『変化』
幼馴染みという枠を超えて恋人になって以降、俺とあかりの行動にはいろいろと変化が生じていた。
例えば、夕飯を作ってくれる機会が激増したりとか、
(ねえ、浩之ちゃん。今日のお夕飯、どうする? なにかリクエスト、ある?)
(あかりに任せる。おまえが作るのは全部美味いからな。全権委任だ)
口に出さなくとも、目と目だけで会話が出来るようになったりとか。
(そう? それじゃ任されちゃうね)
(おう。あっ、但し食費は……)
(二千円以内、でしょ? 分かってますって。大船に乗ったつもりで、あかりちゃんに万事お任せあれ。……なーんちゃって。えへへ)
以前から口パクでの意思疎通は可能だったが、最近はそれよりもランクが一つ上がっている。
文字通り目だけでコミュニケーションを成立させているのだから。
恋人同士の会話なんてものは出来れば他人には聞かせたくないワケで。ついでに言えば、得てしてその手の会話は、周囲の者にとっては迷惑極まりなく思われたりする場合も多々あるワケで。それが思春期真っ只中の高校の教室内などでは特にそういう傾向にあったりもするワケで。
だから、俺もあかりも、これに関してはかなり重宝していた。
(ところでさ、あかり?)
(なに?)
頬を微かに赤らめてはにかんでいる――先ほどの自分の発言に照れたらしい――あかりに俺は尋ねた。
(おまえ、ここの所、毎日の様にメシを作りに来てくれるけど……その……いいのか? おばさんとか、何も言わないのか?)
(うん。それに関しては全然問題ないよ)
(そうなのか?)
(わたしが浩之ちゃんの所に行かないとね、却って変な顔をされるくらいなんだから。『あら? あかりってばどうしたの? 今日は行かないの? なんで?』って素の顔で訊かれちゃったりもするし)
(そっか。なら、いいんだ。俺としてもあかりが来てくれるのは助かるしな。それに……)
(そ、それに?)
なにやら嫌な予感がしたのか、あかりが若干引き攣った顔で訊いてきた。
(あかりが来てくれると、美味しいデザートも堪能できるしな)
ニヤリとした笑みを浮かべてあかりに答える。
(デザート?)
俺の言葉の意味が分からず、あかりがキョトンとした顔になる。
――が、すぐに意図を理解したらしく、あかりの顔が急激に赤く染まっていった。
(……ひ、浩之ちゃんのえっち)
(はっはっは。そんなに褒めるな)
ちなみに、あかりとの『関係』はおばさん等も既に知っている。
だから、あかりが俺の所に『泊まる』のも両親公認となっていた。
付け加えるならば、応援すらされていたりする。
なにやら野望があるらしい。30代で孫がどうとかこうとか。
期待されたら応えるのが漢。従って、俺は可能な限り応じてしまっている次第なのであった。それはもうガンガンと。
尤も、さすがに高校生でパパになるつもりはないので、今はまだ色々と気を付けていたりはするが。
(褒めてないよぉ。もう、浩之ちゃんってばぁ)
口を尖らせて、拗ねたようにソッポを向くあかり。それも身体ごと。完全に俺に背を向けてしまう。
しかし、俺が何気なくボーっと視線を送り続けていると、すぐにこちらへと向き直った。多少居心地悪そうな顔をして。微かに苦笑を添えて。
(な、なに? そんなにマジマジと見られたら恥ずかしいよ)
(ん? いや、別に、な)
恋人同士となってから、あかりは俺の視線に敏感になった。
俺が目を向けると、あかりは必ず応えてくる。
これも幼馴染みの頃からの変化の一つ。
――いや、違うな。
即座に考えを振り払った。
この事に関しては、あかりは多分なにも変わっていない。
昔から、きっと小さな頃から俺の視線に敏感だったに違いない。
変わったのは俺の方。『あかりは俺の視線に敏感』という事実に気付けるようになった俺の方。
あかりを見る。応えてくれる。
あかりを見る。応えてくれる。
これが何度も繰り返される。
あかりを見る。応えてくれる。
あかりを見る。応えてくれる。
一日に何度も何度も。
以前とは比べ物にならない程に頻繁に繰り返される。
朴念仁な俺ですら『あかりは俺の視線に敏感』という事実に気が付けるようになるほどに。
ああ、なるほど。つまり、それほどまでに今の俺はあかりの姿を目で追いまくっているワケだ。
堪らず苦笑が漏れる。自分がどれほどあかりに惚れきっているのかを再認識させられて。
(浩之ちゃん?)
(んあ? ……あ、わりぃ。ちょっと考え事をしちまった。なんつーか、色々と思い知らされちゃってな)
困惑顔のあかりに、俺は頬を掻きながら返す。
(思い知らされた?)
(ああ)
頷くと、俺は――以前の俺ではとても考えられない様な――ストレートな言葉をあかりへと送った。
(俺があかりに心底惚れてるってことをさ)
そして、送りながら……不意に思った。
他にも変わった点は多々あると思うけど……ひょっとしたら、こんなセリフを臆面もなく伝えられる様になったのが最も大きな変化かもな。
――なんて愚にも付かない事を頭の片隅で。
ちなみに、二人の周囲ではなんとも言い難い空気が広がっていたりした。
面々の思いを代弁するならば、
『おまえらの席は隣同士なんだから普通に喋れよ』
で、あろうか。
微笑みあって目と目で会話。お互いに『分かり合っている』という親愛の気持ちが満ちていて。
はっきり言って、普通に会話しているよりも糖度は300パーセント増し。甘い。とにかく甘い。途轍もなく甘い。これは独り者には辛い。独り者でなくとも辛い。傍迷惑な事この上なし。
けれど、当の本人たちは、そんなことに全く気が付いていないワケで……。
このクラスの生徒たちが、当分の間は胸焼けに苦しめられる事になるのは想像に難くなかった。
まあ、これもまた予定調和である……かもしれない。
< おわり >