2009年10月25日
裁判員制度に「JAL並み」国家支援
本日は酔うぞ様のブログ記事経由、讀賣記事。深刻な経営難に陥っている日本航空(JAL)救済のために特別立法が検討されているとの内容ですが、経営難という理由があるにせよ、過去に結んだ契約を「後出しジャンケン」「ドロナワ」的な手法で新たに破棄できるような立法行為がまかり通れば、(特に国家など権力とは)ヘタに契約などできやしない事態にもなりかねません。そうなると、当然のことながら、市民は法律の存在そのものも信用できない、そして、こんな思想の法律を作る性格のある国は体制としてとても信用できないということになるのです。
こんな異常な法律を作ってまでもJALについては法的破綻を避けなければならない、との国の姿勢はこの国に根強く残る病理といわざるを得ません。言ってしまえば、JALは国家体制そのものの根底に関わる問題だから破綻すれば国家体制の崩壊につながる、だから何としても法的破綻を避けるべく擁護しなければならないという論理です。いわば親方日の丸の企業だからこそ何としても国が守り切る姿勢で、同じような論理は検察が歴代社長3人を不起訴にした件について検察審査会でその判断が否定されたJR西日本についても見て取れます。
国家体制の根幹に関わる問題だからこそ国が異常なまでの支援、擁護姿勢をまかり通す。まさに裁判員制度の推進手法そのものです。やらせタウンミーティング、世論誘導アンケート、司法の最高府であるはずの最高裁による違法・不正広報、候補者出席率のデータ歪曲、裁判員経験者への推進側に都合よい誘導尋問記者会見などなど、制度を守り切るためには何でもありのやり方です。ウスウス市民もこの制度自体のおかしさを何となく感じるムードは、いまだに世論調査で「参加したくない」割合が変わらないことでも明らかです。「裁判員制度はその存在そのものが明らかに胡散臭い」ムードがより高まる事態にでもなれば、市民はその法律の存在そのものを信用しなくなります。まして、裁判員制度は重罪事件を扱うことから国の統治の根幹に関わる政策ですから、裁判員制度の存在そのものへの市民的不信は、即、国家体制そのものへの不信につながります。
もっとも、この問題が国内レベルで押さえ込めるものであれば国民の不信をよそに人権弾圧的な手法をまかり通したところで、国際的非難を浴びようとも「わが道を行く」姿勢を権力側が貫き通せば(彼らにとっては)良いのでしょう。しかし、裁判員制度は国内レベルの問題ではとどまらない事態が考えられます。最も端的なのは、外国被告人が「裁判員制度は憲法違反」という訴えを国連に起こしたときです。それどころではありません。本エントリーでは触れませんので後日言及しますが、私は日本国籍の容疑者・被告人でさえもできることがあると考えております。(金額というよりは、思想的に)「JAL並み」ともいえる国家的異常な支援をしてまで擁護した裁判員制度が破綻する結末になろうものならば、「もっと前に引き返しておけば、国家全体の世界的信用失墜にまで至る事態は避けられたのに」とホゾをかむことになるでしょう。
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投稿者 高野 善通 : 21:41
| 裁判員制度徹底糾弾
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「後日言及」に期待しています。
たまたま目についたブログの中に次のようなのがありました。あまり教育現場での実態については取り上げられていませんが、この若手教員氏のように、深く考えることもなく推進派のお先棒を担いで善良な少年少女たちを洗脳している。各学校や学級では、模擬裁判などによって「さあ、裁判員制度が始まりました。みんなもやがては裁判員として選ばれる日が来ます。その時のために今から裁判というものをよく理解しておいて下さい」といったように、なにもかも決まっていることで国民としてこれに従うのが当然、という一方的な刷り込みが日々展開されています。私も教育界にかかわっていますが、特に若い教師ほど無批判どころか積極的に肯定して生徒たちに刷り込んでおり、また、校長ら管理職が学校全体の取り組みとして積極的に模擬裁判の授業をしているところもあり(以前、テレビなどで紹介されていたこともあります)、憲法違反の疑いが濃厚で、専門家の多くも批判をしている悪制度を教育の場で教え込むのは大問題。千葉法相があのような人だから、新文科相も教育現場での裁判員教育についてなにも言わない。
我々が日々こうやって反対のために動いていながら、自分の子どもたちは知らない間に学校で当然従うべき制度として教育されています。これもまた批判をしなければなりません。
[以下、引用]
社会科教師の実践記。
アクセスありがとうございます☆
中学校現場に立って3年目の24歳,毎日が本当に刺激の連続です。
「ひよこ」としての日々の実践,成長を書いていきます。
80,000アクセスを超えました!
今後ともよろしくお願いします!
裁判員制度の理解にこの1冊を紹介 [2008年10月15日(水) ]
宮沢賢治の作品の世界を通して、裁判員制度を理解するという内容については、以前もこちらに書いた。
この『宮沢賢治と裁判の話』の著者である、那珂川裕次郎先生(ペンネーム)とは現在も交流をさせていただいているが、とある所で私の紹介をして頂いたということもあり、再度紹介します。
できれば実際の劇も観ていただくと、さらにその面白さ、奥深さが分かるのですが、まずはご一読ください。
大変興味深い本です。
宮沢賢治と裁判。 [2008年03月09日(日) ]
土曜午前は部活の三年生を送る会。交流戦をおこなった。
午後は軽く仕事をしてから古河文学館へ。
古河簡裁判事の酒主さんを講師に講演会。
宮沢賢治の作品の中に出てくる裁判の話を参考に,明治憲法下の裁判と現行裁判の相違点をとらえながら,裁判員制度について考えるというもの。
例えば,黙秘権や判事の座席位置など,違いは多々みられる。
判事には事前に連絡をとっておいたこともあり,資料を送っていただいたことに加え,当日は近著も頂くことができた。ありがとうございました。
公の方なので,平日にゲストティーチャーとしてお呼びできないのが残念だが,選択社会の充実へのヒントとなった。
終了後はすぐに,部活の懇親会に参加。
明日はOFFということもあり,この時間まで呑んで帰宅した。
Posted at 02:38 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0) この記事のURL
http://edublog.jp/kubota-wataru/archive/242
[引用ここまで]
この人は茨城の中学校社会科の教師で1985年生まれ。ブログからは授業でどこまで、どのように生徒たちに「注入」しているか判然としませんが、推進派の本を宣伝したり、講演に参加したり交流している積極さからみて、裁判員制度の狂信的な信者であり、授業の余談などで本を進めたり制度を礼賛しまくっていることは想像に難くありません。選択社会の時間を持っているようだから、そこではいかにこの制度がすばらしいものかを公然と教授していると思われます。
直接このブログに抗議や批判のコメントを、とも考えましたが、推進派ばかりの者たちに囲まれてのぼせあがっている人には「バカな奴の吠えまくり」としか思わず、効果はない。それよりも、こちらはこちらでみなさんとこういった情報を共有することで、制度廃止の取り組みをより強くするほうが大所高所から立ち向かえるので、長くなりましたが紹介させていただきました。この手の現場での実践、取り組みは想像以上に広く憂慮すべきものになっています。
投稿者 縁有外史 : 2009年10月26日 05:45
>国民はいつから統治客体をやめて統治主体となったのでしょうか?代議制民主主義における国民主権とは、国民に選挙権が与えられているだけで、統治主体は選挙された議会・政府であり、国民はあくまでも統治客体であることに変わりはなく、ここに代議制民主主義のごまかしの秘密があるのです。国民が統治客体であるからこそ、憲法によって統治主体=政府の専制を防ぎ、基本的人権によって、統治客体=国民の権利を守らなければならないのです。もとより、地方自治体における直接請求権などのような国民の政治参加形態もありますので、すべての政治参加を否定するものではありませんが、司法制度審議会は統治と被統治の関係を否定し、いきなり統治機構の一翼=裁判に参加せよ、というのですから、まずはその意図をじっくりと吟味しなければならないのです。その意図とは、もし誤審・冤罪や政治判決があっても、裁判員という名の国民がこれに同意したのだから、その責任を国民に転化できるし、さらに、社会秩序維持の責任の一端を国民に担わせ、現行の国家体制の存続に国民を協力させることが出来る、ということです。
この社会防衛思想の最も極端な考え方は、ヒトラーのナチス諸法であり、悪名高い治安維持法でありました。これらの法の下では、容疑者の権利の擁護は皆無で、ひたすら重罪を武器に社会秩序の維持が追求されました。
◆上記は裁判員制度反対に関する投稿から引用させて頂きましたが
>社会秩序維持の責任の一端を国民に担わせ、現行の国家体制の存続に国民を協力させること
殆どの人々が否定できない子供たちの一般的社会生活に必要なな「法教育」、これを利用してあらゆる面で人権と憲法を阻害している「裁判員制度」を推進しようとしている姿は高野様がおっしゃってみえる「やらせタウンミーティング、候補者のデーター歪曲、裁判員経験者への推進側に都合の良い誘導尋問記者会見」に通じるものが有りやがては知らない内に徐々に強権国家に変わっていく事でしよう。
後の事は知らない!今は関係ない!と言うのではなく将来に渡り危険性が大きいものは排除するなり警鐘するのが現在大人の役目だと思いますが世の中もう飲み込まれてしまって居る様に思えます。
http://www.moj.go.jp/KANBOU/HOUKYO/kyougikai/index.html
上記の「法教育推進協議会」によりもはや国家体制で実質の裁判員制度教育が行なわれており未来の裁判員っ子の製造に先生方も協力して居るようです。戦後歴史教育で近代史が疎かにされ戦争の総括がシッカリされてこなかったツケが来たのかもしれません。
投稿者 ヒグラシ : 2009年10月26日 08:06
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