『モスキート襲来』
それの襲来は突然だった。
夕食を終えたばかりのマッタリとした時間。
全員がのんびりとした穏やかな一時を過ごしていると、プーンという独特な羽音が部屋中に響き渡った。
「ん? なんだ? 蚊か?」
顔を顰めさせて、音の発生源に目を向ける浩之。
すると、そこには想像通りの吸血生物が。
「おっ!? セリオ、そっちに飛んでいったぞ」
「はい」
浩之に言われて、セリオは頷きつつ答えた。
「吸われないように気を付けます」
「何をだ!?」
浩之、即座に突っ込み。
「何って、蚊が吸う物は決まってるじゃないですか。血ですよ」
「血、流れてねーだろうが」
さも当然のように宣うセリオに、こめかみを押さえつつ浩之がポツリ。
その指摘を受けたセリオ。ポンと手を叩くと、
「おおっ! 言われてみれば」
合点がいったというように『うんうん』と頷いた。
「お前。本気で自分がロボットだってこと忘れてるだろ?」
全身から疲労感を漂わせつつ浩之が漏らす。
「今更、何を言っとるんや」
「そうだよ。とっくに分かりきってたことじゃない」
悟りきった口調で諭す智子と理緒。
「それもそうだな。スマン。俺が全面的に間違っていた」
浩之が素直に己の非を認めた。諦めたと言わんばかりのため息を吐きながら。
「……ひょっとして、わたし、酷いこと言われてます?」
口を尖らせたセリオが、自分の顔を指差しつつ周りの面々に尋ねた。
「そ、そんなこと……ないんじゃない、かな?」
「きっと気のせいだヨ……タブン」
あかりとレミィが言葉を詰まらせつつたどたどしく返答。
もちろん、二人以外の者も、セリオの問いにまともに答える事など出来なかった。露骨に目を逸らしたり、苦笑いで誤魔化したり。
「やれやれ」
その様子を半ば呆れながら見ていた浩之。
そんな彼の目の前を、例の蚊がプーンという羽音を立てて通り過ぎた。悠然と。
「だーっ! 妙にむかつく!」
パンと手を打って、浩之が蚊を叩き落とそうとした。
しかし、蚊は巧みにすり抜ける。
「むむっ」
再度手を打って蚊に攻撃を加えた。
蚊、ヒラリと避ける。
「むむむっ」
自棄になって、浩之が更にパンパンと追撃。
それらから、あざ笑うかのように綺麗に蚊が逃げる。
「うがーっ! いい加減にしやがれ!」
叫びと共に、パンパンパンパンパンパンパンパンと浩之が連発した。
「ゼーハーゼーハー」
肩で息をする浩之。
そのすぐ眼前を、蚊が見せ付けるように飛んでいく。
浩之、完璧に蚊に遊ばれていた。
「ちくしょう。蚊ごときに弄ばれるとは……って、なんだよみんな」
浩之vs蚊の激闘。それは端から見た場合、非常に面白い物だったようだ。
全員が、笑いを必死に噛み殺していた。芹香ですら肩を震わせている。
葵などはソファーに顔を埋めて、足をジタバタさせて身悶えていた。滑稽な浩之の姿が余程ツボに入ったのだろう。
「無理に堪えなくてもいいぜ。てか、笑いたいのなら素直に笑ってくれ」
ジトーッとした半目で浩之が言い放つ。
「怒らない怒らない。笑われるような醜態を晒した浩之が悪いんだから」
そう言うと、綾香は未だ我が物顔で飛び回っている蚊へと視線を向けた。
「そんじゃま、選手交代ね。ま、見てなさいって♪」
浩之の肩をポンと叩いて陽気に言った後、綾香は「ふぅ」と一つ息を吐き神経を集中させる。
そして、蚊が彼女の目の前を通った瞬間、
「ハッ!」
鋭い気合いと共に手を撃ちはなった。
「フッ」
軽く笑みを零し、捕まえたと言わんばかりに固く握られた拳を誇示する綾香。
「おっ!? やったのか!?」
「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるの」
浩之の問いに、綾香が自信タップリに答えた。
直後、二人の間をプーンと抜けていく蚊。見せ付けるように宙返りまでしてくれた。
「……あ、あれ?」
「“あれ?”じゃねーよ。思いっ切り逃げられてるじゃねーか!」
「あ、あはははは」
バツの悪い顔をして綾香が空笑い。
「もう、綾香ちゃんってば」
そんな綾香の様子に芹香は小さくため息。見ていられないといった風情で首を左右に軽く振る。
「……浩之さん。ここは、わたしに任せて下さいませんか?」
次いで、ソファーから立ち上がるとそうお願いしてきた。
「別にいいけど、何か策でもあるのか?」
「はい。最近覚えました万能殺虫呪文を使います」
浩之からの質問に、芹香が自信ありげに答えた。
「ば、万能殺虫呪文、ねぇ」
そこはかとなく嫌な予感がする浩之。及び、他の面々。全員、顔がちょっぴり引きつっていたりする。
「では……始めますね」
周囲の何気に鬱っぽい空気に一切構わずに芹香が宣言。
「edic……itce……sni」
そして、朗々と呪文の詠唱を始めた。
「detac……idare……si……ot……iuqs……om……a」
暫くの間、意味不明の言葉を歌うようにリズミカルに唱えていた芹香。
「……T……i……L……」
だが、不意に、一字一字を噛み締めるような言い方に変化した。
呪文の山場に差し掛かったのだと、この場にいる全ての者が理解した。
「……t……O……W……a……」
芹香が口にする呪文。紡ぎ出されるアルファベット。T・i・L・t・O・W・a。
それを、浩之がなんとなーく頭の中で並べてみた瞬間、
「っっ!? ちょ、ちょ、ちょっと待て、芹香。お前が唱えてるの、まさか、ティルトウェ……」
感じていた嫌な予感が確信に変わった。浩之の顔が青くなる。
「ね、姉さん! それはまずいって!」
浩之と同じ結論に達したのであろう。綾香も慌てて芹香を止めに入った。
「……i……」
しかし、二人の叫びが聞こえていないのか、芹香は呪文を詠唱し続けた。
彼女の掌に強い光が浮かぶ。
その光を蚊の方へと向け、芹香が最後の一語を紡いだ。
「……Y……」
途端、芹香の掌から輝きが消えた。
「……あ」
芹香は暫し、首を傾げてボーッと自分の手を眺めていたが、
「TとY。最後、キーを押し間違えてしまいました」
やがて残念そうにポツリと呟いた。
「ま、なんつーか、こういう結果になるような気もしていたけどな。しっかし、キーって何よ? 押し間違えるって何なのさ?」
深くフーッと息を吐きながら浩之がツッコミを入れる。
「なんだかよく分からんけど……取り敢えず、今後その呪文は禁止な」
「姉さん、マニアック過ぎよ。呪文手打ちだなんて、ひょっとしてアップル版なの? おかげで助かったけどさ。だけど、今後、その呪文は使用禁止ね」
「……しゅん」
謎の会話を繰り広げる三人。
他の面々は、展開に着いて行けずにポカーンとしている。
部屋に、安堵と落胆と困惑、それらが入り交じった何とも複雑な空気が流れた。
そんな中、ぺちっという間の抜けた音と共に、
「あ。叩けちゃいましたぁ」
マルチの、微かに驚きが混じった声が聞こえてきた。
「な、なに!? ひょっとして蚊をか!?」
「ウソ!? ホントに!?」
叫んだのは失敗組。浩之と綾香。
「はいですぅ。ほら」
ちょっぴり誇らしげに手を見せてくるマルチ。
そこには、見事に退治された蚊の姿が。
「わっ。マルチちゃん、凄い!」
「お見事です!」
「無欲の勝利ってやつやな」
琴音、葵、智子が感嘆の声を上げる。
更に、あかりに理緒、芹香にレミィが拍手をしながらマルチを誉め称える。
「え、えへへ。そんなに誉められたら恥ずかしいですよぉ」
大好きな人たちに喜んでもらい、マルチは上機嫌。
満面の笑みで嬉しさを表現するのであった。
そのとき、浩之と綾香の負け組は何をしていたかと言うと、
「マルチに捕まえられた蚊に遊ばれた俺たちって……」
「ううっ。当分は立ち直れないかも」
床にガックリと手をついて項垂れていた。
なまじ運動能力に自信があるだけに受けたショックが大きかった模様。
浩之と綾香の両名は、暫くの間、敗北感に呵まれる事となった。
「あ、あの~。お二人とも、気を落とさないで下さいです。今日は偶々調子が悪かっただけですよ」
「いやだーっ! やめてくれ、マルチ! 慰めなんて言わないでくれーっ!」
「聞こえない聞こえない。なーんにも聞こえなーい」
まあ、何と言うか……取り敢えず、マルチちゃんWIN♪
「しっかし、どうでもええけど、蚊の一匹でここまで大騒ぎ出来る家庭ってうちくらいやろうなぁ」
「そだネ。同感だヨ」
……そこっ、しみじみ言わない。
「ところで、綾香?」
「ん?」
「お前、『ウィ○ードリィ』のこと知ってたんだな。ちと意外」
「なーに言ってるの。あたしはアメリカ育ち。言うなれば『ウィザー○リィ』の本場にいたのよ。知ってるに決まってるじゃない」
「そういうもんなのか?」
「日本人の殆どが『ドラ○エ』とか『ファイ○ルファンタジー』とか『ポケ○ン』を知ってるようなものよ♪」
「……それ、なんか違うと思ふ」
< おわり >
戻る