[ほーむらん]  高らかな快音。  青空に向けてボールは遠く跳ね上がる。  心臓の音が止まる。息を呑む音。グローブを付けた怪獣がぱたぱたとフィールドを上がっていくが、遠く、遠くに延びていくボールはいつまでも落ちる気配は無く。  ヘルメットをあげた。守上の目と口がぽかんと開いている。  打球はやがて、フィールドと場外の境界を示す緑色の草地に落ちていった。 /*/ 「野球やらないか?」 「え?」  唐突な話題振りだった。そもそもんな話題を振られることすら珍しい。守上はきょとんと目を丸くして、思わず、暮里の顔をまじまじと見つめてしまった。……実のところ、そんな事をする機会が普段は全然無いことに思い至ったのはこれから十秒は後の事で、気付いた瞬間慌てて、ぐらぐらと体が揺れた。  昼下がりである。政庁から出て気分転換に散歩していたら、たまたま……では絶対無いだろう。暮里がやってきて、こう言われたのである。  疑問符どころの騒ぎではない。 「やるー。でもどうしたの?」 「草野球やりたいって言うんだけどさ、人数足りなくて」 「これで足りる? あでも、あんまりやったこと無いけど、野球」 「どうにかなるさ」  多分何も考えてないな。守上は直感的にそう理解したがまあいっかと頷いた。  昼休みの息抜き。草野球をすると言うのなら、それもいい時間の過ごし方だ。  空を見上げる。見渡す限りの快晴に、少し強め北風が吹く。髪を抑え、守上は笑った。いい日和なのは間違いない。 /*/  野球チームは五対五の即席チームの対戦だった。子供達が七人いて、三人、四人でわかれている。守上と暮里は三人居る方に入った。大人が二人だ。けれど、卑怯とは思わない。  何しろ、向こうチームについた最後の一人は怪獣だったのだから。  その緑色の、なんか宇宙人っぽい姿に、守上はうなった。 「が、がちゃぴ……」  それ以上は(版権的な問題で)言わず、ごくりと言葉を飲み込んだ。……が、守上の顔は、吹き出すのをこらえてひきつっている。暮里はその守上を面白そうに見ていた。じっと見返す守上。暮里は目を逸らして、わざとらしく口笛を吹いた。  コイントスの結果、二人の居るチームが先制になった。怪獣チームが散っていく。キャッチャー、一塁、二塁、三塁に一人ずつ、そしてマウンドに上がったのは  さもありなん。緑色の巨体が地に影を落とす。丸っこい頭の下の平べったいくるくる回る瞳が、キャッチャーを見た。  練習も準備も存在しない、昼休みの草野球。少年達の一人目が蛇っぽいバッドを持って、バッターボックスで構えを取る。  じりじりと陽射しが照りつける。振りかぶる緑の腕。放り投げられるボールは緩い弧を描いて飛んでいく。少年は意気込んでバッドを振った。キャッチャーミットめがけて落ちる白球は――――。 /*/  三回裏まで休憩無しのノンストップで野球は続いた。子供達はそろそろへろへろになりつつあって、この回で終わりにしようと、双方の合意が取られたところで四回表が始まった。  現在、得点は三対四。怪獣チームの一点リードである。そのうち一点は怪獣のホームランである。ちなみに、こっちの三点は三番暮里のライナーが防御の守りを切り抜いての長打でホームインという流れ。  守上は三振一回に四球一回、フライ一回である。 「がちゃ強いですね」 「いや、あれ絶対着ぐるみだろ」  草地に座ったまま、先ほどの暮里が皆に「おごりだ」と配ったスポーツドリンクを口にする。ごくごくと咽を鳴らした。久しぶりの運動は体を熱くして、ひどく汗をかかせた。質疑できりきりしたり回答でぎりぎりしたりして嫌な汗をかくのとはまた違った感覚である。当たり前だった。 「暮里はよくこうしてるの?」 「人が足りない時はな」  さすらいの助っ人らしい。 「今日は少ないな。まあ、今日いるやつは格別元気な奴らだな」  言われて、子供達の姿を見る。打者は勢いよくバットを振り回して、蛇バッドが快音を立てた。山なりのボールは高く飛んだが、キャッチャーが立ち上がり、後ろに行ってしまったそれを見事にキャッチ。ちぇーっ、と大声で言って少年は戻ってきた。にかっと笑って、バットを次の子供に渡す。 「よっし、俺が格好いいところを見せちゃる」 「さっさといけってーの」  笑いながら次の子供が出て行った。第一球、どぉりゃーと大声かまして空振り。 「元気だなあ」  これから時々混ざりに来ようかと考える。隣で、暮里が小さく笑った。 「今日は一際張り切ってるな」 「へぇ、そうなんだ?」  言いながら、バッターを見る。第二球。全力で空振り。ぐおぉぉー。いや次だ、次こそは。叫び声が響く。 「ほんとだ。すごい張り切ってる」 「いや、あいつはあれが普通」 「そうなんだ」  確かにいるいる、ああいうの。なんとなく笑う守上。  バッターは勢いよく三振。ぐぁーとその場で倒れた。はいはい戻れ戻れとベンチもとい草地に座っていた少年達が引きずって戻していく。やーめーろーとじたばたわめき、うぜーだのけるなーだのと声が響く。  で、ずざーと最後は放り投げられて到着。連れてきた少年の一人がバットとヘルメットをこちらに向けた。 「はい、姉ちゃん」 「よっし、行ってくる」  がんばれー、と送り出される。その声に暮里が混じっていた気がした。  気のせいだろうか? /*/  さて、どうしよう。  守上は考える。ランナーはいない。ここで一発撃てば同点で、ゲームはこの回で終了。勿論裏もあるので安易に引き分けを狙えるとは言えないが、守上の次は少年なので、多分この回の得点チャンスは守上で最後だ。  せっかくの出番だし、一度くらいはいいところを見せたいという気持ちもある。  ――と、すると?  守上は苦笑する。大人げないとか計算とかそう言うのは放っておこう。これはゲームだ。楽しくなければ嘘になる。  やってみよう。振り抜いてみよう。うまくあたればめっけもの。  では一つ。  てりゃっ、と山なりのボールの第一球に、緑のバットをたたき込んだ。  高らかな快音。  青空に向けてボールは遠く跳ね上がる。  心臓の音が止まる。息を呑む音。グローブを付けた怪獣がぱたぱたとフィールドを上がっていくが、遠く、遠くに延びていくボールはいつまでも落ちる気配は無く。  ヘルメットをあげた。守上の目と口がぽかんと開いている。  打球はやがて、フィールドと場外の境界を示す緑色の草地に落ちていった。  歓声が、上がった。 /*/  裏の回は守りきり、こうして試合は引き分けになった。  今は子供達は、怪獣に乗っかったりじゃれついたりしている。守上はふはぁとため息をついて草地に寝そべった。 「きもちいーねー」 「いい当たりだったな」暮里が笑う。 「うん。あんな大当たりは初めてだけどね」 「ああ」暮里も欠伸をする。  二人の視線の先を、緑色のバットもとい蛇が空を飛んでいった。  後には青空と、膨らんだ雲が残されている。 「久しぶりに運動したー」 「あんまり外では見かけなかったしな」 「今度からもっと出てくるよ」 「ああ」  会話が途切れた。しばらく呼吸だけを繰り返す。  さて、と守上は立ち上がった。仕事は午後にもある。 「また来るねー」 「次もホームラン期待してる」  守上は笑った。 「そっちも来る?」 「くるくる」 「わかった。次は」  次は? 何を言いかけたんだろう。  いやいや。言ってしまおう。 「お弁当持ってくる。全員分」 「ピクニックみたいだな」暮里は笑った。 「あはは。そうかも」  そして、歩き出す。ちょっとした駆け足になったのは、まだ体が運動したがっていたからだろう。  疲れているはずなのに足は軽い。 「なにつくろっかなぁ」  特に代わり映えのない一日。アイドレスでは珍しいくらい平穏な時間。  偶然かもしれない時間を、偶然かもしれない快音で締めくくり。  次の偶然を目指すように、次の機会へと歩いて行った。