喫茶いつかのバイトであるモカが、マスターの松井総一郎からお遣いを言い渡されたのは、約1時間ほど前だった。  FEGの城下町にある商店街の行きつけの店まで行って、注文してあったコーヒー豆を買って来ると言う簡単なお遣いである。普段、店で出しているコーヒー豆の種類とは違う豆なので、別便で取り寄せてもらっていたのである。 ”はーい、いってきますー”と答えてお使いの準備をするモカを眺めてキッカリ10秒考え込んだ総一郎は、思い直したように首を振り、すぐ横に行儀良く座っていた柴犬営業部長に目くばせを送った。  目くばせを送られた部長も、総一郎と同じくモカを眺めてキッカリ10秒考え込んだが、分かったとばかりにワンと一吠えした。そして、モカが乗った自転車に飛び乗り、一緒にお遣いに行く事にしたのである。 /*/  そんな訳で、少女を乗せた自転車がFEGの城下町を軽快に走っている。自転車の銘は妖精号(笑)モカバージョン。松井夫妻が持つ妖精号(笑)に憧れたモカが、バイト代をはたいて購入した自転車である。  前面のバスケットには柴犬営業部長が畏まった顔というか、ひきつった顔で納まっており、これから始まる苦行、もとい、お遣いが早く終わってくれることを切実に願っていた。ちなみに、この自転車、前面のバスケットに柴犬営業部長を乗せるため、荷台に荷物カゴのオプションが装備されている。 「さあ、はりきっていきましょー」  ちょっと間延びした声を柴犬営業部長に掛けながら、モカは力いっぱいペダルを漕いでいた。 「きゃぅ」  直後、小さく悲鳴を上げる柴犬営業部長。小さな段差を乗り越えたのである。  モカ達がお遣いに行くためのルートは、きちんと整備され舗装もされている自転車専用レーンなのだが、小さな段差が全く無い訳ではなく、いくつかの小さな段差があった。  そして、その段差を乗り越えるたびに、バスケットに納まっている柴犬営業部長には、結構な衝撃が伝わってくるのである。元々、荷物を乗せるバスケットなので対衝撃性など考慮されているはずもなく、当然と言えば当然である。 「あー、部長ー。静かにしないとみなさんに迷惑ですよー」  ここでモカを責めてはいけない。なにせ、自分がバスケットに納まり自転車を走らせてもらったことなどあろうはず無く、バスケットに乗っているとどれくらいの衝撃があるかなど、全然想像していないのだから。  それに、モカが自転車を買った時に、調子に乗ってバスケットに乗ったのは柴犬営業部長自身であった。それ以来、妖精号モカバージョンのコパイ席はバスケット、パイロット席はサドルと決まってしまったのである。 「わぅ」  分かったと、振り返りモカに答える柴犬営業部長は、バスケットにしがみつく手に力を入れなおした。 /*/ 「んふふふふー」  商店街の行きつけの店でコーヒー豆を無事購入し、喫茶いつかに戻るモカは上機嫌だった。  コーヒー豆を受け取った店では、いつも注文してくれるからと、おまけでケーキを貰ったし、道行く人からは優しく声を掛けられる。この辺りは、古くからの住人が多く、FEGが急激に発展してからも脈々と受け継がれている砂漠の民の気質が色濃く残っているところなのだ。 ”にゃんにゃん共和国で犬小屋作ったら怒られますか” ”そんなことを気にしていたら立派な猫にはなれません”  これは、昔にゃんにゃん共和国で人気の子供番組の中で言われていたことだったが、それを地で行く商店街でなのである。  犬妖精であるモカと柴犬の営業部長が猫の国で生活していたら何か問題になりそうなものだが、そういったことは無く、むしろ、宰相府からやってきた2人の世話をあれこれ焼く者や、犬の国の話を聞きたがる者が多かった。  少し前に起こった、通称”夢の件事件”でFEGも少なからずダメージを受けていたが、世話好き話し好きな所は変わっておらず、数は減ったものの、モカたちに声を掛ける住人は多かった。 「この街もずいぶん人が減っちゃいましたねー」 「わん・・・」 「この前お話しした果物屋さんのおじいさんも亡くなられたそうですよー」 「わぅ・・・」 「最近おちついてきたから、早くいつかちゃんに会いたいです。いつになったら会えるんでしょうねー」 「わ、わん」  商店街を歩いている人影の少なさに、モカの話を神妙な顔をして聞いていた柴犬営業部長だったが、いつかちゃんに会いたいと言う話題のとびっぷりに困惑し、危うくバスケットから落ちそうになった。  この時のモカは、総一郎が店に出すのと違うコーヒー豆をわざわざ注文して取り寄せているのか気付いていなかったのである。 /*/  柴犬営業部長はモカの運転する自転車に揺られ、喫茶いつかに辿り着いた頃にはフラフラになっていた。フラフラになりながらもようやく従業員出入り口という名の裏口から店の中に入った柴犬営業部長は、勤務先の名前にもなっている松井いつかその人に出迎えられた。 「こんにちは、部長」  いつかはしゃがみ込んで柴犬営業部長の頭をわしゃわしゃ撫でて挨拶をした。対する柴犬営業部長は、いつかの顔をぺろぺろなめて歓迎の意を表すことにした。 「総一郎、モカちゃん、いますかー?」  部長の熱烈な歓迎を受けながらも、柴犬営業部長と共にこの場にいるべき2人を探すいつか。 「はーい」 「元気そうで何よりです、総一郎は?」  自転車を店の裏に片づけたモカが、慌てて裏口から店の中に入ってきた。口調こそ普段と変わらないが、会えると思っていなかったいつかに呼ばれてずいぶん動転しているようである。  その証拠に 「えへへー。あれー?」 「おつかいのふくろもってくるのわすれたー」  喋りが平仮名になっていた。  慌てて荷物カゴに入れてあった荷物を取りに戻るモカ。 「あ、てんちょうでしたらこちらです」  モカは、コーヒー豆を入れた紙袋を抱えて先に店に入って行った。 「ずいぶん時間がかかったな。まあ、間に合ったからいいんだが」 「てんちょう!。いつかちゃんです!」 「で、頼んでおいたものは?」 「そうなんです。とちゅうでケーキをいただいたんです!」  総一郎とモカの微妙にかみ合っていない会話を聞き口元を緩めたいつかは、柴犬営業部長と共に店の中に入って行った。 /*/  お遣いで買ってきたコーヒー豆を総一郎に渡したモカは、店の隅っこに移動し、お気に入りの待機場所で総一郎がコーヒーを淹れるのを見ていた。 「あれ?。今入れているコーヒーって、さっきお遣いで買ってきたコーヒー豆で淹れてますよね?」  無言でうなずく柴犬営業部長。  どうでもよいが、ようやく落ち着いたモカは喋りに漢字が戻ってきていた。 「あれあれ?。前にいつかちゃんが来た時もお遣いに行ってあのコーヒー豆買ってきましたよね?」  再び、無言でうなずく柴犬営業部長。 「あれあれあれ?。ひょっとしていつかちゃんが来る時は、いつもお遣いに行ってあのコーヒー豆買ってきてる?」  三度、無言でうなずく柴犬営業部長。  ようやくモカは、総一郎がいつかには、普段店で使っているコーヒー豆を使わずに特注の豆を使ったコーヒーで、もてなしていることに気付いたようである。モカが買ってきたコーヒー豆は、いつかの好みを聞きだした総一郎が、色々と探して見つけ出した逸品なのである。 「部長!。私大変なことに気付きました。お遣いであのコーヒー豆を買って来いって言われたらいつかちゃんに会えるんです!」 ”気付いたってそれかよ!”思わず突っ込みを入れる柴犬営業部長であった。 END