たくましい胸に挿した花が揺れている。  花は一種の入場券のようなもの。赤白青黄、見回してみるとみんなそれぞれに挿している花の色が違うのだけれど、その意味を考えるところまで頭が回らない。  頭といえば、彼にもらった日本櫛を挿してきたのだった。ドレープドレスにボレロというコーディネートなのに日本櫛というのは自分でもうーん、と思ったけどじゃあ外すかというとそういうものでもないので結局そのままにして、そこへ花を受け取ったものの手に持っているわけにはいかず、どうせアップにしているのだからとこちらも頭に挿してみた。  これでうまいことバランスが取れてたら世の中もっと楽しいのに、と思う。  夜とは言うが、日が沈んでしまってからもしばらくは明るい。光量そのものもだけれど、今日に限ってはいつもよりも明るい理由がある。  ここ、星鋼京はお祭りなのだ。いつも以上にライトアップされなんというか目がチカチカするような大通りと、ムーディーな間接照明に照らされた一角が混在している。  人の密度も明るさに比例するのか、人がごみごみと込み入っているのは明るい場所で大通りで、薄明かりのムーディーな空間はその、ふたりの領域みたいなものが確保されているように思える。  そう、ふたりというかカップルというか、男女と男男あるいは女女しかいないのだ。  ムーディーな一角では音楽に合わせて動く二人一組の影がゆらゆらと伸び縮みしている。ヒトというのは顔を合わせれば何かしら喋ったりしたくなるものだけれど影はその点喋らないから静かだ。まあ、ムーディーな一角にいるようなカップルがぺちゃくちゃと喋り散らすような事はないと思うけど。  とまあ、好き勝手なことを考えて現在に至っている。  ここではみんながみんな仮面を付けていて、まさしく非日常と言うにふさわしい雰囲気を醸し出している。みんな日頃からダンスに慣れ親しんでいるのだろう、他者に合わせるのではなく自分が主体でありながら全体としてのまとまりを生んでいる。我流ではなくアレンジとしての所作。  私は、というと。 「どうした、顔が赤いが」  すぐ近くで、大好きな人の声がする。  ええ、だって恥ずかしいんですが。どうしてみんな上手いの。もしかして雰囲気に合わせて踊ってるんじゃなくて、ガチで腕を競い合っていたりした!? 「……いえ、大丈夫です」  優しい言葉に甘えるように見上げた先には、見慣れた顔ではなく見知らぬ仮面がある。  「あら、好きな人と踊れるなら、他に何も望みませんよ?」と余裕だった過去の自分を問いつめたい。どの口が言ったこの口かこの口が――ついさっきのことだから時間跳躍にはならないに違いない。 「人と比べることはない」  ぽつ、と。不意に投げかけられるひとこと。  思考がバラバラになる。なんだか小難しいことを考えていたような気がする。 「もしお前が恥をかくことがあれば、それは俺の力不足だ」  彼はそう言い切ってしまう。  心が温かいもので満たされていく感覚。 「頼り甲斐がないか?」 「いえ」  ごつごつとした分厚い手を握り返す。  あたたかい。自然と顔が緩んでいくのを自覚する。 「そうですね。ではよろしくお願いします」 「ははは、これは滅多なことはできんな」  曲が変わる。  優雅な曲調から重厚なワルツへ。  驚きと発見。  音楽とダンスの見栄えには関係があるってこと。  拍子が変わればこうも違って見えるものなのか。  動き自体は変わっていないはずなのだけれど、本当に同じなのか確信が持てない。  彼の動きはメリハリが効いていて、しっかりとした芯があるようだった。つられて動く私の身体が、自分でも私じゃなくてどこかの貴族様みたいに思える。  これは目立つ。一度自覚すると知覚も広がる。視線が集まっているのを感じる。 「あの……なんだか見られてますね」 「気になるか?」 「……少し」  素直に頷くと、彼は仮面越しに小さく笑った。 「随分と余裕なのだな」 「え……あ……、そういうわけじゃ」  どうしてそう取られるのかわからない。  視線が気になるというのは自然なことだと思う。その、見られていると感じる場合は特に。 「俺はそこまで気が回らん」 「……?」  曲がクライマックスに差し掛かる。  私が不思議そうな顔をしているのを見て、彼はくるりと私を回しながら言う。 「自分のことで手一杯だ」  どういう意味、と尋ねる間もなく抱き寄せられる。  わーっ、と言う暇もなくお互いの息遣いが感じられる距離に、お互いの視線が絡まり合う距離に、腰に手を回され傾いでいる自分の身体とこの状況が、 「あ……」  世界にふたりだけでいるような感覚。  心なしか彼の肩が上下している気がして、私の胸の上下は収まりそうにもなく、抑えの効かない感情は止まりそうになく――  まるで降り注ぐような拍手の雨。  世界はふたりだけのものではないと、これでもかというくらい実感する。  けれど。  自分が今どんなに緩みきった顔をしているのか、想像することができない。  ねえバロ。  仮面の向こうのあなたは、今どんな顔をしていますか――? * * * 「生ひとつ! あと、この『特製ウインナー漢盛り特盛り』も頼む!」  よく通る声で、男らしい注文が入る。  ウェイトレスのお姉さんが笑顔と共によく通る声で復唱し、 「私はこのケーキとカクテルで」  双海は苦笑しながら注文を告げた。  店内、と言うより露店と言ったほうがしっくり来る。  ダンスで汗をかいたからと休憩も兼ねてカフェに立ち寄ったのだが、祭りとはいえ道の半分くらいまで店舗スペースがせり出していて、はたしてこれはオープンカフェと言えるのだろうかと少し考えてしまった。 「こちら、ビールとウインナーになります。ケーキとカクテルもすぐにお持ちいたします」  出されたのはまだ表面に汗もかいていないほどキンキンに冷やされたビール。  そして皿からこぼれていないのが不思議というかどうやって盛り付けたんだか絶妙なバランスを保ったウインナーで、あのウェイトレスさんはどうやってこれを席まで運んできたのだろうと去っていく後ろ姿を追った隙にバロは大きな手でジョッキを掴み上げるや豪快に喉に流し込み「かーっ! 汗をかいたあとはこいつに限るな」ひどく親父くさいセリフを口にした。  バロの口の周りには泡で白い髭ができている。白い髭は赤い帽子に赤い服のおじさんを思い出させてなんだか幸せの象徴に見える。ふと、バロが中ジョッキで足りるものかと思い、 「ずいぶんと控えめなんですね?」 「一息に飲み干せる量がちょうどいいのだ」  もう一杯、なんてオーダーしながらバロは歯を見せて笑う。  太い指で器用にウインナーをつまみ上げると豪快に口に放り込み、  あわれなウインナーがパリッと音を立てたと同時にバロの表情が一瞬歪んだのを見逃さなかったのは我ながらナイスだと思う。 「熱かったですか?」 「いいや」  んっ、んっ、と軽く咳払いをしてバロは視線を落とす。 「熱かったですよね?」 「さあ、なんのことだろうな」  双海がじとーっ、とした目付きで見つめているとバロはつつーっと視線を逸らしながら指先でテーブルを軽くトントンと叩き、 「こちらケーキとカクテルになりまーす」  狙ったわけではないだろうがウェイトレスが助け舟を出してきた。  バロはこれ幸いとばかりにケーキとカクテルを受け取るとこちらに回すかいがいしさを発揮し、ビールはまだかな? なんて訊ねている。  双海はその様子を尻目にひょいとウインナーをつまみ上げて口に運ぼうとするも何かを言いたそうなバロが気になり、 「どうかしましたか?」 「いや、なんでもないぞ」  変なバロ、と思った双海はしかし、このウインナーをどうしたものかと考えてしまう。手でつまめる程度には温度が下がっているが、中は熱いままかもしれない。折ってから食べるのが安全だとわかってはいるが、パリッと音を立てて割れるウインナーだけに肉汁が飛ぶことは間違いない。服についてもいつもならあまり気にしないが、今日はせっかくのドレスなので汚すことは避けたいと思う。  ふとバロを見やるとなにやら含み笑いだった。それがなんとなく面白くなくてひとおもいにかじることにする。  ぱりっ。 「――ッ!!」 「くくっ、くっ、はははは」  双海は大笑いするバロを恨めしそうに見た。  過去の自分にばかよせやめろと言ってやりたい。間違ってもいけ、やれの合図じゃない――ついさっきのことだから時間犯罪にはならないに違いない。 「次はどこの国にいくかな。ダークサマーレルムは面白そうだが」  山ほどあったウインナーを半分ほど胃に収めた頃、バロがそんなことを言った。 「あら、もうどこかへ行く算段なんですか」 「俺はさすらうのが似合っている」  双海はカクテルグラスを回すように傾けながらむぅ、と口を尖らせる。 「私は・・・・バロさんと一緒にいたいです」 「ついてくるか」 「それが貴方と一緒にいられる唯一の方法なら喜んで」  双海はグラスの縁に口を付け、グラスを傾ける。口の中にふわりと甘い風味が広がり、アルコール特有の芳香を伴って鼻から抜ける。嚥下すればそれなりに灼熱感を感じ、舌にはささやかな痺れが残って余韻が心地よい。 「難しい事を言うな」  バロはテーブルに片肘をつくと、指で髭をしごいている。もう4杯目になるジョッキの中身は半分ほど残って、白い泡も薄くなっている。 「旅は嫌いか」 「旅は嫌いじゃないですよ」  ふむ、と声を漏らすバロに双海はケーキをつつきながら言う。 「ただ、私はこの国も愛してますから、少し難しくなっちゃうのかもしれないですね」  むう、とバロは唸った。 「そういう話なら、好きなだけこの国につくしていい」  バロは空いた手でそろそろ冷めて残念な感じになりつつあるウインナーをつまみ上げると口に放り込み、もしゃもしゃと咀嚼する。 「俺は旅に出る」  ――あー、なんでこうこじれるかなー……  もやもやした気持ちで双海はザクザクザクザクとフォークでケーキを解体する。カツカツカツカツとフォークが皿に当たる音が響く猟奇的な有様だが凄惨な光景にはならない。  ケーキだからだろうか。 「知ってます? 私は貴方を愛してるんですよ」  知ってます? 今日は月曜日なんですよ、とでも言うように双海は自然に言葉を紡ぐと解体したケーキをまとめてフォークに突き刺し、 「だから、貴方が旅に出るというなら一緒に行きます」  突きつけるようにフォークを突き出した。先っぽに刺され潰れたケーキの成れの果てを見てバロはむうと唸り、 「国も愛していると言ってたろう」  得も言われぬ迫力に気圧されたのかバロはややトーンを下げた。 「・・・・バロさんは意外といじわるですね」  双海は手首を返してケーキを口に含むと、もごもごと咀嚼する。気分が散って大雑把でぼんやりとしか味を認識することができない。口に入ったままでは喋ることができないのでとりあえず嚥下し、 「比べられるわけないじゃないですか、もう離れるのは嫌です」  双海は笑顔で言い放つ。  これが何味でおいしいのかどうか、そもそもさっき食べた物が本当にケーキと呼べるのか、双海にはよくわからなくなっていたが言葉は本心だ。本心ゆえに表情は取り繕えても気持ちまでは隠せない。 「では、旅の空だ」  バロは笑顔を作ると半分残ったジョッキを一気に飲み干した。間髪入れずウェイトレスを呼び、「生ひとつ」ちらりとこちらに視線をよこしてすぐに逸らし、  ――ピッチャーで。  バロらしからぬ小声だった。  双海とバロはお互い拗ねたまま、どこかよそよそしい空気が流れたがやがて運ばれてきたピッチャーがいくらか場を和ませた。  お互い拗ねたらお互い損をする。  ふたりしてピッチャーを前に四苦八苦する姿は、傍目から見てほほえましかったに違いない。  * * * 「あーのー」  ふらふらとおぼつかない足取りで歩きながら、やや間延びした口調で彼女が口を開く。 「バロさんはー、お芋さんと踊ったことがあるんですかー?」  思わぬことを聞かれたので、バロは咄嗟の反応に困った。  とりあえず見ていて危なっかしいので手を貸しながら、バロは少し遠い目をして、 「……ああ。昔は芋も踊っていたぞ」 「そーなんですかー? 楽しそうですねえ」  あははは、と彼女は笑った。  バロは「飲み過ぎだ、俺もだが」と言って笑った。  星を臨む夜空の下に影ふたつ。  芋と踊れるような世界は経験がないが、それはそれで楽しそうだ。