世界という機構の中に、小さな小さな運命の時計が存在した。 これはその時計を動かす、二つの歯車のお話。 最初からその二つがぴたりと互いに噛み合って動くように定められ、創り出された、二つで一つ、一つで二つの部品のお話。 工房の喧騒に、優羽玄乃丈は顔をしかめた。常人でさえ耳に響く騒々しさに、人一倍鋭敏な感覚を持つ彼がそんな表情をするのも無理もない事。そんな彼の特性を知る妻のカヲリは、喧騒に小さく声を漏らした後、彼を気遣った。 「音、気になります?」 ついで、聴覚の鋭い玄乃丈ではあるものの、もしかしたら、元来の小さなカヲリの声では騒音に紛れて聞こえないかもと思い、カヲリは大きめに口を動かして問い直す。 「大丈夫ですか?」 玄乃丈はそれに対し、肩をすくめるようにした後に帽子を軽く押さえながら、まあまあ、だな、と答え、それより、と言葉を繋ぐ。 「作業はいいのか?」 「あ、は、はい。ええと」 聞かれたカヲリは、一瞬慣れない工房の使用方法に気を巡らせて、勝手に作業――父親の形見である時計の修理を始めて問題無いと判断すると、自分自身に確認するかのように軽く頷いてから、材料や工具を並べだした。そんな様子を見て微笑む玄乃丈に気がつくと、 「が、がんばります」 そう、意気込んだ。そんなカヲリに対して、顔に微笑みを浮かべたまま 「よし。終わったらデートにでもいくか」 「はいっ」 嬉しい提案に、思わず、声の上ずるカヲリ。既に夫婦ではありながら、まるで付き合いた初めの恋人たちのように頬を真っ赤に染めた。 「がんばりますっ」 と改めて宣言するように意気込み、父の形見である腕時計の分解に取り掛かった。故郷である廃園のエリート層であった技術者の父の血を継いでか、元来こういった機械いじりが得意中の得意である彼女は、緊張で顔がやや強張っているもののその手先は震えることなく、内部の構造を確認しながら順調に個々の部品を取り外していく。 作業台の上に置かれた間仕切りのある箱の中に次々と、分別されて部品が入れられていく。時計にとって大切な、サファイアで出来た軸受けは破損していない事を丁寧に確認し、何処かへ紛れたり、傷が付いたりしないよう、これは専用の入れ物に入れた。  「それから…」 其処で一つ、息をついてから、今度は次々と箱の中から部品を取り出し、ある時は適切に材料を補完して、時計の外枠の中に部品を組み立てていく。分解された時と同様の速度で、まるで部品が元の位置に戻ろうとする自らの意思を持っているかのように組み合わさって行く機械達。隣で感心するかのような玄乃丈の声が漏れたが、集中しているカヲリの耳にはそれは届かず、普段のように頬を赤らめる事もなく淀みなく手を動かし続ける。 そうして数分の後、最後にと文字盤を嵌め、よし、と思った瞬間、目を疑った。やった視線の先に本来嵌るべきだろう部品が転がっていたのだ。 「あれ?」 玄乃丈がそれを眺めて笑うのに対して、カヲリは耳まで赤くなるのを感じながら、違和感を覚えた。今まで時計の修理の手順などは手に染み付いており、部品が余ろうものなら即座に気がつかなければおかしいはずなのに、と。先程分解するときに記憶した内部の構造と照らし合わしても、特に違和感がない。だからこそ、違和感を覚えた。緊張して間違えたのだろうか。緊張の理由は、父の形見の時計だからか、横で玄乃丈が見ているからか、それともその両方か。 「も、もう1回…」 分解を始めながら、考えた先に心当たりが一つ。 「土屋さんが以前、分からない回路があったって、言ってたんです」 かつて、かの地で友が時計を調べてくれた時の言葉を思い出す。そして、建設者――機械の群れを惹きつけていた時計の力。しかし、さっきはそんな回路が存在しただろうか? 時計に視線を集中させながら、カヲリは口を開いた。 「あ、あのそういば、廃園で壊れた時計を、玄乃丈さん、修理して私にくれたのですけど、修理はどなたにお願いしたのでしょうか?」 「そりゃもち・・・」 造作もなく答えようとした玄乃丈の声が途中で止まる。そして、 「秘密だ」 そう、回答を打ち切った。 えっ、と振り向いて問いたげな表情を作るカヲリから目を逸らして、 「いいから修理しろ」 「は…はい…」 と、そう答えるばかりで、カヲリは多分これ以上問い詰めても教えてもらえないであろうことを長年の付き合いから直ぐに判断し、割り切れない感情を抱えながらも、時計の分解を終え、再構築に移ったが。 「あれ?うー…」 再び、部品が余った。 余ることがないように先ほどよりも丁寧に気をつけて組み立てていたにも関わらず、だ。 傍らで心配そうに時計とカヲリを見ている玄乃丈に軽くもたれかかりながら、友が構造を調べてくれた時に述べていた言葉を辿る。 「なんていってたかな…」 冒険者然とした格好でありつつも、線の細い記憶の中の友が思い浮かぶ。 あの日は、酒場で、時計を前にして、友は眼鏡をはずして少し下を向いて……。 そうだ、顔をあげたと思えば、 『わかんないのをあまったところにつめこんだ』 にっこりとした笑顔で、更には握りこぶしに親指を立ててそう言い放ったのではなかったか。 「だ、だめな気がしますっ」 ばん、と思わず机を叩いて記憶の中の友に突っ込むカヲリ。あの時も確かこんな風に突っ込まなかったか。既視感と軽いめまいを覚えて、すこしふらっとしたカヲリの頭を、玄乃丈が撫でる。そして、カヲリを包み込むような優しい声色で問いかけた 「余った部品はなんだ?」 「え、ええと」 再び余った部品を手にとって、間違って何処かに行くことのないよう、手元でそれを示す。 「これです」 玄乃丈は顔は近付けずに遠目にそれを見て、何事か考えだした。 「…ど…どう思います?」 おずおずと問うカヲリに対し、いや、と首を横に振ると、 「詳しく調べてみろ。なんの役割をするのかを」 そういって、傍に置いてあった拡大鏡をカヲリに手渡した。 「は、はい」 そう言われて、改めて丹念に部品を調べだす、カヲリ。まずその形状は一目見てわかるようにネジだった。ただし、それは酷く古風なもの。 「ネジ…です。」 そして、そのネジの内部が何か動いているような気がして、カヲリは更に覗き込む。すると、動いていたのは小さいネジの中に存在するさらに無数の小さいネジで、更に驚くべきはそれらの内部にはそれぞれさらに小さいネジがあり、万華鏡のようにくるくると回り続けていた事だった。思わず感嘆の声が漏れる。 「…これ、すごいです」 「そうなのか?」 「からくり…?歯車みたいです」 「どこにはめるんだ?」 成程、と頷いた玄乃丈が導くように質問を続ける。最初に腕時計として存在していた時、ネジが何処に存在していたか、記憶を辿る。何故か記憶が曖昧になっているが、文字盤を支えるところだった気がした。そういえば、時計をきちんと修理してくれた人はどうやって直したのだろうか。 「…あの、時計をなおしてくれた方…何か言っていませんでした?」 「めずらしいとはいってたな」 「でもその方は、ちゃんとこのネジつけられたのですよね…」 「まあ、そりゃ、な」 おぼろげな記憶を頼りに、ネジを其れらしき場所にはめようとするも、どうしても嵌らない。なんで、どうして、とカヲリは涙目になりながら、玄乃丈を上目使いに見た。 「はまらない…」 何処にはまっていたか、思いだそうとすれば思いだそうとするほど記憶は拡散していくような感覚に襲われる。 「な…なんか記憶が」 まるで、魔法をかけられているかのようだ。そう思ってから、その可能性に思い当たる。 「玄乃丈さん、ネジを間近で見てないですよね?」 「ああ。見てない」 これが、魔法か、もしくはそれに準じる不思議な力によるものだとしたら?そんなものは存在しないなどと鼻で笑って考慮から外してしまうことなど、今までそういった類の力を実際に目の当たりにしてきたカヲリには出来なかった。だとしたら、その発動条件は? 「ネジ、どの位置にあったか、覚えていますか?」 振りむいて問うカヲリに、玄乃丈は片眉をあげ、疑問そうな表情を作った。 「時計の中にあった時。私が分解する前です」 腕を組んで、其処から顎に片手をやると、宙に視線を彷徨わせ、記憶を辿る風な玄乃丈。そうして数舜の後、カヲリに視線を戻し、 「真ん中だな。たしか」 「真ん中…」 玄乃丈の言葉を、確認するように呟くカヲリ。 自分の記憶と誤差がある。 カヲリはすぐさま作業台の上に目を走らせると作業用の細い錐を手に取り、玄乃丈に渡した。 「どこだったか、触らないようにしてこれで細かくしめしてください」 玄乃丈の記憶も改竄されていないとは限らないが、改竄されていなかったとしたら大切な情報だ。既に改竄されているらしき自分の記憶とは食い違っているところをみると、玄乃丈の記憶は改竄されていない可能性の方が充分に高いように思われた。出来る限り、不思議な力の発動条件を満たさないように注意を払わなければならない。一先ず、玄乃丈の所から視認するだけでは、記憶の改竄は行われないようだ。ならば、発動条件は接触だろうか?そう思考を巡らせての行為である。 「細かくじゃなくて、詳しく、でした」 と、ネジの取り扱いばかりに気がいって、言葉がうまく言えていない事に気が付く。そう訂正してから、一度深呼吸をして気を落ち着かせると、 「この桐の先で、示してみてください」 そういって玄乃丈を見上げた。頷いて錐をとった玄乃丈の指示した先は、カヲリが先程挑戦した場所とは違い、まさしく時計の中心部だった。其処にネジを持っていこうとするが、ネジを嵌めるためには全体の構造を変えなければいけないことに気が付き、手を止める。 「ど…どうしよう…」 少し悩んだ末、玄乃丈に時計の中を見せた。 「あなたの記憶の中の腕時計の構造と、今の構造、違って見えますか?」 「今の私が組みなおしたほうの構造です。違うように見えますか?」 カヲリの質問に、玄乃丈は記憶を辿るまでもないといった風に即座に頷いた。 「全然違うな」 「ありがとうございます」 玄乃丈の言葉に、現状の時計の構造に見切りをつけ、真中にネジが入るように組み直していく。頭の中の霧がさっと晴れていくかのように、ネジに纏わる記憶が形を変え、鮮明になっていき、だんだんと時計の完成形を頭の中で形作っていく。それに従って手先を動かし、とうとう一つの部品も余らせることなく時計の内部構造が完成した。 「あ…」 そう声をもらし、カヲリは玄乃丈に振り向く。 「でっできましたっ」 「よしよし」 「よかったですー。」 玄乃丈は、カヲリの頭にぽんぽんと手をやる。それに対して、カヲリはえへーと微笑んだ。 今まで辺りに張り詰めていた緊張が霧散し、一気にほのぼのとした雰囲気になる。 「ありがとうございます。玄乃丈さんっ」 その言葉に玄乃丈の口元が緩めば、 「ふふっ」 カヲリの口からは笑いが漏れた。 「どういたしまして」 玄乃丈は芝居がかったように帽子をとって胸に当て、軽く頭を下げる。 カヲリはにこにことそれに笑顔を作ってから、掌を組んで上に大きく伸びをした。作業台に向かって凝った筋肉が伸ばされ、思わず声がでる。ふぅ、と軽く息をつくとともに腕を下ろして、カヲリは玄乃丈を見上げながら口を開いた。 「途中で記憶が変になっちゃってどうなることかと思いました」 頭の中に先ほどまで巣食っていたもやもやの残りを払うかのように、カヲリはぶんぶんと軽く頭を振る。 そして机の上の、まだ内部構造が丸見えになっている時計に目をやった。 「…これで蓋が閉まれば、音漏れもしないですし」 「防御の守りだろうな。うるさいのはこの工房だ。他でも作業してるだろ」 カヲリを気遣って、長い事耐えていたのだろう。修理も終わって気が抜けたのか、ぼそっと玄乃丈の口からそんな文句が漏れた。 「そうですね。」 頷いてカヲリは周りを見渡す。作業中は集中していた為に気にならなかったが、集中が途切れると一気に様々な音が耳に押し寄せてきていた。心なしか、先程よりも更に人が増えた気がする。 「工房、かしていただけてよかったです。お礼言わないと」 多少、周囲は煩かろうが、作業出来ただけでも重畳である。時計のような精密機械、更には元々中の構造が理解できていないものを扱う場合には作業場 所は非常に重要だ。勿論集中できるような静かな環境があれば十全ではあったが、細かな部品の働きを阻害しないよう塵ひとつ落ちていない作業場はそれなりに 立派であった。 「防御の守りってなんですか?」 その前に玄乃丈の言った聞きなれない言葉がカヲリの気を引いた。 「まあ、なんだ。魔法の用語だ。被ってるように聞こえるが、お守りってあるだろ」 少しばかり面倒くさそうにしながらも、説明しだす玄乃丈。 「はい。」 一般的なお守りを頭に思い浮かべ、成程、そっちだったか、とカヲリは頷いた。 「機械に…魔法がかかっているのですか?」 一般的にはファンタジーと科学は相容れないように思う。とはいえ、思い返してみれば故郷である廃園にも、今思うとその両方が絡んでいたのではないか、と思われるようなものは存在する。 「ああ。守りを護符(タリスマン)という。正確には付与なんでエンチャントだな。防御のエンチャントが掛けられている。で訳すと防御の守りで」 玄乃丈は其処まで話しながらカヲリの様子を見、あまり理解できていないのを見て取ると肩をすくめた。 「まあ、どうでもいい」 詳しく説明するには時間がかかるし、難しい。ある程度重要な事項ではあるが、大切なのは原理ではない。その言葉に、えーという表情を作るカヲリ。何かしら考え込むように下を向いてから顔をあげ、小首を傾げた。 「今後気にしなくて大丈夫そうでしょうか、このことについて」 「いや、知っておいていい。その時計は何十にも防御策が張り巡らされているし、コピーは作れないようにしてある」 大切なのは原理ではなく、それが存在する意味。 何故、時計はこうも護られているのか。あのネジの意味は。 如何にこの時計が廃園という舞台にとって重要な位置を占めるのかが、思い知らされる。 「はい」 カヲリもそれを感じ取って、神妙に頷いた。 「ありがとうございます」 説明してくれてありがとう、と。 「効果があるんだ」 「あ、あとは何か…効果、どんな効果ですか?」 自分の声が被った玄乃丈を聞き返した後に、すぐさま言葉の意味にカヲリは思い当たった。 「あ、コピーされないようにですね」 「組み立て、したんだろ? もう使えるはず」 玄乃丈はカヲリの言葉に頷くとそう言って、何時までも開けっ放しになっている蓋を視線で示した。 「は、はい」 促されて、カヲリは時計の蓋を閉め、時計を起動させる。 すると、かちり、と音がして時計の全ての針がくるくると一斉に回りだし、二人が見つめる中、それらはやがて、まるで羅針盤のように一つの方向を示して止まった。 「あ…」 思わず、声を漏らすカヲリ。時計の角度を変えても、それに合わせて時計の針は位置を変え、一つの方向を指し続ける。指示される方向、其処には丁度 窓があり、その向こうには青空が覗いていた。二人でしばし、その方向を見つめた後、まだその先に何か見えはしまいかと目を凝らす玄乃丈に、カヲリは振り向 いた。 「行ってみていいですか?」 時計を握りしめ、逆の手で玄乃丈の服の裾を掴む。 「一緒に」 置いていかないで。共に歩んでほしい、と。 行動こそ、比較的控え目ではあるが、その眼には強い意志が宿っていた。 「はいはい。まあ、結婚前からそうなるとは思っていたよ」 玄乃丈はそれに対し、苦笑の端に少し嬉しさと優しさを滲ませて笑うのだった。