『お風呂でことあお』
「いたたっ。うー、ちょっとしみる」
湯船に体を沈めるや否や、葵は左上腕を手で押さえ、顔を顰めて小さく呻いた。
それを耳にして琴音が視線を送る。
「うわっ、すごい痣が出来てるじゃない。どうしたの、それ。練習で?」
「うん。スパーリングした時にね。綾香さんの蹴りをガードしそこねちゃって」
「……なるほど。綾香さんのキックってすごいもんね」
うんうんと琴音が頷いた。
たまに見学させてもらうエクストリーム同好会の練習。
そこで度々目の当たりにする綾香の鋭い蹴り。あんなものを受けたら痣にもなるだろう。琴音は心底納得した。
「うん。綾香さんは本当に凄いよ。蹴りだけじゃない。パンチも投げも、関節技だって一流なんだもん。ああ、わたしも綾香さんみたいになれたらなぁ」
両手を組んで、目をキラキラと輝かせて葵が言う。全身から『憧れてます』オーラが出ていた。
「なれるよ。葵ちゃんだって十分凄いじゃない。今に絶対追いつけるって」
「ホント? ホントにそう思う?」
期待に満ちた表情で葵が尋ねる。
そんな葵に『子犬みたい』という感想を抱きつつ琴音は答えた。
「ホントだって。わたしが葵ちゃんにウソを言ったことある?」
「……え? あ、えっと……」
「そこで言葉を詰まらせないでくれる」
目を据わらせて、琴音が顔をズイッと寄せる。
ウソが吐けないのは葵の美点。それは理解しているものの、こういう時くらいは空気を読んで「うん」と言って欲しかった琴音だった。
「っていうか、冗談抜きでわたしはウソなんて吐かないと思うんだけど」
「……そう、だね。ウソは無い、かな? 冗談は多いけど。ウソは無い、気がしなくもない、かなぁ?」
「どうして、そう歯切れが悪いかなぁ?」
琴音がこめかみをピクピクさせる。
そんな彼女に構わずに葵は言葉を続けた。追い討ちとも言う。
「なんていうか、きっと本人的にはウソを吐いている自覚が無いんだろうね。清楚とかおしとやかとかいった言葉も、琴音ちゃん自身は本気で思ってるみたいだし。わたしたちに言わせれば大ウソというか、妄言というか戯言というか、そういう類のものなんだけど。でも、琴音ちゃん的には本心なんだよね。回りが認めてなくても本人的には大真面目なんだよね。――うん、納得がいかなくてもその点だけは理解してあげないといけない。大事な友達で家族なんだから」
「ひょっとしてケンカ売ってる?」
「え? なんで? そんなことないよ」
ニッコリと邪気の無い笑顔を琴音に向ける葵。
「そ、そう。ならいいんだけど」
引き攣った笑みを浮かべ、思わずギュッと拳を握り締めてしまう琴音だった。
「ま、まあ、それはさておき。葵ちゃんもいつかは綾香さんみたいになれると思うよ。一箇所を除いてね」
「一箇所?」
「綾香さん、大きいもんね」
「大きい? なにが、って……」
ジーッと送られてくる琴音の視線。それが向けられている先に気付いて葵は頬を染めた。反射的に両腕で胸を隠す。
「わ、分からないじゃない。わたしだってもしかしたら綾香さんみたいに」
「無理無理」
先程の意趣返しか、意地悪っぽくニヤリと微笑んで琴音がどきっぱりと言い切った。それを聞いて葵が「うー」と恨めしげに唸る。
「葵ちゃん。現実を受け止めようよ」
「琴音ちゃん、きらい」
琴音のからかいを受け、葵は頬をプクーッと大きく膨らませてそっぽを向いた。
「あれ? 怒っちゃった?」
「知らない」
クスクス笑いながら顔を覗き込む琴音。葵はツーンと顔を背けた。
「ごめんごめん、冗談だってば」
「冗談なの?」
琴音の方に向き直って葵が尋ねる。
「三割ほどは」
「七割本気なんじゃない!」
「あはは。ごめんね、葵ちゃん」
「ぜんっぜん誠意がこもってないよ!」
プイッと琴音に背を向けた。
「ごめんってば。言い過ぎました。反省してます」
「声が笑ってる」
「そんなことないよ」
「そんなことある」
「えーん。機嫌直してよ、葵ちゃーん」
わざとらしい泣き真似をしながら琴音が葵に抱きつく。
「きゃっ! こ、琴音ちゃん!?」
「おおっ。葵ちゃん、ふにふにだね。格闘とかしてるのにすっごく柔らかい。あはっ、気持ちいい♪」
「こ、琴音ちゃん。くすぐったいってば! み、耳! 耳に息が!」
モゾモゾと身を捩じらせる葵。そんな反応を楽しみつつ、琴音は何気なくペロッと葵の首筋に舌を這わせてみた。
「ひゃん!? そ、そんなとこ舐めないでよぉ」
「首筋はダメ? それじゃあ……」
過剰に反応する葵が面白い。故に少し悪乗り。
琴音は葵の左腕を取ると、おもむろに痣の部分に舌を伸ばした。
「こ、琴音ひゃん!?」
「ここだったらいいでしょ? やっぱ、傷は舐めて治すのがお約束だよね」
「な、治らないから! 舐めたって痣は消えないからぁ!」
「まあまあ」
葵の抗議の声を綺麗に聞き流して琴音が舐め続ける。ときどきハムッと甘噛みも。
「葵ちゃん、美味しいよ」
「も、もう! バカなこと言わないで」
琴音の言葉に葵が頬を赤らめた。
「ふふっ。葵ちゃん、かわいい」
「し、知らない!」
微妙に妖しい空気を漂わせる二人。
「さーって、ヒトップロ浴びよう……かと思ったんだ、ケド……」
そんな雰囲気の中に闖入者。レミィがガラッと戸を開けて入ってきた。
ハッと我に返った顔をして、琴音と葵が身を離す。
レミィは湯船にいる二人へと視線を送ると、大真面目にウンウンと頷いた。
「仲良きことは美しきかな、ネ」
「れ、レミィさん! 誤解しないで下さいね。これは琴音ちゃんがふざけて……」
「べ、別に変な事はしてないですよ! ただ、じゃれ合っていただけで……」
必死に弁明してくる葵と琴音。レミィはその二人にニッコリと優しく微笑みかけた。
「ごゆっくり♪」
無情にもピシャリと閉じられる。
「れ、レミィさーん! 違うんですってば~」
「ううっ、葵ちゃんの所為で誤解されたぁ。しくしく」
「わ、わたしの所為なの!?」
芝居がかった仕草で顔を覆う琴音に、自分を指差しながら葵が叫ぶ。
「そう、葵ちゃんの所為。思わずイタズラしたくなっちゃう程に可愛いからいけないんだよ、きっと」
「え? 可愛い?」
「うん。すっごく可愛い」
「そ、そう? ありがとう。――って、そんなんじゃ誤魔化されないんだから! 変な責任転嫁しないでよ!」
琴音に穏やかな笑みを向けられて頬を染める葵。だが、すぐに気を取り直すと声を大にして訴えた。
「……ちっ」
「舌打ちした!?」
「してないよー」
「ウソ。やっぱり琴音ちゃんはウソつきだよ」
葵がプイッと顔を背ける。
その葵に、琴音が背中側からギュッと抱きついた。
「あーん。そんなに怒らないでよぉ、葵ちゃーん」
「あっ。ちょ、ちょっと! そんなにくっつかないでよぉ!」
「葵ちゃん、ふにふにぃ」
「ひーん、琴音ちゃんってば~」
湯船の中で密着する琴音と葵。
二人のじゃれあいは再度闖入者に目撃されるまで続けられるのだった。
「なんというか、人間とは過ちを繰り返すからこそ人間なんだよね」
「そんな哲学的っぽいセリフなんかじゃ誤魔化されないから! 何人にも見られて、誤解されて……。うーっ、琴音ちゃんのばかぁ!」