タイトル「また、遊びにこようね?」  詩歌藩国の春は遅い。 もともと寒冷地の多い帝國だが、その中でもひときわ厳しい寒さで知られるのがこの国だった。  ニューワールドで最初に春がやってくるのは、最北端にあるキノウツン、フィーブル藩国。 続いて南国であるレンジャー連邦や鍋の国など、共和国をひとしきり漫遊した後、帝國へと足を踏み入れる。 神聖巫連盟などの東国に桜を咲かせたあと、ようやく北国へとやってくる。  春の全国行脚はのんびりとしたもので、詩歌藩に本格的な春が訪れるのは、じつに一年の半分が過ぎる頃になる。  季節は五月。 まだまだ寒さが残る詩歌藩国の大通りで、経は手袋をつけずに歩いていた。  太陽が出ている日中とはいえ、それでも防寒具を減らす者はほとんどいない。  別段、経は寒さに強いというわけではなかったが、手先がつめたいとはまったく思わなかった。 経の右手を包むように、岩崎の左手が重ねられていたからだ。 冬の寒さから少しでも守ろうとするように、わずかだけ強く握られている。 「寒くはないかい?」 「はい、大丈夫です。 仲寿くんが手を暖めてくれてるおかげです」  そう言って、岩崎の手をきゅうと握り返す。 岩崎は嬉しそうに微笑んだ。 「ハイマイルも楽しかったけど、やっぱり詩歌藩国に戻ってくると落ち着きますね」 「そうだね。 帰ってきたって気がするよ」  詩歌藩王のおごりでハイマイル地区へ遊びに行ってから一週間。 移動にそれなりの時間がかかったこともあり、帰ってきたのは四日ほど前のことだった。  帰宅直後はお土産を配ってまわったり、旅行の片づけがあったりと二人で会う機会がなかったので、今日はのんびりと散歩兼デートの日とすることにした。  岩崎はふと空をあおぎ見た。 「晴れてよかったね」 「そうですねー。 お日様があったかいです」 「昨日は雪が降ってたから、もしかしたらふぶくかと思っていたんだけど。 杞憂でよかったよ」 詩歌藩国の降雪量は世界中でも最大規模になる。 真冬ともなれば雪で地表が埋まってしまうほどで、その間は家にこもり、雪解けを待つのが一般的な冬の過ごし方となっている。 春が近い季節とはいえ、ブリザードでもきてしまえば外出は非常に困難なのだ。 「それにしても、今日は人が多いね」 珍しく太陽がでるほど良い天気であるためか、その日の大通りは人であふれていた。 露天で商売を始める者や、竪琴をかき鳴らす吟遊詩人などが大勢おり、活気にあふれる光景だったが、歩き回るにはすこし苦労するほどだった。 「ちょっと寄り道してみようか」 大通りをはずれて細い路地へと入る。 人々の喧騒が遠のき、静けさが降りてきた。 「えへへー、静かです」 人が少なくなったからか、経は岩崎の腕を抱きしめるように身を寄せる。 岩崎はなによりもうれしそうに笑って、あいたほうの手で経の髪を撫ぜた。 しばらく裏通りを歩いていると、小さく歌うような音が、遠くから聞こえてきた。 「なにか聞こえますね」 「うん、なんだろう。ちょっと行ってみようか」 風にのって流れてくる音を頼りに小路を進む。 何度か道を曲がっていくと、明るい開けた場所に出た。 そこはちょうど、建物と建物のあいだにあるちいさな広場のようだった。 ぽっかりと円形に切り取られた空間で、人々が踊っていた。 中央で楽団が演奏しているらしく、その陽気な音楽に合わせて人々は手をとり、歌い、踊っている。 まるで夜明け前の酒場のような盛り上がりで、誰もが楽しげに踊っている。 広場の端にはいくつかの屋台が軒を連ねており、食欲をそそる香りがただよっている。 「おおー。 なんでしょう、お祭り?」 「そのようだねぇ。 なんの祭事かわからないけれど」 広場の端で二人が立っていると、男が声をかけてきた。 「やぁ、どうしたねお二人さん、そんなところに突っ立ったままで。 今日はめでたい日だ、歌って踊ってたらふく食べるといいぜ!」 「いやぁすみません、たまたま通りかかったものでよく事情を知らないんです。 いったいどんな催しなんですか?」 岩崎の問いに、男は中央の楽団を指差した。 7、8人ほどの楽団の横で、一組の男女が踊っていた。 一人はタキシードを着た年若い男性のようだった。 もう一人は遠目からでもよく目立つ格好をしていた。 純白のウェディングドレスを着ている。 どちらも特別に防寒具をつけているわけではなかったが、不思議と寒そうには見えなかった。 なぜかはわからないが、この場にいる誰よりも嬉しそうに見える。 「あの二人は俺の幼馴染でね、今日が結婚式だったんだ。 んで、今は町内会主催の二次会の真っ最中ってわけさ」 「わー! 結婚式! おめでとうございます!」 「おうよ! まぁここで会ったのもなにかの縁。 よかったら楽しんでいってくれな!」 陽気に笑って、男は去っていった。 「楽しそうですね! おめでたいです!」 「そうだね。 せっかくだから、おじゃましていこうか」 せまい広場の中を、慎重に歩く。 場所のせまさとは裏腹に、ずいぶんと人は多かった。 はぐれないようにしっかりと手をとりながら進む。 最初に二人が目指したのは、広場の中央、楽団のいる場所だった。 すぐ近くで見るその一団は、一言でいえばバラバラだった。 まずもって身なりが統一されていなかった。 ごく普通の主婦がいた。 年老いた老人がいた。 コックが、大工が、格闘家がいた。 おおよそ共通点と呼べるものがまったく見つからない人々が、それぞれの手に楽器を持っていた。 主婦がヴァイオリンを、老人がフルートを、コックがトロンボンを、大工がチェロを。 ちなみに、格闘家はなぜかシンセサイザーだった。  おそらくはそれぞれが得意な楽器を持ち寄っただけで、編成もなにもないのだろう。 だがそれでも、それぞれのつむぎだす旋律という糸は十重二十重に織り込まれ、美しいハーモニーをかなでていた。 「すごい!」 間近でみる音楽という芸術に、経が興奮する。 犬妖精であればしっぽふりふりな具合だった。 「この国の人なら、ほとんどみんな楽器を演奏できるからね。 国の方針で芸術振興をしたおかげさ」 そう言って、岩崎はポケットからオカリナを取り出した。 薄い緑色をしたシンプルなものだった。 そのまま、するりと楽団の中へと入っていく。 陽気なワルツの中に、オカリナの旋律が加わった。 町会楽団の演奏もそれは上手いものだったが、岩崎のそれは、即興とは思えないほど見事なものだった。 聞いていただけで曲を覚えたのか、よどみなく音を紡いでいく。 しばらくして曲が終わり、短い休憩時間がやってくる。 「仲寿くんは楽器も得意なんですね。 知らなかったです」 「レムーリアでとった杵柄といったところさ」 そんな話をしている二人のもとへ、フルートを手にした老人がやってきた。 岩崎のとなりで演奏していた人物だった。 「なかなかどうして、やりおるのうお若いの」 「やぁ、お邪魔してしまってすみません」 声をかけられた岩崎が軽く会釈をしながら謝罪する。 いきなり楽団に混じって演奏したことについて謝っているようだった。 「いやいや。 宴の席じゃ、かまわんよ。 腕のいい演奏家は大歓迎じゃ」 「ありがとうございます。 お爺さんも、とてもお上手でしたよ」 「ハハハ、そりゃ嬉しいね。 まぁ気が向いたらまた演奏しておくれ」 もっとも、彼女の相手に忙しいかもしれんがの、と言って老人は演奏に戻っていた。 笑顔で手を振る岩崎。 「えへへ、彼女って言われちゃいました!」 「うん。 そう見えるのは嬉しいね」 つくりものではない笑顔で向き直る岩崎。 大切なものを見る目で経を見つめる。 「こんど楽器の練習してきますね。 そうしたら一緒に演奏できます」 「いいね。 教えてあげるよ。オカリナでよければだけど」 「ほんとですか!? わーい!」 うれしそうにはしゃぐ経を見て、岩崎は心の中でメモをとった。 またひとつ、デートに誘う口実ができたなと、そう思った。 /*/ 楽団からはなれ、二人は屋台を見てまわっていた。 酒場のような、夏祭りのような、なんとも不思議な集まりだった。 「いらっしゃいいらっしゃい! シシカバブのステーキだよぉっ! アツアツの焼きたてだァ!」 おおよそ結婚式とは思えない、威勢のいいかけ声が響き渡る。 フィッシュ&チップスやビール、ロブスターなどが売られている一方で、やきそばやりんごあめ、わたあめなども売られていた。 どうも日本風と外国風が混じったような店並びだった。 「いろいろあるね。なにか食べるかい?」 「うんと、そろそろ3時なのであまいのがいいです」 「となると、あのあたりかな」 岩崎が指差したのは、クレープの屋台だった。 ホットケーキの生地を丸い鉄板に薄く広げ、器用にクレープ生地を作っている。 店員は手馴れた様子で、生地を薄く引き延ばしてはこげる前にはがすという作業を続けていた。 「あれ? 士具馬さん?」 「あらー。こんばんわん、経さん」 クレープの屋台で働いていたのは経の友人、士具馬 鶏鶴だった。 「知り合いかい?」 「あ、はい。 士具馬さんといって、私のお友達です」 「こんにちはー。 岩崎さんですよね、お話はよく経さんからうかがってます」 笑顔を浮かべつつも、それなりに忙しいのか、士具馬は手を止めずに応対する。 手元をまったく見ていないにもかかわらず、動きには微塵も迷いがない。 身体に染み着くほど手慣れた様子だった。 「士具馬さんはですねー、文族さんなんです」 「へぇ、それはすごいね。 文族といったらマイル支給のはずだから、高給取りじゃないか」 そこまで言って、ではなぜこんな屋台の店員をしているのかと岩崎は疑問に思ったが、その疑問はすぐに解消された。 「いやー、マイルはもらうとすぐ募金しちゃって……万年貧乏なんですよ、恥ずかしながら」 気恥ずかしそうに士具馬は頭をかいた。 本人は特に語ろうとはしないが、なにかしらの信念があるのか、この人物はあえて貧乏に過ごしている節があった。 「募金、ですか」 「はい。 まぁバイトすれば食うには困らないので、誰かの役に立てばいいかなと」 そんなことを知ってか知らずか、岩崎の目にはこのモヒカンの青年が好ましい人物に写っていた。 「よっし、それじゃデート中のおふたりに心ばかりの贈り物をさせてください」 そう言った士具馬は見事な手並みでクレープをふたつ作った。 チョコレートにバナナ、生クリームを順番に散らしていく。 最後にアクセントのポッキーを挿して完成したのは、チョコレートバナナクリーム(5わんわん)だった。 「わー! ありがとう!」 「いやぁ、これはありがとうございます」 「いえいえ、ほんの気持ちですから。 おふたりのしあわせを心から祈っております」 にこりと笑って士具馬は作業に戻った。 屋台からすこしはなれたところで、さっそく経がクレープをくちに運ぶ。 「おいしい!」 笑顔で万歳の体勢に入る。 岩崎の好きな笑顔だった。 うれしいことを素直にうれしいといえるのは美点だと、岩崎は常々思っていた。 見れば、おおきく頬張ったせいかほほにクリームがついていた。 ハンカチを取り出そうとして、思い直す。 「ちょっとごめんね」 ごく自然に経のほほへ顔をよせる。 そのまま舌でクリームをこそぐように、なめとった。 「ひょあ!」 驚きすぎたのか、甲高い叫びがのどからこぼれ出る。 経はそのまま顔を真っ赤にして、ばたばたした。 「うわー、不意打ちでした。 でもありがとうです」 「うん。 まぁ恥ずかしいけど、たまにはいいよね」 岩崎はにこっと笑った。 なんの考えもなく、ごく自然に、ただうれしくて笑っていた。 経もまた、笑顔で返した。 今、自分の目の前で彼がうれしそうにしていることが、うれしかった。 ふいに岩崎はまわりを見渡した。 広場はますます盛り上がり、二人に注目しているものは誰もいない。 唯一、目が合った士具馬は空気を読んで、明後日の方向を見はじめた。 心の中で感謝して、経に向き直る。 岩崎はゆっくりと、経の唇に顔をよせた。 口付けは甘く、チョコとクリームの味がした。