[エンディングの夜]  バー、というよりもちょっと高級そうなホテルのレストラン。撮影が終わったその日、そこは風監督によって貸し切られた。映画に携わったスタッフ達は、お疲れさまでしたの唱和を契機に食事と雑談に飛びついた。  バイキング形式の食事をもりもり食べながら風監督は、いやー、どうにかなるものだねえと、内心で冷や汗をかいていた過去を思い出してしんみりしていた。金策に奔走していたときはぎゃーと叫びたい時もあったが、それも今ではいい思いでである。  いいのか? いいんだ。うん。風監督はうなずく代わりに口の中のコールスローを飲み込んだ。ごっくん。  春風を君にというタイトルのミュージカルコメディ映画が完成した、その夜である。ナニワアームズ商藩国の蘭堂風光は、スタッフ達との解放感あふれる打ち上げの中で、だんだんいい具合に酔い始めていた。顔が赤い。 「少し休んだらどうです?」  苦笑気味に話しかけてくる銀髪の女性。主演の、高町マリアである。彼女がダンサーとしてデビューするプロデュースをした縁で、今回の映画の主演をお願いしたのだった。彼女は風監督からまだ半分くらい残っているグラスを取り上げ、ほらほら、と何気ないそぶりで席を誘導。座らせる。隣の席に着くマリア。  美女とお酒と打ち上げ。うーん。まんざらでもない顔。 「さて。じゃあ、私たちから監督にプレゼントがあります」 「ほえ?」  風監督、目をぱちくりさせる。にっこり笑ってマリアが腕を持ち上げた。すっきりと延びた小麦色の腕を追いかけていくと、その先に、白いスクリーンが展開されている。いつの間に。 「じゃあ、いきますよー」  のんびりとした声で助監督。てめ、この、おまえもかブルータス、などという気はもちろんない。 「一体何を撮ったの?」あ、いけない。酔っていて間抜けなこと聞いている気がする。 「それを今から見るんですよっ」体を揺らしながらマリア。  そうこうしているうちにスクリーンに数字が。3、2、1、…… /*/  ぽつん、とデスクが一つだけ存在する事務所。そこに案内される、一人の男。隣には、にこにこと笑ってちょっとのけぞり気味に胸を張っている玄霧。 「さあ、ここが君の事務所だ。がんばってくれたまえ」  窓際族よりも激しい境遇に呆然。え、冗談ですよねとかようやく口にした頃には、玄霧はその場からいなくなっていた。ぎゃーす。小脇に抱えていたバッグが落ちる。こぼれる資料。ばさばさと白い紙が、灰色の廊下に滑り出す。  カメラが大きく寄せられる。画面いっぱいに拡大された白紙には、「えいつく」と書かれていた。  映画を作ることになった。簡潔かつ実直かつ事実のみを絞り上げて練り上げて加工することなく岩石のような正直さで説明するとこうなる。こうなるのだ。  いや、確かに「映画つくりませんか?」という誘いに乗ったのは確かなんだが。スタートが過酷すぎやしないかいしゃーちょー。 「えー。とりあえずあれです。予算集めましょう」  がらんどうの事務室で一人宣言すると、うん、とうなずいて彼はそそくさと事務室から出ていった。  ……。  戻ってくる。明かりを消した。ブラックアウト。  シーンは変わる。事務室には机もいれられ、助監督ほか、ザ・マネー! もといスポンサーとの契約書類を散らしている。契約書類の数は、結構多い。監督は目眩を覚えた。風邪かもしれない。 「ところで、配役決めないといけませんよね」助監督、昼食のフランクフルトをぱくり 「もちろん」ケチャップが垂れないように書類を避難させる。「あれ、それ俺のは?」 「え?」  えって……。 「は。ははは。いやだなあ。ちゃんと買ってきますよ」 「つまり今はないんだね。ないんだな!」 「いやー。てっきりその書類もらいに行ったときに食べてきたかと」 「……」目をそらす監督。「……まあ、食事はともかくだ」 「あれれ? 今何か間がありましたね」 「大丈夫。後でカットするから。そうではなく、役者ね、役者。もちろん考えはあるよ」 「おおー。まさかの展開」助監督はもう一本フランクを取り出した。ぱくつく。「あ、食べてきたならいらないですよね?」 「……わかった。存分に食べなさい。それで、えーと、そう。主演だ。主演。こっちには、あてがある。もう少ししたら、くるはずだ」 「ああ。……珍しい人選びましたね」本当にくるんですかという視線。 「うん。約束の時間まであと五分……だから、六十五分後くらいに」 「は?」  そして、高町マリアはやってきた。九十五分後に。 「す、すみません。遅れましたー」ぜーはーと息を吐く高町。「収録にも一時間遅れて……。いや、ええとそうじゃなくてっ。で、で、なんですかっ? 監督に内緒でって」 「あー、うん。彼女が高町マリア君だよ」監督、苦笑。 「ダンサーですっけ」  助監督が近づいていく。えー、なに言ってるの、という顔のマリアに近づいていく。何かぼそぼそつぶやいたようなノイズ。直後、マリアはぴっと背筋を伸ばした。 「はいっ。高町マリアです。よろしくお願いしますっ」 「よろしくねー」  その後、音楽家、脚本家と人が集まっていくにつれて、事務所はだんだん狭くなってきた。脚本家か「ダンサー映画……?」と首を傾げる中、ぎゃーす予算がーと叫ぶ監督と助監督。そこに登場玄霧社長。とうだね、様子は。うん、順調そうじゃないかと言ってプレッシャー。あはははと乾いた笑い。かきけすように、ミュージカルが流れた音楽担当が、大音量を吐き出すテレビを真剣に見つめている。  そして…… /*/ 「そんな、紆余曲折を経て」  いきなり、声が響いた。  蘭堂が左手を見れば、すっと立ち上がった高町マリア。いつの間にかマイクを持っている。どこから調達したのか、スポットライトで照明。 「今日、ついに完成しました。タイトルは『春風を君に』。監督、みなさん、お疲れさまでしたー!」  お疲れさまでしたー、と唱和した後、いきなりみんなが歌い出す。らそして、テーブルの隙間をぬって踊りだした。マリアが、え、え、と辺りを見回している蘭堂の手を取って引っ張り出す。千鳥足のまま、蘭堂も踊って、聞き覚えのある歌に耳を奪われた。  映画のオープニングに使った曲。  蘭堂の手がマリアから離れる。と、フランクフルトを口にした助監督が、適当なリズムで手を取った。踊る。 「なかなかいい締めでしょう?」  彼はにやっと笑うと、別の人に蘭堂を押しつける。何人も何人ものスタッフと踊る監督。次第に、彼も歌い始めた。皆で、歌い出す。春風を君に。  エンディング。スタッフロールがスクリーンをすべり、大きな音でテーマが流れる。  最後の最後は銀幕の外で。歌って踊る時間と共に、夜の幕が下りていった。