/*すくいぶね*/  ぴりぴりと目が痛む。荒くやすりにかけたような痛みは、乾いている事の証拠だ。谷口は書類を見る手を休め、何度か目を瞬かせた。痛みは塗りつぶされるようにしておとなしくなた。  再び開いたその目で見たのは、燃えるような夕日だった。部屋の中、ガラス窓を透かして入ってくる陽射しはこの世の終わりのように、赤い。  谷口は厳しい顔。夕日に照らされた顔には深い影がある。微妙に寝不足らしい。  しかし、その顔に疲れはない。むしろ肌の色は良く、活力に溢れていた。あえて不器用な表現をすれば、やる気に満ちている、そんな風に見えた。  キノウツン藩国。当時、情勢は悪く、各種支援が行われているものの手が足りず、設定国民の多くが厳しい生活を余儀なくされていた。  そんな時に谷口がやってきたのは、沢邑勝海という人物に会いに来たからである。谷口は彼女の頼みもあって、現在、国の支援を手伝っている。  実地で現場を見回って数日。家臣団による廃墟の修復、仮設住宅設置等の対応の上、見回りの上で具体案を策定、実行。現在はその最中である。  きい、と金具が軋みを建てる。ドアがひらいた。そろそろと、沢邑が入ってくる。谷口を見て、いいですか? と、どこかおっかなびっくりな感じに聞いた。 「ちょうど休憩しようとしたところです」谷口は席を立った。少し笑う。 「ずっと働いてましたしね」沢邑はほっとした風に言う。「お体とか、大丈夫ですか?」 「ええ。体は鍛えてありますので」  谷口、少し自慢げに胸を反らした。沢邑は笑う。 「立派ですね」 「ありがとうございます」谷口は丁寧に礼。それからはたと気付いて、面を上げた。「あー、座りますか?」 「あ、はい」  ぺこりと、頭を下げるようにして沢邑は頷いた。谷口は沢邑をソファに案内しようとして、ふと、彼女が手にしている物に気付いた。バスケット。結構大きい。 「なんですか、それは」 「あ。これはですね」  バスケットを持ち上げる。かぶせてある白い布を取った。  おお、と谷口が息を呑む。 「サンドイッチですか」  そこに入っているのは、パンでハムやレタス、タマゴを挟んだ物。パンはこんがりと焼いてあり、四分の一ずつに切られている。分離しないよう、一つずつが青や緑の楊枝で刺してあった。 「飲み物もあります。緑茶ですが」  沢邑は赤色の水筒を取り上げた。谷口はいいですな、と頷いて、 「で、これはなんですか?」  と尋ねた。  ずっこけそうになる沢邑。 「え、ええと。一緒に食べませんかと。差し入れですっ」  谷口は一瞬ぽかんとした。そのあと、 「あ。あー、そうでしたか。ありがとうございます」 「ちゃんと食べてますか?」 「ええ。少しは」  そうですか、と頷く沢邑。それから、ここに来る途中何度も考えた言葉を、思い切って口にした。 「明日から毎日持ってきてもいいですか?」 「面倒ではありませんか?」谷口が聞いた。 「やりたいんです。それに、その、お礼という意味もあって」 「ああ、わかりました。がんばります」  頷く谷口。真面目な顔。  沢邑はえーと、えーと、とぐるぐるしたが、うまく言葉にできなくてちょっと肩を落とした。 「一緒に食べましょう」 「そうですな。そこに座ってください」  谷口はソファを示す。それからテーブルを少し引きずってソファに近づけた後、自分の椅子を軽々と持ってきて側に置いた。沢邑はバスケットをテーブルに起き、お茶を注ぐ。  食事中の会話はあちこちに飛んだ。今の国の状況の話から、今後の対策、と思えば最近聞いたおもしろい話、変な話。  時間は瞬く間に。夕日はいつの間にか沈み、空は柔らかな濃紺色に包まれる。  谷口は話しながらバスケットに手を伸ばし、その手が空を切ったことで、いつの間にか全部食べきっていたことに気付いた。 「あ、もうありませんな」 「あ。本当だ」  沢邑はいつの間にかバスケットの中身が無くなっている事に気付いて、明日はもっとたくさん作ろうと思った。これでも夕食であることを意識してちょっと多めに、具は重たい物を使ったのだが。 「明日は別の物をつくって来ますね。何がいいですか?」 「そうですなあ。……あー」  谷口は苦笑した。頭を掻く。 「あ、何かあるんですね」沢邑は笑う。「何でも言ってください」 「えーと、では、あー。ハンバーグを。久しぶりに食べたいなと」 「大物ですね。わかりました」  谷口が満足するくらいの大きなハンバーグとなると、中にまで火が渡っているかどうか充分気をつけなければならない。沢邑は難易度を尋ねたくなる衝動をこらえながらはっきりと頷いた。やってみよう。  沢邑は笑って部屋を出る。谷口はどこか照れくさそうに送り出す。  谷口は心地よい腹の具合に小さく頷き、再び書類に目を通そうと、テーブルに戻った。  日暮れ後の時間。最後の一働きを、腹に満ちた気遣いと共に過ごしていく。