[同じ場所で同じ空気を]  二人は引きこもっていた。ちなみに政庁の一室である。  あまり広くない部屋は誰も居なければ冷たく閉ざされた印象を与えるが、内側からロックをかけた密室に男女二人となると途端に華やかになる。  隅っこに置かれていた折りたたみ式のテーブルを広げ、その上に料理を並べた後、パイプ椅子に並んで座る。良く響くので、二人の声は多少抑えられている。それでも美弥の鼓動が聞こえてきそうなくらいに華やいだ声の色は、テンポ良く室内に響いていた。  風情がないと言えば風情がないが、致し方ない事情がある。  T16末からT17初等にかけて、NWは全国的にテロの脅威にさらされている。  それは国家レベルで言えば治安維持へ注力を促し、PL個人には、暗殺や奇襲を対策としての安全の道へひた走った。  かくして秘密の場所や家の中でのひきこもり生活ゲームPLが増大し、二人も密室でいちゃついていたのだった。  時々廊下の方からかつんかつんと足音が聞こえてくるが、浮つくような話し声の反響でほとんどかき消されてしまっている。  食事もおわり、玄ノ丈が背もたれに背をやると、美弥はようやくという感じで肩に頭をのせた。 「ん?」 「ふふっ」  自分では見えないはずなのに、見えてしまいそうなくらい頬が緩んで笑ってる。玄ノ丈はそれとなく斜めに座って、美弥はしなだれかかるように体を斜めにした。  じわじわと、鼓動にあわせて体の暖かみが増していく。  前は、近づくだけで心臓が加速して、音の激しさに溺れそうになっていた。  今ではその逆。近づいて、触れて、触れていればいるほどに鼓動はなりを潜めていく。その代わりに、こたつみたいにじわじわと暖かくなっていく。  釣られるように、とろけるように美弥は笑った。 /*/  玄ノ丈はそんな美弥の顔じっと見ていた。肩に頭を乗せているので、見えるのは額や、鼻、髪のかかった耳。少しだけ耳が赤くなっているなと、玄ノ丈は思った。  息を吹きかけてみようかと一瞬考えるが、らしくないと思って、笑った。らしくない。そんなことを考えるなんて、ずいぶん柔らかくなったではないか。ええ? そう考える。  開いている利き手を風を掻くようにゆっくりと持ち上げる。それを数秒彷徨わせた後、彼女の頭にやった。  髪の隙間を探すみたいに撫でる。頭の後ろから、滑るように首筋へ。  くすぐったそうに美弥は肩をぴくぴくさせた。にゃー、と言って、照れたのか頬がさっと朱色に染まった。 「幸せです」  柔らかく告げる美弥。何も言わずに笑う玄ノ丈。  ふと、玄ノ丈の鼻がぴくりとした。  あまり慣れない感じに、内心で首を傾げた。しばらく無言で考えていたが、やがて、それがどこから来た者かがわかった。  美弥の頭に顔を寄せる。頬と肩で挟むみたいな形になった。にゃ、と言う美弥。  匂いは、そこだった。  髪の向こうから、埋もれている何かが滲んできているような、甘い不思議な香りがする。  いや、そうか、しばらく離れていたから忘れていたなと笑った。これは彼女の香りだった。ここまで近づけば、パエリアにも紛れない。 「いい匂いがする」 「……………………………………」  うん? 美弥からの反応がない。  顔を話すと、美弥が目をきょろきょろさせていた。顔がすっかりゆであがっている。  内心ではパエリアの事なのか、まさか敵のマーキング? いやそんなでも、とすっかり混乱していた。  落ち着けと思わなくもないが、次は言い方に気をつけるか、と反省しつつ、悪い意味じゃない、と笑って見せる。 「ですか」  ほっとした顔の美弥。それを見て、ようやく、離れたのはもったいなかったなと思った。 「えっと」再び挙動不審になる美弥。 「ん?」 「玄ノ丈さんも、いい匂いがします」 「……そうか」  一見、冷静に対応したように見える。  見かけだけだった。玄ノ丈は立ち直りが早かったが動揺の深さは美弥並みだった。あーこれどうすればいいんだと、普段なら絶対考えないような台詞が頭の片隅にぽんと浮かぶ。  二人はお互いに視線を交わした。 「…………」  そのまま、じっと見つめあう。  互いの熱が、互いに伝わる、感覚。  磁力に導かれるように、顔の距離が近くなっていく。  目を瞑る美弥。玄ノ丈も目を瞑る。同じタイミングだった。目を瞑っていても、この距離なら間違えない。  柔らかなふれあいが、混じり合う。  唇を話して、互いに見たのは苦笑と、照れ笑い。  美弥は再び肩に頭を乗せてきた。  そのしっかりとした重みを肩で感じ取り、 「いい匂いがします」 「お互いに、な」  淡いけれど確かに香るその暖かみを意識する。  玄ノ丈は美弥の髪に顔を埋めた。  そっと息を吸い込む。  同じ場所で同じ空気を共有する。その証拠をいつまでも覚えておくというように。