/*電想風景*/ (プロローグにかえて)  アイドレス。  ニューワールド(NW)という世界を舞台にしたゲームである。  クライアントは、ブラウザとチャットソフト。  そこでは言葉と絵とで世界が描かれ、人の思いで話が紡がれる。  立派なビジュアルがあるわけではなく、単に敵を倒せばいいというわけでもない。そういう意味では、わかりにくく、複雑なゲームである。その話を聞いた人々の、おおよそほとんどが首を傾げるだろう。  だが、PLは確かに、NWを感じていた。  今回はその一端。FEGという国に所属する、あるPLの見た風景のお話である。 (1) 「俺は部長――――柴犬だ」  瀟洒な喫茶店に不似合いな台詞。渋さを追求しましたと言わんばかりの裏声が、店内に響く。  犬のぬいぐるみの背中からひょっこっと、いつかが顔を出した。眉間にしわを寄せている。 「似てませんでした?」 「いや……似ているというか、しゃべらないだろう」  松井はぬいぐるみを抱え直し、む、と睨みつけた。西国人特有の灰色の髪の下で、紫色の瞳がすっと細められる。何か真剣に考えているように見えるが、この人物の場合、真剣にぼけている事もあるので油断ならない。  喫茶店の椅子に座り、猫の国で犬のぬいぐるみを抱えるこの女性こそ、松井いつかである。ずいぶん昔は男だったり、その次は子供だったりと、不思議な歴史をたどっている。  その向かいで新聞を広げていたのは、旦那こと松井総一郎である。眼鏡の下の双眸が不機嫌そうに見えるが、別に不機嫌なわけではない。反応に困っているだけである。  FEGの高層ビル群の一角、よく日の当たる場所に喫茶店いつかはある。奥さん大好きなのが高じてうっかり喫茶店の名前にしているあたり、総一郎の心理もまた複雑である。まあ、単にツンデレと言ってしまってもいい。大きな違いは無い。たぶん。  それはともかく。いつかは黒いスカートからすっきりと伸びた足を揺らすと、「ところでですね」と切り出した。  きっと何か来るだろうと思っていた総一郎は、丁度新聞を畳み終えたところだった。向き直る。 「なんだ?」 「部長がいないんですよ」  いつかが部長と言っているのは、この店で飼っている柴犬である。にゃんにゃん共和国なのに何故犬? と思うかも知れないが、更に衝撃の事実。この店のなんとメードは犬妖精である(疑問の答えになっていない)。  その部長が、居ない。 「まあ、今日は休暇だからな。部長も休んでるんじゃないか?」  なんとなくあわせてみる総一郎。いつかは眼を丸くした。 「どういう反応だ」心外な顔をする総一郎。 「そう切り返してくるとは思いませんでした。やりますね」うなるいつか。 「妙なところで対抗心を燃やすな」 「私もこうしてはいられま……ち」 「聞こえたぞ」 「残念です」  何が? 問いかける者はいない。総一郎も当然その点に触れることはなかった。代わりに、いつかが立ち上がったのを見て、やれやれと首を振る。 「捜しに行きませんか? お菓子も買えますよ」 「……まあ、わかった」  お菓子に意味は無いのだろう。総一郎はとりあえず頷く。  こうして。風変わりな夫婦が、FEGの街に出て行く事になった。 (2) 「――あれ?」  モカは足を止めた。  FEGのビルの一角、商業区。このあたりは安くてそこそこの品質の食料品が並ぶ市場である。今日は休日で、大安売りのまっただ中。並み居る猛者(主婦)で異様な熱気に包まれている。  その隙間、人々の足下に見慣れた姿を見つけた気がしたのだが……。  どさっ。 「わっ」 「あっ、ごめんなさいっ」  ぶつかってしまった。モカは慌てて道を譲る。すると美形の男性がありがとう、と言って歩いて行く。その後ろをぱたぱたと飛んでいく竜。  竜?  首を傾げるモカ。しかし、その直後、タイムセールの鐘が聞こえてきたところで全ての意識を切り替えた。人混みに駆け込んでいく。 /*/  それから三十分後。松井夫妻は、タイムセールが終わって人もまばらになった頃、市場に足を踏み入れた。 「やたらと混雑していますね」きょろきょろと辺りを見回すいつか。 「まあ、休みだからな。……なんで市場なんだ?」  いつかはぴたりと立ち止まった。総一郎を見る。 「美味しいものにつられてくるかと」  ……真顔である。  総一郎は思いを胸中に封じ込めてそうか、とだけつぶやいた。 「む。何か隠しましたね」 「いや。今夜は何にしようか考えていただけだ」 「ロールキャベツをお願いします」 「キャベツか……わかった」  頷きながら、二人は再び歩き始めた。  市場のあたりは人混みが凄い。それでも、今は二人並んで歩いて行けるだけマシである。セール中であれば紅葉国の海底都市にも匹敵しただろう。  幅広の通路にはいくつものワゴンが奧へ奧へと連なっている。そこに山盛りにされた野菜は、どれも少し高めの共和国産だ。赤く熟れているトマト、やたらと長いキュウリ。ゴーヤも転がっている。それらが高い天井から落ちてくる黄色いライトに照らされて輝いていた。  山になっているジャガイモを見て、全部サラダにしたらどれくらいになるだろうと考える総一郎。しかしロールキャベツとポテトサラダでは食材が偏りすぎる。 「あ、モカちゃん」  と、ふいにいつかがつぶやいた。総一郎が顔を向けると、通路の向こうからへろへろとやってくる犬妖精の少女がいた。彼女は両手に大きなビニル袋を提げていて、重量に引きずられるように肩が落ちている。ひどく消耗しているように見えるのは、気のせいではあるまい。  そのモカが、面をあげた。大きな瞳を更に丸くした。 「こんにちはー」 「こんにちは。どうしたの、その両手の」 「ちょっと買い過ぎちゃいましてー」 「ずいぶん買い込みましたねー」  確かに、ずいぶん買い込んでいる。明らかに彼女の筋力では無理があるだろう。 「あっちの方にレンタルのカートがあったと思うが……」総一郎が言う。 「はいー。もう重くて重くて。腕太くなっちゃいます」  いいながら、三人でカートの方に向かって行く。袋をいくつか代わりに持つ総一郎といつか。まばらになっている人混みの間を抜けて、すたすたと進んで行く。 「今夜は何なの?」いつかが聞く。 「冷し中華ですねー」 「ずいぶんトマトがたくさんありますね」 「トマトは他にもいろいろ。キュウリは漬物用です」 「ぬか漬け?」 「はいー」  話しているうちにカートにたどり着いた。よっ、と言いながらカートに袋を置く。 「ありがとうございますー」  モカはそう言いながら自分の荷物もカートにいれた。それから突然、 「あっ!」  と叫んだ。 「どうした?」平然と尋ねる総一郎。 「そこはもっと驚かないと」何故か突っ込むいつか。  二人を無視してモカは言った。 「そう言えばですね−。部長を見たんですよー」 (3)  場所は移る。  ここは狭い路地である。そこかしこから白い湯気や濃いスープの匂いが流れてきて、それが道に充満している。  つん、と鼻を刺激する香りは――醤油スープ。  FEGのラーメン横町である。  松井夫妻が腰掛けているのは、ある屋台の麺屋だった。二人とも油そばである。山盛りの麺に「おおっ」と声を上げるいつか。総一郎はごま油をかけている。  柴犬営業部長を探していたら、いつの間にかこんなところにまでやってきてしまった。街の奥まった場所にあり、近未来的な町作りとは少々異なった趣を醸し出している。小さなコンクリートの建物に入った居酒屋のような店の並びは、どこか、映画に出てくる部隊のように見えた。  こういう場所もあるんだなあ、といつかはおもしろそうにきょろきょろ視線を向けている。……が、空腹は空腹。割り箸をぱきんと割りながら、黄色い麺を食べ始める。ほかほかの麺は湯気をあげていて、なんとも熱そうだ。  食べる。 「おお」  意外とさっぱり味。もっとこってりかと思ったけれど、見た目にはよらない食べやすさだった。  二人とも黙って食べていく。二人とも減るペースが同じだ。どう考えても総一郎の方が一口を多く含んでいることを考えるに、屋台の主は量を調整していたのだろう。  サービスおそるべし。 「これは食べやすいですね。これを喫茶店のメニューにしましょうか」 「……本気か?」  総一郎がこちらを見る。冗談です、と返すいつか。 「やっぱり総一郎はお菓子職人の技術を覚えるといいと思うんですよ。クッキーでもいいですが。洋風お菓子を」 「パティシエか……」 「……」 「……」 「……総一郎……さん?」 「まて。そのネタは古いだろう」  本物? という目を向けるいつかに、総一郎はどんぶりを置きつつ突っ込みをいれた。 「まさか料理ができるようになるなんて。それもお菓子作りですよ。……意外ですね」  いつかとしても、これはちょっと予想外の方向性である。まさかそんな可能性があったなんて。  楽しみすぎる。 「やりますね、総一郎」 「今何を考えた……? いや、いい。やめておこう」  油そばの残りを食べつくし、総一郎は器を置いた。二人分の勘定を払う。 「それより、見つけたぞ」 「え? あっ」  二人が通りに目を向ける。  そこに、道をとことこと歩いていく、一頭の柴犬の姿がある。 (4)  ぐん、と下方に引っ張られるような感覚が、足に体重を感じさせた。  少しふらつくと、総一郎が肩に腕を添えてきた。大丈夫か、という目で見られる。いつかは少し照れつつ、大丈夫です、と答える。  そんな時間は、ほんのわずか。フロアが等速度運動をとるようになると、下に引っ張られるような感覚もなくなり、いつかはふつうにたてるようになった。  辺りを見回す。そこは円形の広いホールのように見える。円周上に点在する飲食店、喫茶、待合室。レンタサイクルもある。そこかしこにベンチが置かれ、中央付近には花壇でぐるりと囲まれた芝生がある。  ちょっとした公園のようにも見える。これがエレベータの中というのは、にわかに信じがたかった。  いつかはあたりをきょろきょろと見回した。部長の後ろ姿を追いかけてここまでやってきたのだが、エレベータの中で姿を見失ってしまった。  これだけ広ければ仕方ない、と総一郎は言ったが、確かにそうかもしれない。 「このエレベータはどこに続いているんですか?」いつかが聞いた。 「どこだったかな……」辺りを見回す総一郎。「途中で降りれば、公園があった気がするが。今は……」  総一郎は視線をあげた。つられて顔を絵に向けるいつか。天に浮かぶホログラムのウィンドウには、「ただいまわらしべプロトコル開催中」という謎のメッセージ。  そしてちょうど、その二人の足下を歩いていく柴犬が一頭。 /*/  部長はしっぽをパタパタ振りながら歩いていく。その口にくわえているのは古めかしい万年筆である。  今日の部長は大冒険だった。  無数の足が入り乱れた戦場のごとき市場を征き、ラーメン横町で煮卵をご馳走になり、ついでによってきた野良猫にもお裾分けしたらお礼にこんなものをもらってしまった。とりあえず口が寂しいのでくわえて歩いているが、どうしたもんかというのが、部長の正直な気持ちだった。  まあいいか。#これも正直な気持ちである。  そんなこんなで主人達の臭いを嗅ぎつけやってきた次第だが、二人とも天井を向いてしまっている。しっぽぱたぱたさせてお座りしていた部長だが、やがてすたすたと歩き始めてしまった。  そして十メートル先。 「あっれ……すみません、書くものが今なくて」  ビジネスマン風の男性が慌ててポケットを探っているところに出くわした。向かい合って立っている初老の男は、にわかに苛立ち始めているようだ。とんとんと机をたたく指の速度が、二秒ごとにペースアップしている。  部長は「やれやれ」と思いながら、男のそばに寄った。万年筆を置く。 「わん!」  びくり、と二人はこちらを向いた。部長は前足で万年筆を示す。  驚いた顔をする男性を一別して、部長は再び歩き始める。 「あっ、いました!」  その声が響いたのは、ちょうど、このタイミングだった。  部長は振り返り、わん、とほえる。  わらしべからは長者になれず、一文無しになった部長はおとなしく職場(いえ)に帰るのである。  おりしも、エレベータが停止する。出入り口から人が流れ始める。  部長は最後に一度だけビジネスマンの男をみる。まだ万年筆を拾っていない。  早くとれ、とばかりにもう一度ほえる。彼は慌てて手を伸ばした。  部長はのんびりと背を向けると、松井夫婦の元に向かっていった。 (5) 「探しましたよー」  もふもふ。駆け寄ってきた部長を抱えるいつか。しっぽをパタパタさせる部長。総一郎はそれとなくいつかの背中に手を回して、人混みから離した。 「よしよし。何かいいもの見つけましたか?」 「わん!」 「えらいえらい」  わしわしすると、部長は満足そうに床にだれた。苦笑する総一郎。 「意外とすぐ見つかったな。モカと一緒にいなかったあたりで、あんまり期待してなかったんだが」 「部長はお利口ですね」  部長は舌を出してだれている。  総一郎はかすかに笑うと、「少し散歩していくか?」と聞いた。  それは外から見ると、ビルとビルをつなぐ渡り廊下の真ん中、丸いボールのような施設である。だがボールはよく見ると細かい多角形であり、等間隔でガラスがはめ込まれている。  空中庭園は、窓硝子から差し込む光で眩しく、少し熱く感じるくらいだった。  芝生が一面にひかれた土地は、左手は平地で、右手は小さな丘になっている。奧に行けば木々が茂っているようで、黒っぽい針葉樹林をのぞむ事ができる。  気温と陽射しのおかげで、木陰はほどよく涼しそうだった。  丘の向こうから聞こえてくる水の音に、部長がわんわんと吼えている。いつかはひとしきり部長をも負も伏した後、そっと下ろした。勢いよく走り出す部長。周りにいた猫妖精達が驚いきの様子で部長を見ている。  うん、といつかはのびをした。 「室内とは思えない広さですね」 「ああ。さっきのエレベータか?」 「ええ。それに、ここも」 「確かに」総一郎は笑った。「想像も付かない大きさだな」 「そうですね……びっくりします」  呟きながら、二人はのんびりと歩を進めた。遠くから部長が走って戻ってきて、それから隣に続いた。いつかは立ち止まり、部長に尋ねる。 「部長は今日は何を見てきたんですか?」  部長は首を傾げた。いつかはしゃがみ、部長を抱きかかえる。 「何を見てきたんでしょうね」 「さてな」総一郎は笑う。「だが、まあ、案外似たような物を見てきたのかもしれないし、全然違う物を見てきたのかもしれない。……そうだな、想像するしかないだろうな」  そうですね、と頷くいつか。  総一郎はなんとなく正面に無を向けた。なだらかな斜面が続く丘を半分まで昇ってきた。だがそれでも、残り半分が視界を隠して、その向こうに何があるのかはわからない。  隣を見れば、いつかは部長をもふもふしていた。それからこちらの視線に気づき、きょとん、として首を傾げる。  一体、何があるのか。  一体、何を見ているのか。  想像することしかできない……。  だが、それが全てではないだろうか?  それ以上の何が、人にあるだろう。 「総一郎?」立ち上がるいつか。 「どうした?」 「何か難しい事を考えていましたね」 「おまえほどじゃない」苦笑する総一郎。「そうだな……この間、幸せになるためがんばろうって言ってただろう?」 「はい」 「俺も、同じだ」  そして、不意打ち。  総一郎は近づけた顔を離しながら、いつかの顔を見た。前とは逆の立場で、すっかり驚いている。抱えられた部長がぱたぱたと尻尾を振っていた。  いつかの頬が、ゆっくりと赤くなっていく。  きっかり二秒後、今度はいつかが顔を近づけた。 (エピローグにかえて)  アイドレス。  ニューワールド(NW)という世界を舞台にしたゲームである。  立派なビジュアルがあるわけではなく、単に敵を倒せばいいというわけでもない。そういう意味では、わかりにくく、複雑なゲームである。その話を聞いた人々の、おおよそほとんどが首を傾げるだろう。  だが、PLは確かに、NWを感じていた。  感じると言うことは、思いを馳せるという事でもある。  特別な事ではない。  それは、人が生まれてこの方、呼吸をするようにして行ってきたことであり、  知らないこと、わからない事にこそ、もっとも強い力を発揮する。  わかりにくく、複雑で、多くの人と関わり続けるゲームの中で、  さて、あなたの見た景色は、一体どんな物だろう? (ゲームへ続く)