/*方位磁石*/  妙な拾い物をした。  四角い棒だ。手の平に収まるくらいの小さな物で、赤と青の二色で塗り分けられている。表面には黒っぽい砂粒が張り付いていて、短い毛のように逆立っていた。  高之はそれを見て、少し目を細めた。  場所は宰相府。いつもの散歩コースだ。リハビリのために選んだコースで、以前は歩くだけでも息が上がったものだが、最近はこのくらいの道程なら息を切らさずに歩けるようになってきた。  固い、石の敷き詰められた道を歩く。左右は緑色の生け垣で、奥の方には小さな広場。中庭は涼しい風が入り、ほてった体を適度に冷ましていく。昼下がり、静かな中庭はなかなか居心地が良かった。  最近は、いや、最近もだろうか。よくない噂は多い。特に法官に関する話題はよく耳にする。  ――そこで、微妙に思考が止まる。  新組織を作る、という動きがあるらしい。そういう話の中で、覚えのある名前を聞いたのを思い出した。そして、その名前は連鎖的に昨日の事も思い出させてくれた。  まつりが話しに来たのは昨日の事だった。リハビリの途中で話しかけてくるという、珍しい事があった。事務的な話題ならともかく、日常的な話題は、向こうも、こちらも避けていた。互いに距離を取っていたのだ。  いつか、向こうから踏み込んでくるだろうとは思っていて警戒していたが、やはり、その時が来ると高之の心は若干固くなった。  だが、警戒しながら話を聞けば、口をついて出たのは反省の言葉だった。  最初はぎこちなく、小さく肩をすくめて様子をうかがうような態度だったが、いざ言葉を紡ぎ始めれば彼女はしっかりと物を言った。それは彼女の、自分の態度を押し出そうとするいつもの態度だったが、だがその内容はいつもと違った。  謝罪の言葉を聞いた時は、何を今更、と思った。  反省の態度を見た時には、誰に入れ知恵されたんだ、と思った。  だが、不思議と腹は立たなかった。気持ちは固くなったが、どこか、腹が立つよりも、もう仕方ない、という気もする。  嫌な性格だ、と自嘲する。自分というやつは、ずいぶん偉そうではないか。だがそれだけのことをされたのではないか? いや、それは本当に彼女だけの責任か?  思いはするが、その思いの実感がわかない。言葉だけでしかない考えが思考の上を滑っていき、心の中に届かない。  結局、自分が口にしたのは、許したのか何なのか、よくわからない微妙な答えだった。  そして翌日。  高之はいつも通りにリハビリの訓練を終えると、タイミングを計って現れたまつりと出会った。彼女がタオルを渡し、昨日よりも少しだけ自然にお茶はいりませんかと聞いてきた。高之は頷きながら、近くのベンチに腰掛けた。まつりは昨日頼んだのと同じ、熱い煎茶をもってきた。  まつりが向かいの席に座る。こちらが黙ってお茶を飲んでいるのを見て、何を話せばいいのか迷っているようだった。少し心配そうな表情は、ここ最近、彼女の顔からとれない物だ。  いつもなら、このまま黙ってお茶を飲んで去るところだ。  今日も、そのつもりで、一息ついたところで席を立とうとした。  そのとき、ポケットの中で何かが腿にに食い込んだ。  痛みに顔をしかめる。まつりが少し慌てて、どうしたの? と聞いてきた。 「いや」  高之がポケットから磁石を取り出す。腰を浮かせていたまつりは、それを見て首を傾げた。 「……磁石ですか?」 「ああ。落ちてたんだ」 「誰のでしょうね」 「さてな」高之は肩をすくめる。「誰が落としたんだか」  言って、磁石をテーブルに置く。高之はそのまま席を立った。まつりがちょっと慌てたようにこちらを見るが、追いかけては来なかった。  ……普通に話をしてしまった。  内心で微かに首を傾げる。  普通? そう、普通だ。特に不満を持って話しかけたわけではない。かといって楽しげに話しかけたわけでもない。ただ、何の気負いもなく、普通に話をしてしまったのだ。  たったそれだけのこと。  たったそれだけの、普通の事だ。  それを、ずっとしなかったのは、果たしてどっちだったのだろう?  むっとした顔を高之は浮かべる。  自分のせいではない、と言いたい。少なくとも責任は向こうにある。  と、ずきりと妙なところが傷んだ。先ほど磁石が突き刺さったところだった。  舌打ちする。  少なくとも向こうは、反省を態度で示している。  対して自分は何だ? 「まったく」  高之はそう言うと、苦い顔をした。 一度立ち止まり、戻ろうかどうか考える。  戻るのは恥ずかしい気がする。  気がするので、明日はもう少し、普通の態度を取ろうと言い訳して、高之は道を進んでいった。