『打倒!』
「吉井ちゃ~ん。かえろ~」
放課後になるや否や、松本が相変わらずの腰が砕けそうな口調でそう言いながらわたしの方へとやって来た。
最近『吉井ちゃん』という呼び名がお気に入りの様子。わたしとしては恥ずかしい事この上ないのだけど、幾らお願いしてもやめてくれないのでこの頃は諦めモードに入っている。藤田くんもこんな気持ちを何度も何度も味わったのだろうか。そう思うとちょっと親近感。
「はいはい、少し待ってて」
悟りの入り混じった小さな嘆息を一つ零しつつ、わたしは鞄に教科書やノートを入れていく。
「吉井ちゃんって、い~っつも教科書とかを~、ちゃ~んと持ち帰ってるよね~。偉いな~」
「別に偉くない。これが普通なの」
ぶっちゃけ、こんなことで感心されても困る。わたしにとっては当たり前の事なのだから。
「というか、あんたが置きっ放しにし過ぎ」
「で~も~、そのおかげで~、忘れ物したことないよ~」
「それはそうでしょうよ。最初っから机の中に全部入れてあるんだから。けど、その代わり、出された宿題は殆どやってこれてないじゃない。いい加減、わたしのノートを頼りにするのはやめなさいよね」
「えへへ~。ごめんね~。反省はしてるんだよ~」
そんなセリフを反省の欠片も見出せない笑顔で言われても全く説得力が無い。こめかみを指で揉み解しながら再度ため息。
「……ま、いいわ」
襲ってきた脱力感を強引に振り払いつつ、「お待たせ」と言いながら席を立った。
次いで、岡田の方へと視線を向ける。
「あれ?」
すると、そこには未だに椅子に座ったままの彼女の姿があった。
珍しい事もあるものだ、思わずその様な感想を抱いてしまう。
ホームルームが終わったら即座に帰宅するなり遊びに行くなりお喋りに興じるなりするのが岡田スタイル。その辺に関しては良くも悪くも長岡さんタイプ。そんな岡田が放課後になってもボンヤリとした顔で席に着いたままになっているだなんて、珍しいを通り越して奇怪ですらある。本来なら友人として心配の一つでもするべき場面なのであろうが、わたしとしては『触らぬ神に祟りなし』の心境。正直、嫌な予感がしまくっている。このままシカトしてサッサと帰ってしまいたい。帰ってしまいたいのだけど……
「岡田? どうかしたの?」
やはり、友人として放ってはおけなかった。もしかしたら、本当に何か悩み事でもあるのかもしれないし。可能性は極めて低いっぽい気がするけれど。
「ん、ちょっとね、考え事をしてたのよ」
いつになく真剣な岡田の声。それを聞いて、わたしは少し気持ちを改めた。これは、ひょっとするとマジで悩み事かもしれない。
「なにかあったの? わたしでよかったら相談に乗るけど」
「わたしも~」
空いている近くの椅子を拝借して座りつつ、わたしと松本は岡田へと言葉を掛ける。
「ありがと、吉井、松本。じゃあ、お言葉に甘えてあんたたちの知恵も借りようかしら。実はね、授業中からずっと考えてたのよ」
岡田には似つかわしく程の真面目な表情を向けられ、わたしも松本も思わず固唾を呑んでしまう。
そんなわたしたちに、岡田が右手の人差し指を立てつつ言った。
「打倒保科智子の策を」
何と言うか……この言葉を耳にした瞬間のわたしの気持ちは御理解頂けるであろうか。
一言で表すならば「やっぱり放っておいて帰ればよかった」。これに尽きる。
つーか、あんた。そんな下らない事を授業中も考えてたのか。
……聞けよ、授業。
「岡田、まだ打倒だなんて言ってるの? なんで? なにが其処まであんたをかき立てるのよ?」
微かに残った気力を振り絞って岡田に尋ねる。
「なんで、じゃないわよ。あったりまえでしょ。あたしにとって保科は最大の敵なんだから」
グッと拳を握り締めて力説する岡田。
「敵って……。あんた、この前の日曜日、保科さんと仲良く買い物に行ってなかったっけ?」
わたしのツッコミに岡田が微かに頬を引き攣らせた。
――が、すぐに表情を戻すとキッパリとした口調で言い放った。
「それはそれ、これはこれ」
「……おい」
激しく脱力感。そんないい加減な言葉で誤魔化される人間が何処の世界にいるのかと……
「そっか~。それもそ~だね~」
此処の世界にいたっぽい。それもすっごく身近に。
泣きたい。
「まあ、そういうワケなんで、あんたたちもどうしたら保科を打倒できるかを考えてよ。そうね、まずは短所辺りから挙げていきましょうか」
どこがどうなって『そういうワケ』になっているのかサッパリ分からないのですが……その辺を指摘したところでマトモな答えが返ってくるはずもないので口には出さないでおく。すっかり諦観の念に慣れつつある様な気がする今日この頃のわたし。
それはさておき。
保科さんの短所とか簡単に言ってくれるけど、あの人にそんなものがあるのか甚だ疑問。美人でスタイル抜群、成績も優秀。以前の刺々しさが消えて丸くなり、今では男女問わずに人気も高い。責任感が強く先生方からの信頼も厚い。考えれば考える程に完璧超人だということを思い知らされる。もちろん、保科さんだって人間なのだからどこかしらに欠点だってあるだろう。けれど、いま岡田が欲しているのはあくまでも『岡田以下な部分』。仮に保科さん自身が欠点や短所だと思っている箇所があったとしても、それが岡田以上であったのならば全く意味が無いのである。例えば、保科さんがテストで60点を取ったとする。その結果に保科さんはガッカリするだろうし、消し去りたい汚点だと思うに違いない。けれど、岡田にしてみれば60点はまずまず上出来の部類。つまり、保科さんにとっての汚点は必ずしも岡田にとって汚点にはなりえない。この『汚点』の部分を弱点や短所に置き換えれば分かりやすいだろう。もし保科さんに『性格が悪い』という欠点が仮にあったとしても、岡田がそれ以上に性格が悪い救いようのないダメ女では何にもならないのだ。
「吉井。あんた、何かすっごく失礼な事を考えてない?」
「気の所為気の所為」
ジトーッとした目で尋ねてくる岡田を、ヒラヒラと手を振って軽く受け流す。
先ほどのアレは純粋に例えであって、わたしは決して岡田が性格の悪いダメ女などとは……思っていない。うん、ちっとも思っていない。妙な間があったけど、その辺は気にしないでいただけるとありがたい。因みに、ダメ女とは思っていないけれど、友達をやめたいと考えた事は何回かあったりするのは此処だけの秘密。
「イマイチ釈然としないけど……ま、いいわ。それはそうと、何か思い付いた?」
岡田にそう言われ、取り敢えず思考を元に戻す。
保科さんの短所。短所、ねぇ。
うんうんと頭を捻ってはみるものの、どうにもこうにも思い浮かばない。
いやまあ、正確には一つだけあるにはあるのだけど。
「保科さんって目が悪いよね。これもまあ、短所と言えなくも無い、かなぁ」
はっきり言って言い掛かり。重箱の隅を突付いたいちゃもんの類である。さすがにこんなのでは岡田でも……
「おおっ、さすがは吉井。よしよし、これで対保科ポイントに1点ゲットよ」
――って、納得するんかい。しかも対保科ポイントって何?
わたしは、この友人の無邪気に過ぎる言動に軽い眩暈を覚えてしまった。
なんか、少しでも真剣に考えてたのが今更ながらに馬鹿らしくなってきた。
「で? 他には? 他には何かないの?」
「他には、と言われてもねぇ」
正直、もう何も浮かばない。というか、もはや考えたくもない。わたしはギブアップです、はい。
「え~っと~、保科さんの~、短所なんだけど~」
小さく両手を挙げて降参の意を示したわたしに代わり、それまで無言でずっと考えていた松本が徐に口を開いた。
「保科さんって~、ブラックコーヒーが飲めなかったよね~」
「あ、そういえばそんな事も言ってたわね」
松本の意見を聞き、わたしはポンと軽く手を打った。
確か、コーヒーは砂糖とミルク無しでは飲めないとか何とか言ってたっけ。
……まあ、これが短所と言えるかどうかは甚だ疑問ではあるけれど。
「良かったじゃない、岡田。2ポイント目ゲットよ」
些かアホらしい内容ではあるが、取り敢えず加算は加算ということで。
――が、にも関わらず当の岡田は表情を曇らせていた。
「え、えっと……」
岡田の歯切れが悪い。
さすがの岡田も『いくらなんでもそれはどうよ?』という心境なのだろうか。
さもありなん。
「それに関しては引き分けということで」
――ちょっと待て。あんたも飲めないのかよ。
余りといえば余りな展開に、思わず頭を抱えてしまう。
意外な盲点だった。
言われてみれば、わたしたちと喫茶店とかに行った時でも岡田はコーヒーの類を頼んだ事って無かったわね。
「な、なによ! 文句ある!?」
「いや、別に文句は無いけど」
というか、文句を言う気力も無い。
それにしても、こう言っては何だけど、保科さんがブラックコーヒーを飲めないという事実に対しては『保科さん、可愛らしい』といった感情が湧いてくるのだけど、岡田に対しては『ブラックコーヒーも飲めないの? 情けないわねぇ』という気持ちが浮かんでくるのは何故だろう。これが人徳の差というものだろうか。
「とにかくそれは却下よ。他のを提案して」
そう言って、岡田が机をダンッと叩く。
だから、他のとか言われても無理だってば。チラッと松本に視線を送ると、彼女は首をフルフルと横に振って返した。つまり、完全にネタ切れ。もうどんなに絞っても出ません。
「あ、あのさ、岡田。あまり焦るのはよくないよ」
従って、わたしは強引にこの場を纏める事にした。逃げに入ったとも言う。
「少なくとも、1ポイントはゲットできたワケじゃない。小さいように見えて、この一歩はきっと大きな前進なのよ」
「う、うーん、まあ、確かに」
「でしょでしょ。だからさ、今日は取り敢えずお開きということにして、後日また新たに考えましょ。何事も根を詰めすぎると悪い結果しか出ないものだしね。一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がるのよ。人生ってのはそういうもんなの」
この席を終わらせたい一心で口を動かし続ける。下手したらまた明日にでも同様の事態に陥るかもしれないけど、とにかく『今』が優先。問題の先送り上等。
「そ、そう、ね。じゃあ、そうしよっか」
微妙に納得しきれていない表情をしていながらも、わたしの勢いに圧されたのか岡田がコクンと頷いて同意する。
その様に、わたしは心底安堵して大きな吐息を零した。
「あはは~。上手く丸め込んだね~。吉井ちゃんってば、口八丁~」
場が治まらなくなるから余計な事は言わないように。
つーか黙れ。
○ ○ ○
話を終え、教室から出たわたしたち三人。
下駄箱近くに差し掛かった時、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
これは保科さんと綾香さんだ。
「ごめんな、今日は付き合わせてしまって」
「気にしないでよ。たまには図書館で勉強するのも気分転換になっていいわ」
「ところで、今日返ってきたこの間の小テストの結果、どうだった?」
「もち、満点よ♪」
「なんや、同点か。今回は勝ったと思ったのに」
「甘い甘い。そう簡単に勝ちは譲らないわよ。あたしだって智子に負けないように頑張ってるもの」
「少しは手を抜いてもええんやで」
「冗談ぽいよ。心にも無いこと言わないでよね。そんな事したら、あなた無茶苦茶怒るくせに」
「当然や。もし、本当にそんなことしたら」
「そんなことしたら?」
「一週間ほど、芹香さんにスパルタ教育してもらうわ。健康ドリンク付きでな」
「……い、いや、それはマジで勘弁」
お互いに勝気な部分を見せつつも楽しそうに話す保科さんと綾香さん。
「うわ~。まさに、ライバル、って感じだね~」
松本の言うとおり、実に良い関係に見えた。
競い合い高め合う。これぞ理想のライバルだろう。
ふと気になって隣に視線を向けてみると、そこには何とも面白くなさそうな苦々しい顔をした岡田の姿が。
まあ、気持ちは分からなくもない。変な例えだけど、片想い中の女の子が他の男と仲良くしているところを見せ付けられた、という気分なんじゃなかろうか。……微妙にちょっぴりズレてる様な気がしなくもないけれど、当たらずも遠からずということで一つ。
「あ、あのさ、岡田」
さすがにこれはフォローをしておいた方がいいかな?
そう思って声を掛けようとした瞬間だった。
「保科さんには~、もう綾香さんっていう高いレベルで競い合える~、り~っぱなライバルがいるんだね~。これじゃ~、岡田なんて~きっと眼中にないよね~」
松本が能天気に無情なセリフを炸裂させた。
……あんたは鬼か。
「……っ……っっ」
言葉を失くしている岡田が哀れすぎて怖い。
この重い空気をどうしろと?
何かが胸にグッサリと突き刺さってピクピク痙攣している岡田。
あはは~と何も考えていなさそうな笑い声を響かせている松本。
取り敢えず、今のわたしに出来るのは、
「……ハァ」
深い深いため息を吐き零す事だけだった。
……誰か助けて。
○ ○ ○
――次の日の休み時間。
「ねえ、吉井さん。ちょっと聞きたい事があるんだけどいいかしら?」
「なに、綾香さん?」
「あたし、岡田さんに何かしちゃったかな? 朝からずーっと凄い目で見られてるんだけど」
「え?」
言われて岡田の方を見てみる。
そして、次の瞬間、思いっきり頭を抱えたくなった。
岡田は明らかに嫉妬の混じった目を綾香さんに向けていた。否、向けている。現在進行形。
「ホントは直接岡田さんに尋ねるべきなんだろうけど……何と言うか、ちょっと今の岡田さんに近付くのは怖くて。吉井さん、何か知らない?」
「さ、さあ? わたしはなにも……」
思わず白を切ってしまうわたし。
いくらなんでも言えない。『綾香さんに保科さんが取られそうだからヤキモチやいてるんですよ、アハハ』だなんて言えない。あまりにもバカバカし過ぎて。
「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」
「う、ううん。気にしないで」
謝ってくる綾香さんに、わたしは心の中で平身低頭する。
岡田の視線を受けて居心地悪そうにしている綾香さんに、胸の内でひたすら謝罪の言葉を並べるわたしだった。
因みに、この日以降の岡田に、
「今日話し合うのは打倒来栖川綾香についてよ!」
これまた勝ち目の無いターゲットが加わったのは言うまでもないことである。
< おわり >
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