タイトル:蒼穹に浮かぶ君 『・・・・・、・・・』  遠くから、何か聞こえる・・・  フッと、意識が遠のく感じがした。  いや、意識はある。目の前には蒼い空・・・空・・・空・・・  耳からは轟音の中、オペレーターからの声も聞こえていた。  しかし、何を言っているのか、半分耳に入ってこない。  蒼穹の彼方。  高度59,000フィートまで上がってしまうと、そこは雲もなく。  さらにこの上空には、宇宙との堺があるだろう。  それはどれだけ綺麗なのだろうか・・・  そうしてハっとする。  そんな優斗の耳にシュゴーという音と共に男の声が聞こえた。 『おい、ぼーっとしていたら死ぬぞ・・・』 「あ・・・すみ、ません」  その呼びかけと一緒にため息が聞こえた。  後ろにいるヤガミは、一息、息を吐くと優斗へ着陸指示を伝えた。  優斗が乗っている機体は、タンデム複座練習機。  これは前席と後席の直列に座る座席配置となっている機体で後席にいるのが、航空機の操縦練習をしている優斗へコーチをしてくれているヤガミだった。  ヤガミからの指示を受け、優斗は飛行場にいる管制オペレーターとの通信を行うと着陸態勢へ入るため、高度を下げていった。  雲をすり抜け、さらに機体は高度を下げていく。  優斗の目の端に映る高度メーターは、55,000・・・50,000・・・45,000・・・と下がっていった。  そうして、高度が下がるごとに徐々に着陸地である、鍋の国の飛行場が見えてきた。  知らず、ふう、と息が漏れる。 『まだ安心するのは早いぞ。着陸してエンジン切るまで気を抜くな』 「うん・・・わかってます」  一息したのを聞かれ、叱咤されてしまった優斗。  心の中で姿勢を正すと、目視で滑走路を確認。  管制オペレーターからの着陸許可を待つも、それもすぐ下りた。  飛行場上空を2度旋回し、滑走路へ滑り降りてくる練習機を迎える管制官や整備士達。  エンジンのカットまで完了させると、操縦席から降りてくると、優斗はヘルメットを取ってその機体を見上げていた。  ヤガミはというと、飛行訓練のスケジュール管理を行っているアシスト陣へと声を掛けると、今日は終わりにするということを話している。  翌日の訓練についての話を話し終えると、優斗の元へと戻っていく。 「今日は、この後タッチアンドゴーも行うんじゃなかったんですが?」 「今のお前にさせれるか。あのままやってたら、滑走路に頭から突っ込むか、オーバーランして整備士とか巻き込んでの大事故起こすか、どのみち大惨事だ」 「・・・すみません・・・」 「・・・まだ、目が痛むようなら、明日は訓練休みにするが?」 「いえ、そういうのではないんです。ただ・・・」 「?」 「なんでもないです。僕も、少し整備に参加してきます」 「邪魔すんなよ」  ヘルメット片手に手を振って背を向けたヤガミを見送ると、優斗は整備士に混じって、練習機の整備に参加したのだった。 /*/  メインの整備は整備士に任せていたが、磨きなどは自分で行っていた。  格納庫で一人、練習機を磨く優斗。  この想いをどう形容したらいいのだろうか。  よく解らないけど、自分の中に燻る何かがあって、それが解らない。  そんなことを考えてはずっと同じところを磨いている優斗は、格納庫の人が出入り出来るドアの開閉が行われていたことには気付くことなく、磨きようのクロスを機体に添わせて上下させていた。 「あんまり一箇所だけ磨きすぎると、すり減るぞ」 「ヤガミさん・・・」  突然声を掛けられて、明らかな驚きを見せた優斗の反応に気を良くしたヤガミは、その手に持っていたホットコーヒーのカップを優斗へと手渡した。 「ありがとうございます」 「いや・・・しかし、心ここに有らず、って感じだな。何か心配事でもあるのか?」  どうしようか、と少しの逡巡した後、一休みついでに話してみた。  もしかしたら答えが見付かるかもしれない、と思いつつ。 「心の中に、何かがあって。それがなんなのか、が解らないんです・・・」 「何か?ってどんな?」 「どうって・・・ええと、訓練の日は朝から、こう『ドキドキ』と胸が鳴るんです」 「うん」 「不整脈かとおもうくらい」 「う、うん」  気のない返事をしつつ、カップを口へ運びコーヒーを一口飲むヤガミ。 「飛行場に来て、パイロットスーツに袖を通すと、手に汗が滲んで顔が熱くなるんです」 「それで?」 「こう、操縦桿を握ると、顔だけじゃなくて、身体全体が熱くなるんです」 「うん、そうだな」 「そうすると、なんだか、のぼせる感じがしてしまって・・・」 「それでボーってなる?」 「はい」  そう語る優斗の顔は、なんだか笑みすら溢れている。  どうやら本人は自覚していないようだが・・・? 「俺、それがどういうものか、知ってるぜ」 「え?」 「教えてやろうか?」 「はい!」  集中できなかった『謎』を知りたくて、妙に素直な優斗。  それに気を良くしたのか、ヤガミもあっさりとそれを教えた。 「それな、『嬉しい』って言うんだよ」 「え、そうなんですか?」 「知らなかったのか?」 「別に知らないわけじゃないですよ?『嬉しい』くらいは知ってますけど・・・」 「そうか、そりゃ悪かったな。じゃあ、こうだ。『すごく嬉しい』だろ」  鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、キョトンとする優斗。 「そうか、嬉しすぎてぼーっとしてたのか」  おもしろそうにそう言うと、くくく、と笑い出すヤガミ。  えー、と言う表情を返す優斗。  しかし、はっきり言われて、少しスッキリしたようだ。 「そうか。僕はすごく嬉しかったんですね」 「きっと、そういう感覚が久しぶりだったんだろう。だから、久しぶりに味わうその気持ちが何だったのか、気付かなかったから、ボーってなっちまったんだろ」  少し俯き、手にしているカップの中のコーヒーを見つめる優斗。  それを見て、ヤガミは聞いてみた。 「空、飛ぶの好きか?」 「たぶん・・・嫌いじゃないと思います」 「あいまいだな」 「そうですね。でも、嫌いじゃないからこそ、きっと嬉しいんだと思いますよ。また、操縦桿を握れたことを」 「そうか。これで、憂いが一つ無くなったな。明日こそ、タッチアンドゴー、やれるか?」 「はい」  清々しい表情を見せた優斗を見て安心するヤガミ。  正直、この状態のままで訓練を続けていいのか。  ヤガミは少し悩んでいた。  眼を悪くする以前も乗っていた、という話だったから、一度は訓練を受けているだろう。  だから、これからの訓練がいかに大変なのか、重要になってくるのか、はきっとわかっていただろう。  しかし、自分をコーチとして訓練を開始してからの数日、集中力が時折なくて冷や冷やしていた。  これじゃあ、無理ではないか、と。  だが、もうそれも悩むものではないようだ。  二人はコーヒーを飲み終えると、格納庫を後にした。 /*/  翌日。  今日も快晴だった。  しかも今日は雲ひとつ無い空だ。  最近やっとまた身体に馴染んできたフライトジャケットを着る優斗。  しっかり着込み、ヘルメットもかぶると、練習機へと急いで向かう。  練習機が格納庫から出され、パイロットを今か今かと待っていた。  昨日、優斗が磨きすぎたところだけ、少し他より光っている。  その練習機の傍ではすでに用意が終わっていたヤガミがいた。 「今日は、いい顔してるな。じゃあ、始めるか」 「はい。お願いします」  ヘルメットの形状上、全体の表情はあまり見えなかったが、目が違った。それだけで十分解った。  二人ともそれぞれ、コックピットへ乗り込む。  ベルトを締め、それぞれのスイッチを順にオフからオンへと切り替えていく。  インカムからは管制塔からのオペレーション。  次々点されるメーターの表示を確認していく。  その間のも、オペレーターからの声が耳に届いてくる。  声は違うけども、何か懐かしい気がした。  エンジンも温まって来たようだ。  全てがゴーサインを出していた。  エンジンの爆音が轟く滑走路。  そうして、優斗は空へと向かった。 『今日はタッチアンドゴーを行う』 「はい」 『今までの個々で訓練してきた動作をやっていくが、大丈夫か?自信がないなら、今の内に言え』 「大丈夫です、昨日みたいにうわの空ではないですし」  なら、とまず高度指示が来た。  一定の高度へと上がる機体。 『俺が「タッチアンドゴー」と指示したら、タッチアンドゴー。「フルストップ」と言ったら通常着陸の体制に入れ』 「はい」  ヤガミが管制塔にいる、訓練サポートのオペレーターに指示を出している間、優斗は頭の中でトラフィックパターンの確認をし、一連の流れのシュミレートを繰り返した。  そうして次の指示が来るまで、場周経路を旋回する。  眼下の鍋の国の飛行場滑走路を中心に、左旋回を行う。  旋回操縦は問題なさそうだ。  浮ついた感じもない。やはり昨日、話したのは良かったようだ。  そう感じたヤガミは、風向きをオペレートで再度確認すると、ダウンウィンドからベースレグを旋回段階で支持を伝えた。 『タッチアンドゴー』 「はい!」  ヤガミからの指示を受けると、ベースレグからファイナルへ入ると同時に、管制官へ優斗は伝えた。 「タッチアンドゴー」  それを受けたオペレーターも、宣言を受けてOKを出す。  操縦桿を握る指の力が微妙に強くなる。  着陸体制へ入りタイヤが機体の腹から出てくる。  耳でオペレーターの声を聞き、腕は操縦桿を操るのに力が出ていた。 『あまり力むな』 「はい」  ファイナルへと入り、機体は下降していく。  タイヤが滑走路へ当たると同時に機体が小さなバウンドをする。  そうして、滑走の操縦へと切り替え、滑るように滑走路を走っていた練習機は、しかし止まることはない。 『ゴー!』  ヤガミのその声と同時に、一度下げた動力源を再び離陸推力まで上げ、離陸体制に即座に入る。  轟音が再び滑走路を占めたかと思うと、練習機はすでに浮き上がる。  クロスウィンドへとの旋回、そこから再びのトラフィックパターンを何度か旋回する。  そうして、機体の旋回から機体の下降・着陸・離陸・上昇と、タッチアンドゴーを繰り返していた。  しかし、数度繰り返した後、フルストップの指示を受け、何度目かのベースレグからファイナルへの進入、オペレーターへの宣言を行った時だった。  機体が一瞬、下がった。 「!!?」 『立て直すぞ!』 「は、はい」  そう言われたものの、一瞬頭が真っ白になる。  ヤガミは、即座に操縦の主導を切り替えると、インカムを通して叫んだ。 『ウィンドシアに遭遇、ゴーアラウンドへ切り替える』 『わかった』  ヤガミと管制塔のやり取りは短いものだった。 『操縦桿を引け!』 「は、はい!」  オペレーターとのやりとりと、その他の管制をヤガミへ任せると、優斗は機体を立て直し再度上空へ向かうよう、操縦桿を引いた。  一瞬、滑走路が目の前に見えたかと感じたが、その前に機体は浮き上がることに成功し、どうにか危機を脱したようだ。 『昨日言ったことを実践するんじゃない・・・』 「す、すみません」  バツの悪そうな表情を浮かべ、今度こそ着陸を成功させると、エンジンを切った。  冷や汗で、背中が気持ち悪い。  そう思いながら、身体を固定していたベルトを外して、練習機を降りる。  後から降りてきたヤガミは、ヘルメットを取った頭にげんこつをひとつ落とした。 「いたっ」 「明日、また猛練習だからな」 「は、はい!」  そう言うと、昨日と同じように手を振りながらヤガミはその場から去っていった。 /*/  優斗がヤガミに褒められ、嬉しそうなその笑み浮かべるには。  それをユウが見れるのは、数日後の話。 【おわり】