[ある兄の悩み] 「なんていうか、時々えらくスケールの小さいことを、もの凄く派手にやりますよね」 「そうでもない」 「……」  雷鋼は、正座してちくわかじっている、はるから目を逸らした。  改めて正面を見る。  そこにでん、と置かれている、まるく膨らんだ麻袋。開いた上部から突き出た、針葉樹のかさついた胴体。首が痛くなるほど高く、砂漠の国では見られない深い緑色が青空を遮っている。  一般に、樅の木と言う。  一体 どこから持ってきたんですか。そう聞きたい気持ちをぐっとこらえて、ふうっと息を吐いた。  視線を下ろすと、手の内に収まった緑色の包みが視界に入る。さっき、翠蓮が美味しそうに頬張っていたやつと同じだ。中身は多分、クッキー。 「やめてください。僕はもう大人ですよ」  などと言った手前、その場で開けてみんなのように食べるわけにも行かず……。雷鋼は空を見上げた。なんでこうなるんだ。僕が何をしたんだ。雷鋼は頭を抱えてうずくまった。窓から見ている鋼一郎がにやにやしているが、気付く気配は欠片も無い。  はるはうずくまっている雷鋼と窓にうつる鋼一郎を交互に見たが、何も言わなかった。代わりに、雷鋼に手をつきだした。  フィーブル産、新鮮ヘルシーなんたらと書かれた包装から、ちくわが一本突き出ている。  雷鋼の眉が八の字に寄った。 「ん」 「……ありがとうございます」  受け取り、しゃぶる雷鋼。なんだか妙にほろ苦く、いつまでも舌に残りそうだった。 /*/  それはそれとして、クリスマスを迎えていた。  アイドレスPLの有名夫婦と言われれば知らぬ者も居ないだろう大家、高原家のクリスマス風景はどのようなものか。こう書くといかにも派手派手しい物を想像するかもしれないが、NWの大家が大体どこもそうであるように、高原家でもまたアットホームなパーティが開かれていた。  むしろ、こういう機会に家族との時間を作らないでどうする、というのが家庭持ちの意見だった。  で、鋼一郎(父)は翠蓮(娘)にジト目を向けられていた。その腕は、きゅっと体をちっちゃくしている双子を抱えている。  双子の目が、じっと鋼一郎を捉えている。ぴくりとも動かない。すっかり怖がっている。 「パパ」  翠蓮は短く言った。頬が膨らんでいる。 「すみません」  ぺこんと頭を下げる鋼一郎。その後ろで、アララがくすくすと笑っていた。アララの膝から、鋼児が不思議そうに上を見ようと首を曲げて、「あーっ」と言っている。  翠蓮はむーと唸った後、ぱっと表情を切り替えて、双子に笑いかけた。よしよしと双子を抱きよせて、体をゆっくり左右に揺らす。双子の視線が翠蓮に向いた。揺られていると、それが楽しいのか、笑い出した。  鋼一郎は頬を掻いてから、ぱっとアララの方に顔を向けた。 「あ、後何準備すればいい?」 「もう終わるわよ。すわってて」  はい、と鋼児を渡された。了解、と答えながら膝に抱きかかえる。斜めになった鋼児がまるい目を一杯に広げて鋼一郎を見上げてくる。  鋼一郎はべろべろばあと舌を揺らした。すると、鋼児のじーっとしていた瞳が突然動いた。と思うと、不意に上がった右手に、舌を掴まれそうになる。慌てて引っ込める鋼一郎。少し心臓がドキドキしている。  そうこうしていると、隣の席に翠蓮が座った。部屋をモールや鈴、金や銀色のまるい玉、赤いリボンで飾り付けを終えた雷鋼も、よっこいしょと腰掛けて、皿を避けて頬杖を突いた。ぼんやりとした目が翠蓮、というより、抱えられている双子に向けられる。双子はにらめっこしていた。その横顔を、小さく口開けて見つめている雷鋼。少しだけ頬が緩んでいる。  と、ドアの開く音がした。全員の視線が一斉に引き寄せられる。  鋼一郎は思わずにやついた。その視線の先には、赤と白のサンタチックなワンピースに着替えたアララの姿があった。  うわぁと言いながら翠蓮も笑っている。雷鋼は、口元を緩ませつつも、微妙に遠い目。昔、友人にクリスマスの事を話した事を思い出したのだった。恥ずかしい思い出である。 「よし、料理並んだ? グラスを注いでまわって」  アララの声に、弾かれたように雷鋼が早速席を立ち、グラス注ぎに逃避する。  鋼一郎はアララから視線を放さないままだった。口を開く。 「よく似合ってるよ」  アララは苦笑した。小首を傾げるのにあわせて、豊かな髪がふわふわと揺れる。 「子供が喜ぶかなって」 「なるほど」  頬を掻く鋼一郎。少し目が泳ぐと、膝上の鋼児と視線が合った。よしよしと体を揺らしてやりながら、苦笑する鋼一郎。  雷鋼が再び腰掛けた所で、アララが全員を見回した。グラスを掲げるて、にこっと笑った。 「乾杯」 「かんぱーい」  柔らかな声が重なった。アララは一口飲んで、鋼児を預かる。すかさず翠蓮が口を開いた。 「パパ、アップルちゃん」 「ほい」 「俺は?」雷鋼が翠蓮を見る。 「はいこれ」  素早く右手が動いた後、雷鋼の膝上のぽすんと柔らかい物が着地する。ウサギのぬいぐるみが、つぶらな瞳を向けていた。  見下ろして、わずかに目を細める雷鋼。口を引き結んで、翠蓮を横目で睨みつける。しかし翠蓮はにこにこ笑ったまま、雷鋼を見ようともしない。もうこの笑顔を見てわかれ、といわんばかりだ。  雷鋼は仕方なく、膝の上のそれを抱えた。溜息こそつかないが、何かをこらえるように唇がぐねぐねと動いていた。 「まあ、練習しておけ。その内自分の子供を抱っこしたりする時に大変だぞ」  鋼一郎が、妙に実感のこもった声で、ゆっくりと口にする。雷鋼はちらりと父親を横目で見た後、そうなのかなあと、うさぎの耳をちょいちょいする「相手からみつけないとね」動きが止まった。言ったのはアララだった。  雷鋼の右手がぎゅっと固まる。  よし。言ってやる、と力強く顎を持ち上げた。 「俺だって!」 「え!」翠蓮がもの凄い勢いで雷鋼を見た。 「来年は頑張る」  もの凄いうわずった声で雷鋼は続けた。  一瞬の間。  次の瞬間、爆笑が弾けた。ポップコーンのように躍る笑いに雷鋼の顔がみるみる赤く染まっていく。 「遠いと思うけどなあ」 「くーそー」  雷鋼を真っ直ぐみながらの翠蓮はむしろ容赦が無かった。雷鋼の中で、あれやこれや言いたいことが弾けては消えて、最終的には負けを認めるしかなかった。今は。  顎を落とし、どこへともなく視線彷徨わせると、膝の上のうさぬいと視線がかち合った。  がらがらと背中から力が抜けていく。なんか色々、負けた気がした。 「まあ好きな人がいるなら、ちゃんと告白しておけ。やれることをやらなかったら心に残るぞ」  反論する気力も無い。雷鋼は暗い顔でうさぬいの手を持ち上げたり下ろしたりを繰り返している。 「まあその気があったら見合いのツテくらいは探してきてやるよ」  手が、止まった。 /*/  目の前でプレゼントが手渡されていく。父親の手から、翠蓮に髪飾りが、猫のアントニオにハムが。  だが、雷鋼は思う。目に映るのと意識に残るのは別なんだっ、と。  雷鋼は、かつてなく緊張していた。背中からがっちがちに固まって、首元に無駄に力が入っている。息をしているのかしていないのか、自分でもよくわからない。  いや、とにかく、だ。  この顔の火照りをどうにかしたい。いや、それどころじゃない。  見合い? 見合い? ツテ? 言葉が頭の内側で、かんかん音を立てて跳ねている。  高原は横目で雷鋼を見た後、しゃがんで、鋼児に視線を合わせた。 「で、鋼児。お兄ちゃんの君に重大な仕事を一つ任せよう」  鋼児はプレゼントのトートバッグを抱えていたが、ぱっと顔を上げる。大きな目が真っ直ぐ顔を見つめた。 「鞄の中を見てくれ、そこに入ってるものを雷鋼兄ちゃんにプレゼントして欲しい」  鋼児はトートバッグに視線を落とす。小さな腕を回してバッグに突っ込んで、しばらくごそごそする。すると、眉がぴくっと動いて、えいやっとそれを取り出した。鋼児はそれを両手で握り込むと、とたとたと雷鋼に駆け寄る。  そこで雷鋼はようやく我に返った。決して、写真じゃないことがはっきりしてほっとした、わけではない。  椅子から降りて、片膝立ちでしゃがみ込む。鋼児は雷鋼の前で立ち止まると、ん、と両手を真っ直ぐ伸ばしてきた。膝あたりで、両手を開いてそれを見せる。 「んーちゃ」  それは銀色に光る、勲章だった。  雷鋼は目尻を下げた。受け取ると、口元に笑みがほころんだ。  勲章の真ん中には、「いつもありがとう」と書かれていた。 「そうだ。笑顔を忘れるなよ。人間一番辛いときを支えるのは誰かの笑顔だ」  鋼一郎ははっきりそう言ったが、言われた方としては、少し、照れくさい気持ちがあった。雷鋼は思わず頬を掻く。と、 「お兄ちゃんは、お見合いがきになってるんだって」  雷鋼はうさぬいを椅子に置いて立ち上がった。翠蓮に早足で詰め寄る。言い合う二人。鋼一郎が口を開く。 「見合いはまあ何とかしよう。続報を待て」  火に油が注がれる。雷鋼は顔を赤くして悶えた。 /*/  消耗しきった雷鋼は、部屋に戻ってくると、ベッドに倒れ込んだ。スプリングが不満げに軋みを立てるが、こっちは文句を聞けるほど体力残ってない。ああ、今こそレンバス、じゃなかった、はるさんのクッキーを食べるときだろうか。  ベッドで死体になっている雷鋼は、最後の力を振り絞って、呟いた。 「続報って」 「どんなお嬢さんが相手なんだろうね」 「すーいーれーんー!」  起き上がった。素早く振り返ると、入り口に立っていた翠蓮に詰め寄る。翠蓮の笑顔が、さきほどのやりとりを蘇らせた。このまま言い合っても勝ち目がない。雷鋼は意志の力で口を閉ざした。  もっとも、ぎりぎりぎりと歯が軋むのまでは止められなかったが。 「いいじゃない。私も旦那さん欲しいなあ」  両手で肩を抱きしめてくるりと回る翠蓮。目の前で広がる髪を鬱陶しそうに払いながら雷鋼は口をへの字に曲げる。とりあえず父親を倒せる相手じゃないと無理なんじゃね、と思ったが、それはそれとして、翠蓮が先に結婚したらどうなるだろうか。  二秒で胃が死んだ。……自分もちくわ食べながら旅立とうかな。 「むぅ。何その顔」  翠蓮の目がつり上がる。頬が膨らんでいくのを見て、雷鋼は慌てて口を開いた。 「いや別に」 「なんだかんだで一番楽しみにしてるのお兄ちゃんだもんねー」 「そうだけどさぁ」  そういうことを親の前で言うなというか、こう、あれだなあ。  翠蓮は眉間にしわーといいながら、額を人差し指でぐいぐいと押してくる。戦場では巨木のように動じない長男が、うめきながらぐらぐら揺れる。 「お兄ちゃん料理できないんだし」 「それは関係ないだろー」  手を払いながらも、雷鋼の声に力はない。胸を張る翠蓮。 「でもパパが料理するとママが喜ぶよねえ」 「あー」 「でも作ってあげたいっていう気持ちもあるからそれはそれでいいのかも」 「んー」 「そもそもお兄ちゃんどんな女の子が好みなの?」 「うー」  やっぱり料理出来ないと駄目か? だけど今更教わるのもなんか、急に色づいたみたいで格好がつかないというか。  最早話を聞いていない雷鋼を見て、翠蓮はにこりと笑って頷いた。くるりと背中を向けて、雷鋼の部屋から出て行く。  悩みこそ原点。好き嫌いを問うことから気持ちは始まる。その道を歩き始めた者は皆、ぐるんぐるんと頭の中で空想や妄想を回転させながら進んで行く事になる。それは恥ずかしくもあれば、それこそが、楽しいものでもある。  しかしそれを知る日が雷鋼の元に訪れるには、まだまだ時間がかかりそうだった。