[どちらかがブラック]  玄ノ丈は、微かに眉根を寄せて、困った顔。  真剣と言うほど雰囲気はぴりぴりしていない。が、どうにかして見破ろう、と真面目になっている雰囲気がある。その、双眸の先にあるのは白い陶器のカップが二つ。どちらも黒い液体が満ちている。  鼻を突くのは、砕いた豆の香ばしさ。しかしその香りにヒントは無い。何故、砂糖には匂いがないのだろう。あんなに甘いのにと、玄ノ丈は詮無い文句を頭の中で繰り返す。  さて……いい加減、選ぶべきか。  玄ノ丈は右のカップをとった。そして、もう片方のカップがすっと、左から伸びてきた手にもっていかれる。ベッドの脇で椅子に腰掛けている美弥は、片手をさらのようにしてカップをささえている。玄ノ丈を見ている。緊張した顔。 「じゃ、負けても恨みっこ無しだぞ」 「勿論です」  美弥は笑う。ちょっとひきつっている。玄ノ丈の頬もぴくぴくと震えていた。  二人は同時に、カップを口につけた。 /*/  きっかけは散歩中の事だった。見舞いに来た美弥と共に、食後の運動にと庭を歩いている。宰相府だから安全、とは、最近はなかなか言い難いが、まあそれにしたって日がな一日寝転がっていると流石に体がかびてしまう。  のんびりとした昼下がり。冬らしく遠い陽射しだが、雲一つない青空のせいで眩しくうつる。玄ノ丈はわずかに目を細めた。 「このままデートにでも行きたくなるような天気だな」  玄ノ丈の言葉に、ちょっと驚いたような表情をする美弥。  クリスマスも過ぎ、体調は回復に向かっている。体にわだかまる倦怠感も徐々に消えつつあり、玄ノ丈はわりと機嫌が良かった。普段、あまり言わないようなことを口にするくらいには。 「ま、この腕じゃあまだだが」  といいつつ、彼の腕はまだない。はやすにはもう少し体力が回復してからの方がいいとのことである。 「じゃあ、治ったら是非」  美弥が言う。玄ノ丈は苦笑。そうだな、といいながら、のんびりと歩く。  庭はそれなりに広く、同じく入院している人が散歩に出ていたり、家族に付き添われて歩いていたりする。流石に、デートという雰囲気ではなかった。 /*/  散歩は何事もなく終了。二人は病室に戻ってきた。玄ノ丈はベッドに座り、美弥はその横で椅子に座っている。 「今日は長いな。仕事は?」 「えーっと、今日は休みなんです」  美弥は一度目をくるりと回した後、逸らした。 「実はちょっと体調悪くて。診察に」  あー、と玄ノ丈は納得した。美弥が来たのは昼頃からだった。休みだったら、多分、朝から来ていただろうと思ったところである。 「どうしたんだ?」 「ちょっと疲れたみたいで」  微妙に左腕を摩る美弥。玄ノ丈は苦笑する。 「お互い、腕とは相性が悪いみたいだな」 「ですね。日常生活にはあんまり不便はないんですけど」 「そうなのか?」 「です。元々ペンを使ったりお箸を使うのは右手で。左腕は痺れてますけど、重たい物持ったりしなければ大丈夫です」 「本当か? 痺れる?」 「大丈夫ですよ。なんなら、コーヒーくらいれてみせますよ」  言いながら、美弥は左腕はあげない。玄ノ丈は少し考える。俺がコーヒーはあまり好きじゃないと言ったから、逃れる自信があるのか? わざとそんなひねくれた考えもしてみたが、ばからしい、と思った。確認したければ確認すればいいのだ。 「じゃあ、いれてもらおうか。無理ならするなよ」 「本当に大丈夫ですって。……なんなら、賭けます?」 「賭け?」  珍しい手口だ。玄ノ丈は少し目を見張る。 「へえ。どんな賭だ?」 「コーヒーの片方に砂糖を入れます。砂糖があった方が、はずれ」 「なるほど。はずれたらどうするんだ?」 「えーと……」  美弥は目を回す。それから、じゃあ、と少し声を小さくして――。 /*/  カップをおく。玄ノ丈はコーヒーは飲み干していた。  玄ノ丈は額を揉んだ。美弥が少し心配そうにこちらを見ている。 「大丈夫ですか……?」 「あー。まあ、なんだ」  現状は微妙にショックでうつむく。というか、忘れていた。この手の賭け事で勝てたためしがない。実際には幸運評価の差があまりに大きかったことが反映されているだけなのだが、玄ノ丈は微妙にショックだった。 「まだ少し残ってますけど。飲みます?」美弥が自分のカップを持ち上げる。 「ああ。すまん」  苦いコーヒーで舌を洗う。なんで、こんな甘いものが飲めるんだろう。いや、いい。甘い物が好きなやつは、多い。だが、苦いものを甘くするという根性が理解できない。苦い物というのは、苦いところが、いいんじゃないのか? 違うのか?  まったくの言い訳を頭の中で繰り返してから、玄ノ丈はため息をついた。それから美弥を見る。 「よし。覚悟は決まった。えーと、なんだ。いいか?」 「…………はい」  美弥は少し顔を赤くする。目を瞑った。  玄ノ丈は恥ずかしさを全て心の内にしまい込んで、顔を近づける。