/*奧にあるもの*/  ペンライトの光は途中で切れて、息切れしたランナのように闇に消えている。  深さが分からないほど黒い闇。息を吐けば、その音すらどこまで残響してしまう。このあたりはとても静かで……とても広い。けれど明かりに照らされているのはほんのわずかな部分で、すぐ横は真っ暗だ。  亜細亜は右を見る。  ふいに、闇の先に何があるか確かめたくなった。  闇のすぐ先には壁があるような気がする。無いような気もする。もしかしたら何か別の者があるかもしれない。  わからないというのは、不安でもあり、期待でもある。  胸が高鳴る。それは不安だろうか。期待だろうか。亜細亜は小首を傾げた。  ペンライトを照らせばすぐに答えが得られるだろう。けれど亜細亜は、なんとなく手を伸ばしてみたくなった。理由はない。けれど、そうしてみたくなったのだ。  闇の中に、そっ……と手を伸ばした。 「、っと」  空を掻く。バランスを崩しかけた亜細亜は、慌てて足を踏み出した。ペンライトで横を照らす。五メートル先に土の壁があった。亜細亜は照れ隠しをするように顔を振る。日差しの下で見れば、顔がぽっと赤くなっていたのが見えただろう。  しかしここは迷宮の中。日差しの届かぬ土地である。  わん、と声が響いた。  亜細亜は声の方へと歩き出す。ペンライトで足下を照らし、でこぼこしている道を歩いて行く。靴はざりざりと音を立て、洞窟の中に反響する。亜細亜はわざと歩調を変えて、リズムを作った。それにあわせてわずかに鼓動が早くなる。  しばらくすると、大きな犬と遭遇した。ヘルメットをかぶったじょり丸である。じょり丸は亜細亜の足下にやってくると、膝にすりすりしてきた。亜細亜はしゃがみ込みわしわしとなでてやる。じょり丸はお座りの姿勢。  ひとしきりなでてもらった後、じょり丸は闇の方に振り返った。もう一度わんとなく。  しばらくすると、道の向こうからライトの黄色い光が見えた。光は細長いパイプのように伸びていて、闇と光の境界で埃のようなものがちらちらと躍っていた。  やがて、うにょがやってきた。彼は手を振って近づいてくる。 「亜細亜ちゃ~ん! じょり丸さま~」  その後ろにいたみらのは、一瞬こっちを見る。そしてさっさと背中を向けて歩いて行った。うにょがすぐに気づき、消えた方へとお礼を言う。亜細亜はゆっくりとうにょに近づいていった。 「こんにちは」 「おはよう、亜細亜ちゃん」 「こんにちは……って2回言っちゃった」  苦笑していると、うにょは少し照れたみたいに笑った。なんで向こうが照れるんだろう。 「ふふ、えーと会いに来ちゃいました」 「コメント難しいですね」  言って、亜細亜はうにょの向こうを見る。うにょも振り返った。みらのの消えた方だ。 「みらの、どう……でした?」  ……どう聞けばいいんだろう。こんな質問じゃ答えるの難しいし、と言った後で考えてしまう。案の定うにょはよく分かっていないようで、首を傾げた。 「どうって? ……道案内してもらってちょっと話しした位かな?」 「それならいいんですけど」  それはそうですよね、と思って、苦笑した。自分だってそう聞かれたら、うん、困る。 「とりあえず、亜細亜ちゃんのがここに詳しいと思うし、お勧めの場所とか、まだ行ってない場所とかうろうろしてみる? それでお散歩の達人が生えるといいしね」  亜細亜は少し考えた。ちょっと押しつけがましい気もするけど、気を遣ってくれた……のかな? 「……じゃあ、お散歩しましょう」  考えている時間が間になってしまった。誤魔化すように亜細亜は歩き出した。うにょもついてくる。 「最近はじょり丸さまと迷宮の中を見て回ってるの?」 「はい。がんばって……ね?」  じょり丸は元気よくないた。うにょが笑って眼を細めた。 「羨ましいなーじょり丸さまは」  そんなことない、と言いかけて口ごもる。亜細亜は沈黙して、言葉を選んだ。 「今度、お外を一緒、歩いてあげてくださいね」 「その時は、亜細亜ちゃんも一緒に、ね?」 「それは無理ですよ」亜細亜は首を振った。「……襲われちゃう」  元々、迷宮に入る事になったのも自分の身を守るためである。それが歯がゆく思っていたのは、最初の頃。今では、それにつきあわせてしまっている事が申し訳ない、と思う。じょり丸にしてもそう。きっと、日差しの下を散歩した方がずっと楽しいだろうから。  勿論、迷惑をかけているだなんて言ったら、藩国のみんなは首を振って否定するだろう。それは誰でもそう。今もうにょだってどうにかすると口にして、励まそうとしている。  けれど、そういう問題ではない。  結局のところ、これは自分の気持ちの問題なのだ。  ……ああ、それでも。 「でも、亜細亜ちゃんと一緒に外を歩けるように、なんとかしたいと思う」  そう言ってくれるのは、嬉しかった。亜細亜は少しだけ笑った。うにょを見る。 「……ありがとうございます。少し、元気になりました」  うにょは視線を揺らした。あっちこっちを見ながら顔を真っ赤にする。……こんなに暗いのに、彼の顔が真っ赤になるのは簡単にわかってしまった。亜細亜は思わず笑ってしまった。  しばらくすると、最初にいた大空洞に出た。  恐ろしく広く、深い闇。ライトでは奧まで照らすこともできないくらいで、光は、途中で溶けるように闇に消えている。 「おおー」  うにょの喚声が上がった。びっくりして亜細亜は隣を見る。彼は目を大きく開いてあちこちを見ている。  喚声が消えるよりも早く、彼はまた声を上げた。いんいんと木霊する。 「すごいね、こんな場所があるんだ」 「はい……」亜細亜はちょっとびっくりしながら答えた。「結構、あるんですよ。迷宮造営のときの、基地です。今は使われてないですけど」  そう言って亜細亜は遠くを見る。  いくつもの考えが浮かんでは消える。造営の時に集まっていた人。反響する声。闇の静けさなんて嘘っぱちなくらいにぎやかだった時。  考えはまとまらなかった。 「向こうには何があるの?」 「え?」突然聞かれて亜細亜は意識を現実に向けた。「ええと、なんだったかな……」  そういえば。何があったっけ。……確か、危険なものは無かったと思うけど。 「案外、すぐ行き止まりだったりして」  うにょは楽しそうに言う。  亜細亜は闇を見た。  ……ライトで照らした先は、闇に消えて、見えない。 「何があるんでしょうね……忘れちゃった」 「じゃあ。何があるといい?」 「え?」  ――それは、唐突に亜細亜の頭の中をぱっと照らした。  誰だって、何かがあるといいなと思うから先に行こうとする。  じょり丸も、何かを期待してここに来たのだろう。  時々会いに来る藩国の人も。  今こうしてここに来ているうにょも、そう。  亜細亜は考える。――何があるといいだろう。  何か、あるだろうか。  あるかもしれない。あったら嬉しい。例えば、うにょとの会話で、たまたま少し元気が出たみたいに。 「行ってみましょうか」  亜細亜は一歩踏み出した。あわせて、うにょが一歩出る。じょり丸も二人に続いた。  足音が空洞に反響する。  光の点は徐々に奧に。  ゆっくりと。それは、向こうへと消えていく。 「何があるかな」 「何があるんでしょうね」  そんな声だけを、後ろに残して。