」
来栖川さんの発言は決して相手を誉めているものではない。上辺だけで判断するなら貶しているといっても過言ではないだろう。
にも関わらず、私にはそれらが藤田君への賛辞にしか聞こえなかった。
賛辞にしか聞こえないのだが……
「あたしがどんなに強く当たっても、浩之はしっかりと受け止めてくれますしね」
聞こえなかったはずなのだが……
「しっかりと……力強く……それでいて柔らかく……受け止めて……包み込んでくれますから……」
段々と惚気を聞いている気分になっていったのはどうしてだろうか。
非常に謎である。
「気を付けて帰るのよ」
「はい。それでは、失礼します」
会釈しながら保健室から退出する来栖川さん。
扉がピシャッと閉められたと同時に、廊下を走るパタパタという音が聞こえてきた。
「こら、来栖川。廊下を走ってはいけません……ってね」
そんな事を言いつつ、私は机の上の整頓を始める。
「さてと、さっさと片付けて私も帰るとしますか。
……っと、その前に……」
私は、棚に歩み寄ると、中に入っている湿布薬の枚数をチェックした。
「どうやら、こいつらには今後も活躍してもらわなければいけないみたいだしね。
てか、どうせ明日も使う事になるんだろうし……。
えっと……ひぃふぅみぃ……んと、これならしばらくは大丈夫かな。」
私は満足気にうなずくと、棚の引き出しをそっと戻した。
「まあ、校医の立場としては、こんなもん使われずに済むんだったらそれに越したことはないんだけどさ」
そう言いつつも、明日も彼女がやって来る事を半ば確信している私であった。
―――で、次の日
「おや? また誰かをKOしちゃったの?」
< おわり >
☆ あとがき ☆
02年最初の『たさい』です。
で、やっぱり綾香嬢。
……今年も綾香がメインになるのでせうか?( ̄▽ ̄;
戻る