厄介事とは、本来は唐突に訪れるものであり、また頻繁にやって来る様なものでもない。
だが、世の中には、それをあたかも恒例行事の様に抱えてしまう者もいる。
例えばわたし、三輪坂真言美の様に……。
「どもー。こんにちはー」
いつもの様に声を掛けて入室する。
「やっほー」
すると、明らかな作り笑いを顔に貼り付けた鏡花さんが、手を挙げて挨拶を返してきた。
「あら? どうしたんですか鏡花さん。なんかご機嫌斜めみたいですね。もしかして、センパイと喧嘩でもしたんですか?」
自分でも白々しいと思いつつ、そう問い掛ける。
その瞬間、鏡花さんの表情がブスッとしたふくれっ面に変わった。
「あいつが悪いの! 全部、あのバカが悪いんだから!」
「うわ。本当に喧嘩してたんですか」
「聞いてよマナちゃーん。あいつってば最低なのよー」
「は、はい。聞きます聞きます。……それでいったい何があったんです?」
なるべく鏡花さんを刺激しないように、可能な限りの穏やかな口調で尋ねる。
「昨日さ、あいつと買い物に行ったんだけど……」
「買い物? ああ、デートですか」
「う゛っ。ま、まあ、そうとも言うわね」
わたしの言い直しに、鏡花さんが少し頬を染める。
鏡花さんは『恋人』とか『デート』といった言葉を指摘されると異様なまでに照れる。常日頃、人目も気にせずにイチャイチャしたりしているくせに、そんなことで恥ずかしがるなんて変な人だと思う。
「で? そのデートでどうしたんです?」
顔を赤くして固まってしまっている鏡花さんに話を進めるように促す。
「え、えっと……。そのデー……買い物に行った時の事なんだけどさ……。聞いてよマナちゃーん」
「はいはい。聞いてますってば」
「あの『バカ』ったら、浮気者なのよー」
「はい? 浮気者ですか?」
そんなに『バカ』と強調しなくてもいいのに、と心の中だけで苦笑を浮かべながら訊いた。
「そうよ。亮ってば、あたしと二人でいる時に、他の女に視線を送ったりするんだから。しかも、長時間見取れることすらあったのよ。これは立派な浮気行為だわ」
「長時間、ですか? それってどの位なんです? 1分? 5分? まさか、10分以上とか?」
返ってくる答えはなんとなく予想できていたが、それでも敢えて疑問をぶつけてみた。
「3秒くらいかしら」
わたしの問いに、至極真面目な顔で鏡花さんが答える。
「……は、はあ。……3秒……ですか」
前言撤回。ここまで短い数値は予想外だった。
「なによ、マナちゃん。随分と気のない返事ねぇ。ひょっとして、そんなことで怒ってるのか、と呆れてる?」
鏡花さんがジトッとした目を向けてきた。
「他人事だと思うから大したことないと感じるの。自分に当てはめて考えてみなさいよ。マナちゃんが壮一とデートしてる時に、壮一のヤツが他の女の子に気を取られてたりしたら頭に来るでしょ?」
「それはまあ、そんな事になったら面白くはないですけど……」
取り敢えず、モモちゃん云々の部分は聞き流すことにした。
「でしょ~」
わたしの解答に、鏡花さんが我が意を得たりといった顔をする。
「しかも! 亮ってば、その女の子に対して『あっ、あの娘可愛い』とか『美人だなぁ』とか『うわぁ、スタイルいいなぁ』なんて感想を抱いたりするのよ。さらにむかつくのが、事も有ろうにあたしと比べたりするのよ」
「うーん。それは確かに問題ありですね。ちょっとデリカシーに欠けてます」
「そう思うでしょ! いくら、亮の出す結論がいつも『鏡花には遠く及ばないけど』とか『やっぱり鏡花が一番だな』とかだったとしても、やっぱりむかつくわよね」
鏡花さんが頬を膨らませて……でも、ほんのりと色付かせて同意を求めてくる。
「……そ、そうですね」
一瞬、『はいはい、ごちそうさまでした』と言って帰ろうかと本気で思ったが、それでは問題が解決しないのでグッと我慢する。
「ね、マナちゃんも同感でしょ。でもね、それだけじゃないのよ! さらに許せない事にあいつってば!」
「はぁ……まだ何かあるんですか?」
一人でヒートアップする鏡花さんに、わたしは気のない声を返す。
「ちょっとあたしが離れた隙に、あいつってば、逆ナンされたのよ!」
「逆ナン?」
「逆ナンパ。女の子の方から男を誘う事よ」
「ああ、なるほど」
わたしはポンと手を打って納得した。
「……って、ん?」
―――と同時に、わたしの脳裏に一つの疑問が浮かんできた。
「あの……それって怒る様なことなんですか? 別にセンパイが悪いわけじゃないじゃないですか」
「怒る様なことよ。だって、亮のヤツ、デレデレしてたんだから」
「デレデレ、ですか」
「そうよ」
真偽の方は定かではないが、とにもかくにも、鏡花さんにしてみればセンパイが他の女の人と話をしているだけで気にくわないのだろう。その気持ちは分からなくはない。いささか度が過ぎている様な気はするが。
「……にしても、声をかけてきた女も何を考えてるんだか。なんでわざわざ亮になんか。ちょっと探せばあいつ以上の男なんてゴロゴロしてるだろうに。趣味が悪いにも程があるわよね」
不機嫌そうに言い捨てる鏡花さん。
そのセリフに対して……
「その言葉を鏡花さんが言いますか。センパイにラブラブぞっこんな鏡花さんが」
取り敢えずツッコミを入れておく。
「うぐっ。……あ、あたしはいいのよ、あたしは」
「そうですか。まあ、それはともかくとして……」
何がどういいのかいまいち分からない鏡花さんの言い訳をサラッと流す。
「ねぇ、鏡花さん。素直にセンパイに謝っちゃいません? そうすれば、あっと言う間に万事解決できますよ」
「あ、謝る!? あたしが!?」
わたしからの提案に鏡花さんが心底不満そうな顔をする。
「はい、そうです。だって、今回の喧嘩の原因は鏡花さんのヤキモチじゃないですか。確かに、センパイにも問題があるかもしれません。でも、非は圧倒的に鏡花さんの方にあると思いますよ」
「う゛っ」
わたしの指摘を受けて、鏡花さんの表情がバツの悪いものに変わった。本人にも多少なりとも『自分の方が悪かった』という意識があるのだろう。
ここがチャンスと判断したわたしは、さらに言葉を続けていった。
「鏡花さん。一度、センパイと落ち着いて話をしてみたらどうですか? きっと、すぐに仲直りできますよ」
「ひ、必要ないわ。別にあたし、亮と仲直りなんか……」
プイと顔を横に背けて鏡花さんが言う。見事なまでの意地っ張り。正に筋金入りだ。
ほんの少し自分に正直になれば瞬時に問題解決なのに、ちょっと歯がゆく思う。
こうなったら、もう一押し必要だろう。
そう思い、口を開こうとした瞬間……
「そんな事言わねーで、話くらい聞いてやってくれないか」
部室のドアを開けてモモちゃんが入ってきた。センパイを連れて。
「少なくとも、センパイは姉ちゃんと仲直りがしたいみたいなんでな」
そして、モモちゃんはセンパイの事を鏡花さんの方に押し出した。
センパイはモモちゃんに対して一回小さくうなずくと、鏡花さんの方に向き直り真剣な口調で話し始めた。
「なあ、鏡花。少し、話をしようぜ。お互いに冷静になってさ。俺、お前に謝りたい事もあるし」
「…………亮」
瞬きも忘れた様に見つめ合うセンパイと鏡花さん。
「そんじゃ、ごゆっくり。おい、三輪坂。俺たちは邪魔だ。外に出ていようぜ」
そんな二人を後目に、モモちゃんはわたしに一声かけると、さっさと部屋から出ていった。
「あっ、ちょ、ちょっと! 待ってよモモちゃん! あ……え、えと……そ、それじゃ、失礼します」
わたしも、モモちゃん同様にセンパイたちに軽く挨拶をすると、彼を追いかけるように慌てて退室した。
わたしたちが部室から出て10分が過ぎた頃、室内から楽しげな笑い声が響いてきた。
「やれやれ、何とか仲直り出来たみてーだな。まったく、世話を焼かせやがって」
「本当だね」
モモちゃんのつぶやいた言葉に、わたしは心の底から同意した。
「それはさておき。ありがと、モモちゃん」
「は? なにがだ?」
いきなり感謝の言葉を贈られて、モモちゃんが当惑した顔になる。
「センパイのこと。モモちゃんがいろいろと動いてくれたんでしょ」
「んー。最初はそんなつもりは全くなかったんだけどよ。ウロウロしてたら偶然センパイの事を見かけちまってな。んでもって、気が付いたらセンパイの宥め役をやってた。まったく、なにをやってるんだか」
「ふーん。偶然、ねぇ」
「なんだよ、疑ってるのか? 言っておくがマジで偶然だぞ。偶然に決まってるじゃねーか。誰が好きこのんで、んな面倒な問題に首を突っ込むか」
イタズラっぽい笑顔で言うわたしに、モモちゃんは不機嫌そうな表情を顔に貼り付けて応える。
「はいはい。そういうことにしておいてあげる」
「……お前なぁ。俺の言ったこと、全然信じてねーだろ」
呆れた様にモモちゃんが言う。
「うふふ。そうかもね」
「…………ったく」
ふてくされる様に、モモちゃんがくちびるを尖らせた。
「ねえ、モモちゃん」
その姿を微笑ましく眺めながら、わたしは言葉を紡ぐ。
「ん?」
「モモちゃんって優しいね」
「だーかーらー! 違うってーの!」
声を張り上げて否定するモモちゃん。
そんな彼の耳元にそっと口を寄せ……
「わたし、モモちゃんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」
早口で、そう呟いた。
「え? み、三輪坂?」
モモちゃんの目が点になる。
「さってと。そろそろ訓練を始めようか。クラブの時間が始まってから随分と経っちゃったね」
わたしは、モモちゃんから体を離して、いつもと同じ調子で言った。
そして、彼の困惑に敢えて気付かない振りをして言葉を続ける。
「モモちゃん、今日は一緒に訓練しない? よかったら付き合ってほしいんだけど」
「あ、ああ。構わないぜ」
「良かった。それじゃ……行こ♪」
言いながら、ギュッとモモちゃんの手を取る。
「お、おう」
手に伝わるモモちゃんの温かさが、妙に心地よく感じられ……
いつもの練習場所へと到着するまで、そのままその温もりを堪能し続けたのであった。
わたし、やっぱりモモちゃんの事が好きなのかな?
今日は、その事を真剣に考えた初めての日だった。
――― 一週間後
日曜日というリフレッシュ時間を経てパワー回復、「よし。今日も訓練を頑張るぞ」なんて意欲に燃えながら部室にやって来ると……
「「あ、三輪坂せんぱい」」
二人の女の子がドアの前で途方に暮れていた。
わたしと同じ天文部に所属する後輩たちだ。
「……おや? この展開、確か丁度一週間前にも……」
イヤ~な予感を感じながら二人に訊いてみる。
「どうしたの? もしかして……また?」
「「はい。またなんです」」
すると、あまりにも予想通りの解答が返ってきた。
なるほど、確かに『また』だ。
耳を澄ますと――澄まさなくても――部室の中からセンパイと鏡花さんが怒鳴り合う声が聞こえてきた。
「はぁ、まったく」
わたしはガックリと肩を落とした。
「あ、あの、三輪坂センパイ」
「それでですね。この件について百瀬センパイから伝言を言付かってるんですが……」
「え? モモちゃんから」
「はい」
「なに? なんだって?」
またモモちゃんが助けてくれるのだろうか?
一抹の期待を胸に、その伝言とやらが語られるのを待った。
「えっと……。それでは、言いますね」
「うん。お願い」
「『二人を宥めるのは三輪坂の役目だ。今度こそ任せた』」
「…………へ?」
思わず、マヌケな言葉が口を突いて出た。
「ですから、『二人を宥めるのは三輪坂の役目だ。今度こそ任せた』です」
「そ、それだけ?」
「はい。それだけです」
「…………そう。そうなの。…………先週、少し見直したけど…………どうやら、それは撤回する必要があるみたいねぇ」
後に後輩たちは語った。その時のわたしは、まるで修羅の様であったと。
とにかく、この時のわたしは、何かがプチッと切れてしまった。
「うふ、うふふ、うふふふふ。モモちゃんったら、まーたわたしだけに厄介事を押し付けようとして。こうなったら本当にお仕置きよ。徹底的にお仕置きしてあげるわ。可愛さ余って憎さ百倍なんだから。うふ、うふふ、うふふふふ」
「う、うわ」
「三輪坂センパイが壊れた」
「モモちゃーーーん! 絶対に逃がさないわよ! モモちゃーーーーーーん!!」
そう叫ぶと、わたしはモモちゃんを求めてその場から走り去った。
「み、三輪坂センパイ!」
「ああっ。わ、わたしたちは一体どうすれば……」
あとに残されたのは、事態に付いていけずに茫然としている後輩たちの姿のみであった。
「ど、どうしようか」
「ど、どうしよう」
部室の中からは相変わらずの怒鳴り声。頼れる者はバーサーカーと化してしまった。
そんな状況で出した答えは……
「取り敢えず、わたしたちだけでも訓練しよっか」
「そだね」
非常に常識的なものであった。
天文部のメンバーは、学年が下がるほどにまともになっていく様であった。
天文部――火者――の未来は明るい。
ちなみに、モモちゃんは次の日から3日間ほど学校をお休みした。
その理由は……内緒である。
めでたしめでたし。