『過ぎたるは』
日曜の朝。
ダラダラと惰眠を貪り続けられる至福の時。
しかし、
「ほら、いい加減起きなさいよ、亮。いつまで寝てるつもり?」
それを妨げようとする無粋な声が。
「……うぬぅ。この羽村様の安眠を妨げようとは不届き千万。何者だ、名を名乗れ」
「……七荻の鏡花さんよ」
俺の問いに、呆れた声で答えが返ってくる。
「んあ? きょーか?」
眠気を堪えて必死に目を開けると、そこには確かに鏡花の姿があった。
まあ、朝っぱらから俺の部屋にいる俺以外の存在、といったら確かめるまでもなくコイツくらいなのだが。
たまーにキララが生えてきたりする場合もあるが、それはあくまでも例外ということで。
「……はよ」
「おはよう、亮」
「そして、おやすみ」
「はい、おやすみなさい。……って、寝るんじゃない!」
再び目を閉じた俺に向かって、鏡花が声を張り上げる。
「ほら! さっさと起きる!」
そう叫び、鏡花が俺の鼻を思い切り抓んだ。
「……んがっ! な、なんだよぉ。日曜の朝くらいゆっくり寝かせてくれたっていいじゃんかぁ」
「なにオヤジくさいこと言ってるのよ、あんたは。それに、もう充分すぎるくらい寝たでしょ?」
言いつつ、鏡花は俺の眼前に時計をズイッと突きつける。
示されていた時間は10時。
「まだ早朝じゃないか」
「……あんた、本気で言ってる?」
「本気も本気、大本気。いいか、鏡花。日曜の朝は昼前、否、昼過ぎまで寝て過ごすのが正しい日本人の姿だぞ。従って、10時なんて時間はまだまだ早朝もいいところだ」
ジトーッとした目を向けてくる鏡花に、俺は胸を張って自信満々に答えた。無論、横たわった姿勢のままで。
「というワケだから、純日本人である俺はもう少し寝る。そんじゃ、おやすみ」
宣言すると、俺は言葉通りに目を瞑る。
すると、その瞬間、俺の腹部に重い痛みが走った。『重ね』の能力が伝えてくる予知痛覚。
慌てて掛けていた毛布ごと転がり身を翻す俺。勢いよくベッドに突き刺さる鏡花の肘。
「……ちっ」
「『ちっ』じゃねぇ! なにしやがるんだ、お前は!? 俺を殺す気か!?」
悔しげに舌打ちする鏡花に、俺は声を大にしてツッコミを入れる。
「べっつにぃ。ただ、聞き分けの無いお馬鹿さんの目を覚まさせるには、これくらいしなきゃダメなのかなぁと思ってね」
「『これくらい』とか軽く言うな。あんな攻撃を喰らったら、目が覚めるどころか永眠しかねんわ」
先程の『殺る気満々』の鋭い攻撃を思い返し、俺は微かに背筋を振るわせた。
「あのな、鏡花。どうせ俺を起こそうとするのなら、今みたいな危険な方法じゃなくて、もうちょっとラブリーな手段を用いてくれ。例えば、耳元で「朝よ、起きて」と優しく囁いた後に、頬にチュッとしてくれるとか。――うん、こういうのだったら一発で起きるな。間違いなし」
我ながらのナイスな案に、俺は何度も『うんうん』と首を縦に振る。依然、横になったままで。
そんな俺に、鏡花があからさまに白い視線を送ってきた。
「バカな事を言ってないで、早く起きなさいよ。まったく、前々からバカだバカだとは思ってはいたけど、まさかここまで大バカだったなんて」
こめかみの辺りを押さえつつ、鏡花が「ハァ」と深いため息を漏らす。
「酷い言われようだな、おい。――分かった分かった。起きればいいんだろ、起きれば。起きるよ、起きますよ。……あと2、3時間ほどしたらな」
「全然分かってないじゃない! この、真スペシャルグレート超絶式天然系バカ!」
「おおっ。言葉の意味はよく分からんが、とにかく凄い罵声だ。屁のつっぱりはいらんですよ?」
「だまらっしゃい!」
叫ぶや否や、鏡花は俺愛用の毛布をガバッと剥ぎ取った。まさに問答無用。
「わっ!? なにしやがる!? エッチ! 変態! いやーん、まいっちんぐ」
胸元を押さえ、艶かしく身をクネクネさせる俺。
そんな羽村くんの様を見て、鏡花はニッコリと微笑んだ。
なにやら『ブチッ』という音が聞こえた気がしたが、それは幻聴だと思いたい。
「死にさらせ♪」
……あ、なんか、全身に痛覚がバリバリ来ましたよ。
「あんたみたいな救い様の無いバカは本気で死にさらせぇ! それに、そんなに起きたくないのなら、お望み通り一生寝たきりにさせてあげるわよ!」
物騒な事を叫びながら、鏡花が拳の雨を降らせてくる。
先程の『ブチッ』は、どうやら気の所為ではなかった模様。
鏡花さん、完璧に切れたっぽい。
「この! この! このーっ!」
殺気を漲らせて鏡花が攻撃を繰り出してくる。
「どわっ!? やめろ! マジやめろって!」
ベッドの上をゴロゴロと転がりまくって、俺はそいつらを必死にかわし続けた。
「往生際が悪いわよ。素直にあたしの天誅を受けて逝ってしまいなさい!」
冗談じゃない。『イク』のは好きだが『逝く』のは勘弁。
「えーい! 喰らいなさい!」
気合と共に手刀を落としてくる鏡花。
「喰らってたまるか!」
俺はその一撃を辛うじて避けると、鏡花の手首をガシッと捕まえた。
「えっ!? きゃっ!」
予期せぬ強制停止。不意を衝かれた形になり、鏡花が思わずバランスを崩す。
そして、小さな悲鳴を上げながら、俺の上へと勢いよく倒れこんできた。
「うわっ!? わ、わりぃ。ちょっと強引に止めすぎたかな。大丈夫か、鏡花? どこも痛くしてないか?」
「うん、あたしは平気。亮こそ大丈夫? 思いっきり乗っちゃったけど。しかも顔に」
「ああ。全然平気。鏡花は軽いし」
ナイスなクッションも持ってるし、な。
心の中でそう付け加える。
鏡花の胸に顔が押し潰されていたりしたのだが、おかげ様でダメージはゼロ。
いやはや、実に結構な物をお持ちで。
「っ!? は、放して! 放せ、このエロガッパ!」
俺の心を読んだ鏡花がジタバタと暴れだした。俺の拘束から逃れようともがきまくる。
「やだ。放したら、また攻撃してくるだろ? だから、絶対に放してやんない」
キッパリと言い切ると、俺は鏡花の体をギュッと抱き締めた。
「……あ。こ、こら」
強く抱かれ、鏡花が鼓動を高鳴らせる。胸のドキドキがどんどん激しくなっていった。
相変わらず不意打ちされると弱いんだな。愛い奴だ。
「……ぅ。お、大きなお世話よ。――も、もう。いつまで抱き付いてるつもり? 放しなさいよ」
鏡花が恥ずかしげな口調で訴えてくる。
「やだ。お前、絶対に反撃するし」
「……しないから放して」
「嘘だな」
一言で切り捨てた。
「失礼ねぇ。嘘じゃないってば」
心外とばかりに鏡花が返す。
「約束するわ。絶対に手を出さない。もちろん、足もチロも」
鏡花のらしからぬ言葉にちょっとだけ心が動いた。
放してやってもいいかな、という気になってくる。
「ねっ? それならいいでしょ? だから、放して」
「……やっぱダメ」
少し思案した後、俺は鏡花のお願いに対してそう答えを出した。
「ど、どうして?」
「こうしてると気持ちいいから。この感触、アッサリと放してしまうには余りにも惜しい。加えて、あったかいから、さっき奪われた毛布の代わりにちょうどいいし」
「も、毛布の代わりって……。あなた、ひょっとしてこの期に及んでまだ眠るつもりなの?」
鏡花が呆れ声で尋ねてくる。
「ふっ。日曜の朝の惰眠欲を甘く見てはいかんな。これくらいの騒動で振り払える様な軽いものではないぞ」
実を言えば、一連のドタバタで一度は完全に目も覚めたのだが――鏡花の温かさ、優しく甘い匂い、心休まる鼓動の音に包まれているうちに、再度眠気が高まってきてしまったのだ。
「ハァ。まったく、あんたって奴は……」
ヤレヤレといった風情で鏡花が深いため息を吐く。
尤も、鏡花に対して深い安らぎを感じている俺の心が読み取れた為か、声色には満更でもない響きが混ざっていたが。
「しょうがないわねぇ。……いいわ、ちょっとだけなら許してあげる。あたしの広い心に感謝しなさいよ」
諦めの込められた――それでいて穏やかな声で囁くと、鏡花は俺の頭をそっと抱き締めた。
「こうやっててあげるから、さっさと惰眠欲とやらを満足させちゃいなさい」
「……ああ。さんきゅ。……そんじゃ……おやふみ」
お言葉に甘えて目を閉じると、鏡花の温もりの中で、俺はすぐさま眠りへと意識を落としていった。
――で、時は過ぎてその日の夜。
困っていた。俺はとにかく困っていた。
全く、見事なまでに、これっぽっちも眠くならないのだ。
それなりに身体は疲れているのだが。狭間に潜ったり、ベッドで鏡花をいぢめ……もとい、可愛がったりした為に。
しかし、全然眠くならないのである。
困った。本気で困ったですよ。
「自業自得でしょ。あれだけ寝たら、そりゃあ目だって冴えるわよ。ちょっとだけだって言ったのに、延々とグースカと……。よくもまあ、あれだけ寝られたものね。感心するわ」
うん、確かに俺も感心したよ。我ながらビックリだ。
何せ、目を覚ましたら既に笑点がやってたんだからな。
まったくもって驚くやら呆れるやら。
「ま、諦めなさい。自分が悪いんだから」
「……」
ぐうの音も出やしない。
「じゃ、あたしは寝るわね。おやすみぃ♪」
そう言うと、鏡花は布団を被ってさっさと眠ってしまった。
気持ち良さそうな安らかな寝顔が恨めしい。
「……」
暗闇の中、一人でポツンと取り残された俺。
眠る事も出来ず、ただただ途方に暮れてしまう羽村亮くんでありました。
何事も程々が一番ということで。