奥さん、今日はたくさん買っていくんだねえ ええ、お客が来るのよ。たくさんね 60709002 市場にて キノウツンは砂漠の国である。 砂漠の国、西国において市場とはだいたい露天市の事を指す。 ほとんどの食材はここで揃うことから、誰もが利用している。 それこそ最近出来始めたムラマサ喫茶の店主は店で使う紅茶の葉やコーヒーの豆を仕入れ、どこぞの番長は昼飯をここで買っていったりもする。 その後眼鏡の女学生が喧嘩を吹っかけてきたりもするが、きっちり掃除していくので特に誰も気にしない。そんな市場である。 店主は暑い陽気に天幕の下で居眠りを始めていた。ちなみに天幕以外のところで昼寝するともれなく脱水症状に陥るところである。 それでも、店の前で立ち止まる客の足音が聞こえればぴくり、と瞼を開ける。客が来れば商売の時間だからだ。 緑色の長い髪をした少女は、ここいらでは有名な母娘の娘の方である。 「いらっしゃい」 「こんにちは、おじさん。牛乳まだある?」 「あいよ。さっきもお母さんが買い物に来てたけど買い忘れかい」 「うん、今料理してるから代わりに来たの」 「そうかい。何本くらい買ってく?」 「とりあえず10本頂戴。瓶はまたお勝手口に置いておくね」 「毎度、10にゃんにゃんだよ」 「ありがとー」 手を振りながら笑顔で立ち去る少女。何となく手を振り返すのは笑顔がいいからだね、と皆が言っている理由が何となく判る気がした。 さて、と呟いた主人はまた客を待つ事にし、目をつぶった。 十数分もしただろうか、二つの足音が店の前で止まる。 その瞬間ぱちり、と店主は目を開けた。 「いらっしゃい」 「わ」 驚いた声を上げて、妻が夫の後ろに隠れる。 何度か客としても来ているのに何故か驚かれる。顔か、顔が悪いのか。 「すいません、いつものありますか」 後ろに隠れた妻を気遣いながら、淡々と夫は口を開く。 「猫用の餌だね、あるよ」 「どうも。それじゃこれで」 「はい、5にゃんにゃんね。毎度あり」 「あ、ありがとうございました」 小さな声で妻が頭を下げると、無言で夫も頭を下げ、そのまま立ち去った。 あれがこの国で「一番」といわれる夫婦である。 あの二人によからぬ事をしようとすれば、その人物は国を上げて痛い目というものを思い知るであろう。 くわばらくわばら、と口の中で呟くと、店主はまたうとうとと居眠りを始めた。 どれくらい経っただろうか。ふと店主は目を開けた。 少し和らいだ日差しの中をえらく煤けた格好の少年が歩いている。 足取りは酷く重そうで、俯いた表情だった。 「これこれ、そこの少年」 店主の声に少年は足を止める。 「どこへ行かれるのかね」 「…家に帰るところ」 「何か、辛いことがあったようだが」 「関係ないでしょう」 「ないな。だが家に帰るところならそんな顔はやめなさったほうがいい」 「…」 「どんな辛いことがあったとしても、そこで立ち止まってはならんよ。前に進む事は今しか出来ないのだから」 「…」 少年は、何も答えずただ頭を下げて立ち去った。 「何を思っておるのかは知らぬが、星は廻るものだ。また前に進めるといいがな」 誰に聞くともなく、店主は呟いた。 もうすぐ月が昇る。月が沈み、日が昇ればまた一日が始まるのだ。 さて、と立ち上がった店主は品物を片付けることにした。何せ彼の一日は品物を仕入れるところから始まるのだ。 とっとと片付けて寝ることにしよう。