[人斬り喫茶より]  その喫茶店は静かなるキノウツンの一角にある。見た目は普通の煉瓦造りの建物で、ステップの脇には『本日のメニュー』と書かれた黒板がひっそりと立てかけられている。書いてあるメニューも、調和風スパゲティとか、コクの深い肉シチューとか、ちょっと首を傾げそうになる物のまあまだ人が食べるであろう部類の物が並んでいる。  昼休みにちょっと食事でもと立ち寄るには、まあ、ちょうど良さそうな怪しさである。  だが油断する事なかれ。ここはキノウツン。返事一つ間違えれば管理の名の下強面のにーちゃんが輝く拳を振るう土地(大幅な脚色あり)。彼の国では言葉の一つ一つに気を遣わなくては生きては帰れないだろう(こっちは脚色ではない)。  例を挙げよう。一件ちょっとおもしろ系なこの店は、入った途端ムラマサが現れて 「良く来た。切られに? それとも、コーヒー?」  と、鯉口に手を当てつつ尋ねてくるのがデフォである。ちなみに正しい対応は 「コーヒーで」  という一言であり。  こうして、沢邑は谷口と共に普通に喫茶店に入ったのだった。 /*/  喫茶店から外を見れば、道を闊歩するムラマサやイアイドの姿がある。改めて思う。今日のキノウツン藩国は、想像していたよりもずっと静かだ。  静かすぎる。  ……何か罠があるんじゃないか。アイドレスPLとしては割と一般的な病である。見た目では平和かどうかなんかわからない。何度そう思い込まされてきことか。がくがく。沢邑は気を落ち着けようとコーヒーを飲んだ。灼熱みたいだった。  まあでも。 「……あー、思ったより普通、ですね」 「血の臭いもありませんし」谷口が頷く。「コーヒーもうまい」 「ええ。なんかちょっと嬉しいです、はい……」  今にして思えば、表看板には『人斬り喫茶』と書いてあった気がする。食い逃げ喫茶とか立ち食い喫茶とかならまだしも……とは思ったが、まあ、この様子だと、多分、ジョーク……っぽい。  でも人斬り。人斬りって言ってるんだよなー。沢邑は心の中で眼を回した。で、苦笑する谷口に気付いて、はっとする。 「いえ、こういう形でも残ってるだけでももう有り難いんです……今までの事考えると、全くないと思ってたので」  慌てて言ったせいで、ちょっと言い訳がましい。けれど 「後は頑張って、少しずつ戻していけばいいんです、うん。昔のキノウツンに」  言い聞かせるようにつぶやいた言葉は、谷口が自然と微笑むくらいの台詞ではあった。 「なるほど……偉大な前向きですな」 /*/  喫茶店から出る。勘定の代わりにお前の首を追いていけという事は流石に言われず、普通に会計を済ませて出る事が出来た。  外に出ると、やや乾いたキノウツンの風が吹いていた。砂漠地帯から運ばれてきた細かい砂が混じっている。今日の風は強い。 「これだと明日は外に出られないかもしれませんな」 「え?」 「風が強くなると、こう、砂が吹雪みたいになって吹き付けてくるんですよ」谷口は厳粛に言う。「雪が走るみたいに、砂が走るんです。とても歩けたもんじゃない。まあ、時々あるんです」 「吹雪みたいなものですか」 「そうですね」 「あ、それなら」沢邑はぽんと手をたたく。「買い出しとか手伝いましょうか?」 「ああ……そうですな。買いだめしておきましょう。ありがとうございます」  谷口は頷くと、沢邑と歩き出した。沢邑はついて行きながら、あれ、と内心で首をひねった。なんだか遠慮されるんじゃないかなーと思っていけれど。予想外である。 「えっと、このあたりだとどこがあるかな」 「あー。来る途中にもぎたて市場があったはず」  なんだろう。その果てしなく正しいけれど間違ってるフレーズ。谷口も微妙に思ったのか遠い目。  しかしその市場もやはり、行ってみれば行ってみたで案外普通の市場である。ただ、ここは人通りが多い。大概がムラマサやイアイドの男性陣だが、よく見ると、女性っぽい人もいる。ぽいとしか言えないのは、フードをかぶって顔を隠していたり、見つけた次の瞬間には人混みに紛れて見えなくなってしまっているからだ。堂々としているのは自分競な物かもしれない。  そんな風に辺りを見ているうちに、谷口は黄色い籠を手にしている。彼が持つと、普通の籠がミニチュアじみて見える。巨人と言うほど大きいわけでもないのに、堂々と歩くせいで、周囲の物が小さくうつる。  ふと、自分は他の人にどう見えているんだろう、と思った。  谷口が真剣な表情でリンゴを選んでいるのを見て、少し考える。まあ、他の事なんかしったこっちゃねーと二秒で思考を切り替えた。 「いくつ買います?」 「三つほど」 「……」 「……」 「一食一つ?」 「はい。いえ、勿論それだけじゃありませんよ。本当です」  じと眼で見る。谷口、慌てた。 「本当です」  繰り返してくる辺りが怪しいというか、ほんまかいなと思うというか。  まあ今はそんなことどうでもいいわけで。  これはチャンスである。とりあえず思いつける限りのレシピを頭に思い浮かべつつ「そーですか。あ、そうだ。じゃあ今夜は私が作りましょう」と沢邑は口にした。 「は? いやそれはありがたいですが」 「そうと決まれば、いろいろ買い込みましょう」 「あー。はい。まあ二人分となればまた多くなりそうですしな」  わずかにずれたところで頷く谷口。  うむと頷きながら沢邑は、今夜から明日いっぱい、砂嵐が腫れるまでの間どうやって過ごすかを考えることにした。 /*/  油断する事なかれ。ここはキノウツン。返事の一つはその後の命運を左右する。無論今回気をつけるべきは谷口であったのだが、さて、今回の応対はどうかといえば……  勿論、ここで語られるはずもない。