[パズルのあいだ]  冷蔵庫に隙間が増えていた。  こういうのが空っぽだと寂しい。それに、隙間ばかりなのはもったいない。ひとまず、空気を逃さないようにすぐに閉めつつ、「うーん」と首を左右に捻った。  妹人は時計を見た。予告の時間まではまだ少しある。ちょっと行って買い物してくるくらいなら、きっと大丈夫。 「よしっ」  一つ頷くと、リビングを通り過ぎた。玄関でピケの鍵をとる。そこでふと思いだした風に、靴入れの上のメモを取った。「ちょっと行ってくる」と書き込んで、少し考える。ここではぁととかいれたらどう思うだろう。  悪戯心が芽生えたけれど、早く行って帰ってきた方がいいだろうなって当たり前の結論にたどり着いたので、妹人はそのまま歩き出した。ガレージからピケを出す。低い音を立てて、滑るようにピケが走った。  そして旦那は買い物に出て、奥さんは旅に出た。  いや旅違うからと、自分で突っ込む澪。  奥さん、もとい澪が向かったのは政庁である。庭の東屋に向かって行く。カタツムリをついばむ鳥を眺めていたヒルデガルドは、草の上を音を立ててやってきた澪を見た。微笑む。あらあら。なにかしらと考える頃には、脳裏に七つくらいの可能性がふわりと浮かぶ。 「こんにちは。少しお時間いただいてもいいですか?」 「いいわよ。でも、ずいぶんおきゃんなのね」  澪は表情も変えず、自分ではのったりしているつもりなんですがと呟く。自覚がないほど慌てているのねと、先ほど足音を思い出した。 「なあに?」 「ええと、うちの妹人がちょっと旅に出たらしいんですが、お恥ずかしながらどこに行ったか分からないんです。それで何かご存知であればお教えただけないかと思いまして」  早口にまくしたてる澪に、ヒルデガルドは笑顔のまま、あら、と思った。最近は特に依頼が飛んでいた覚えはないけれど。特にこの時期、第七世界人が渡航してくるからと宰相も気を遣っている。あの偏屈もそこまで機微の読めない人ではない。  そして彼女の話が書き置きにいたって、ヒルデガルドは首を傾げた。 「買い物にいってるとはおもうけれど、商店街には行った?」  きょとんとする澪。頭上で鴉の鳴き声。 「あー……」  澪は天を仰いだ。そうか。そうだよね。普通そうでした。ホップステップジャンプとテンポ良く肩が落ちる。  もっともこの場合、澪の心配も致し方ないものではある。あるいみアイドレス病とも言えるものだった。何しろ、ちょっと行ってくるで行き先がこの世の地獄という事がわりと当たり前のようにある世界である。また知らぬ間に迷宮の一つや二つが出来ていたとか、そういう事も……とそこまで考えるのは、まあ他人から見れば病気なのだが、当人からすれば充分にあり得る可能性だった。  ていうか行き先くらい書けよ! 荒ぶる内心が叫ぶが、まあ何はともあれ見つけ出してから本人に言おう。よし。ちょっと肩がしっとつかんでゆさゆさしながらちゃんと教え込もう。決めた。  目の据わる澪。ヒルデガルドにお礼を言うピケを飛ばして商店街に向かった。  肉がいつもより安いなあ。土場の七星顔負けの商売力でもの凄い安い食糧、レストランが帝國全国を席巻しているのは知っていたけど、地元の肉屋も負けてはいない。これはこれで応援したくなるなあと思って、ちょっと高めの牛肉を包んでもらう。  毎度、と言われて受け取るところで、視界の端に何かが写った。  あれっ、と思っている間に、澪は駆け寄ってきた。 「どうしたの?」 「やー、ちょっと行ってくるとしか書いてなかったからあわてて探しに来ただけ」  気抜けした感じで澪は言った。肩が落ちているのが不思議だったけど、とりあえず受け取った肉を買い物鞄にいれてしまう。レタスに、小松菜、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ。 「あとネギだけかな」  そう言うと、澪はよくわからないけどがくっと前のめりになった。新手のジョークだろうか。よろよろと体を起こす澪。妙に爽やかに笑った。ふっと息をついたりしている。 「何か作るんだっけ?」  妹人は軽く首を振って、 「食材を普通に。買ったよ。帰ろうか」 「うん!」  結局事情はよくわからなかったけど。  まあ元気になったので、いっか。  今日は隣に座ろう。なんとなく思い立って、テーブルに並んだカレーを持って澪の隣に移動。澪はささっと食器をずらして、場所を空けてくれる。せっかく並べたのにーという目を一瞬したけど、椅子までもってきた頃にはまあいっかという感じに笑っていた。 「向かい合ってあーんとかしてみようと思ったんだけどなあ」  からかうように澪が言う。妹人は笑った。 「じゃあ俺がしてあげる。隣の方が楽だよ。腕伸ばさなくていいし」  自分の器からカレーをすくう。 「はい、あーん」  澪は爆笑寸前の笑みを顔に広げた後、肩をぷるぷるある早生ながらスプーンを口に含んだ。頬が赤い。 「ほら、俺も」 「はいはい」  口をあけて待ち構える妹人。澪はにやにや笑いながらスプーンをいれた。  舌を貫く衝撃。 「うわ、辛っ」 「はい水」  素早くうけとって、コップごと飲みつくさんばかりに水を一気に飲み乾した。ふう、と息を吐く。 「びっくりした。こんなに辛いの?」 「いや実はスプーンにタバスコ塗ってた」 「なんで!?」  澪は難しい顔。腕組みする。 「うーん。わたしだけ混乱するのはずるい」  意味がわからないよ。けどなんかにやにや笑っていい気になってるのはわかった。妹人は覚悟を決めた。よーし、そっちがその気なら。  素早くテーブルを見回して、妹人は胡瓜のスティックを取った。 「ねえ、一緒に食べない?」  両手の指の数くらいキスをしていい加減呆れられたあたりで食事は終わった。なんとなく消化不良を感じながらも、洗い物を買って出る妹人。  その間に、と澪は席を立つ。カレーは暖かい内に別の器に移して、冷えるのを待つ。そして台所からラップをとってきて、器ごとサラダはラップで包んで冷蔵庫に持っていく。  開けた冷蔵庫は、ちょうどサラダのボウルが一つはいるくらいの隙間があった。  おお、流石は妹人、と思いつつも、しかしカレーもいれることを考えると実はだめなんじゃねという事に気付く。前言撤回。二段目を整理して隙間を作っていると、妹人が声をかけてきた。 「カレーも入りそう?」 「んー。なんとか」  一応心配はしていたらしい。澪はいくつかいれる順番を変えて、これでよし、とサラダをいれる。冷蔵庫には、カレーの器を入れられるくらいの適度な隙間が残った。  開いている隙間を埋めてみたり、埋められた空間に隙間を作ったり。  押し合い圧し合いとはまた違った、適度にかみ合う手触りを感じる。  刻一刻と絵柄の変わるパズルを一つ一つ埋めていくような、複雑な事をしているはずなのに、それが当たり前のようにはまるのは何故だろう。 「いつまでも開けてると空気が逃げちゃうよ?」  まったくだ、と澪は笑う。  そっと手を押して冷蔵庫を閉めた。