/*余地の検討*/ 「ええ。好きじゃないの、そういうの」 「わかりました。調査しておきます」  会話は………淡々と、していた。余計な言葉を挟む余地など、そこにはない。  堅い大地。乾いた土を踏みしめながら英吏は微かに頷く。それを見るとアイシャドウの人物はにこりと笑って歩き出す。  民家に挟まれた道はまっすぐ向こうに伸びている。通りは静かで、人気がない。―――遠く、微かに聞こえるざわめき。機会をうかがうように潜めた息使いが、風に乗って届いてくる。注意しないと聞こえないくらいだ。  彼の姿は、最初の曲がり角で消えた。おそらくは追いかけても、その姿を見ることはかなわないだろう。もうどこかに行ったはずだ。  後ほねっこ男爵領。新ほねコロ街道と呼ばれる道から少し外れ、一般家屋の連なる住宅街へと入ったところ。日差しは高く、道には民家の黒い影が落ちている。  昼過ぎだからか、はたまた別の理由でか………、静かすぎて、じっとしていると、どこか薄ら寒い。  ―――ただの妄想だ。  苦笑する。英吏はのんびりと道を歩き始めた。 「クイーン」  呼びかけると、道からのそりと白い姿が現れた。巨大な白い姿。四本の足を規則正しく動かして英吏の隣に並び、歩調を合わせてついてくる。何か心配しているのか、細面をすり寄せて、英吏の頬をこすってきた。 「なんだ? 甘えたいわけでも無かろう」  返しながら、首の後ろを掻いてやった。クイーンは気持ちよさそうに眼を細める。  しばらく歩いて行くと、広い交差点に出た。横断歩道の白いラインに、電信柱の黒い影がクロスしている。道を渡る人々の姿を眺めながら、ガードレールの手前に立った。道を眺めながら、のんびりと、時間を潰す。  2008年、9月末。後ほねっこ男爵領では臓器売買が流行していた。英吏はクーリンガンの高弟としてその調査にあたることになった。  別段、どの立場であるかはあまり関係無い。確かに、以前よりは『たが』が外れやすくなっている気がするが、たとえ以前のままでも、これを聞いたら調査していただろう。  結局のところ、自分のすることは変わらない。どう転がろうと、自分は自分でしかないようだ。………それがどこか、残念な気もするが、誇らしくもある。  自分は自分として生きることになるだろう。結局は、それだけが、生きることの価値だ………と思う。  そう思っていた。 /*/ 「これから、どうするのですか?」  耳元に顔を寄せて尋ねてくる。ささやくような声は緊張に満ちていた。  南天という名前の女性は、フードの下で表情を険しくした。先ほど、国内の闇医者―――臓器売買を担っている医者の元へ行ってきたところだ。住民が医者を逃がそうとしたことや、仕方がなかったんだと叫んだ医者の姿………普通に考えれば、ショックを受ける内容だったかもしれない。  何か慰めを口にするべきだろうか。ただ………今はあまり、距離を狭めたくない。英吏は自然と半歩横にずれていた。 「とりあえずはここまでです。ありがとう。この情報をもとに、愛鳴之まで追っていきます」 「では私も行きます」  すかさず答える南天。  英吏は少し笑った。―――きっとそう言うと思っていた。だが、今は、前以上に………巻き込むわけにはいかない。 「明日以降ですよ。今日は、のんびりします」  そう言ったあと、英吏は考えた。どうせなら、そう。少し、変わったこともしてみよう。  きっと、これが、最後だ。 「どこか遊びにいきませんか」  南天は、表情を変えずにじっ………と、こちらを見てくる。  英吏は表情を変えない。  一分もすると、彼女は眉根を寄せて考え込み始めた。それから微かに腕を振って、深呼吸する。 「………おいていく、気ですか? 危ないところに、行くんですか?」  小声だった。また難しく考えているな、と思う。  しかしその心配は大当たりだ。  大当たりなので、どうにかする必要がある。以前の自分ならともかく―――いや、以前にしろ今にしろ、ついてきてもらっては困る。特に今は、困った事になる、というだけだ。  どちらにせよ。自分は、彼女に迷惑をかけたいとは思っていない。 「いえ。少しづつやってるだけです。今日はもうやすみ。ゆっくりやりますよ」  嘘はつかなかった。英吏の言葉に、それじゃあ本当に………と、南天は顔を赤くする。 「………し、信用します………」 「ええ。本当ですから」  彼女はぺちぺちと頬を叩くと、にこっと笑った。  ………ああ、いいな、と思うのと。  これは、まずいな、と思ったのは同時だった。  英吏は微笑んで、少し身を引いた。南天は眉を持ち上げる。 「なんで、引くんですか?」 「触られるのは苦手で」 「………なんでわかったんですか……手を繋いでもらおうと思ったんですが」  これは少し嘘。苦手なのではない。ただ、今はよくない………と、思ったのだ。 「………先手取られてしまいましたね」  照れたように笑う南天。英吏は罪悪感で自分を殺したくなったが、一瞬で気持ちを切り替えた。 「まあ、散歩でもどうですか」 「そうですね………この先に湖がありますから、そちらにでもどうですか?」 「ええ」  頷いて、並んで道を歩いて行く。通りを抜けて、商店街を進み………河を横切る大きな橋を渡った。弧を描いた橋の上から左手を見れば、王城の灰色の威容や、その下に玩具を並べたみたいに広がっている市………そこから右に目を向けて、淵駒と呼ばれる湖や、収穫期を終えて裸の土地を見せる小麦畑が視界に入る。  息を吸う。………そういえば、まだ息を吸わなくてはならないのだろうか? どうなんだろう。どうでもいいことを英吏は考えた。 「あの、ですね」  南天が口を開く。湖に向かう、川沿いのゆるやかな坂道を二人並んで進みながら。 「なんでしょう?」 「と、特にこれ………というのがあるというわけじゃないんですけど。その。英吏さんは、たとえば何か食べたいものはありますか?」 「え?」  いきなり、なんの話題だろう。英吏は目を白黒させて、クイーンを見た。クイーンは、お腹空いてないよ? という顔。おまえはグリンガムか。眼を細める英吏。クイーンは楽しそうに目を丸くした。 「そう………ですね。今ぱっとは思いつきませんが」 「良かったら、今度作ってきます」 「―――、っ」  一瞬。動揺が顔に出かけた。  すぐさま表情を整えて、英吏はありがとうございます、と返した。  しばらくすると、湖にたどり着いた。  日差しを帯びて、銀色に輝く湖。滑らかな表面はどこか草原を思わせる。―――ああ、そう思って見ていれば、いつの間にか、波音が馬の足音にも聞こえてきた。  鳴駒の湖と呼ばれている湖は、想像していたよりも………綺麗だった。 「綺麗なところじゃないか」 「………ありがとう、御座います」  南天を見る。と、彼女もこちらを見てきた。  見つめ合っていると、南天が顔を赤くした。英吏は内心うろたえながら目をそらす。 「また性格がかわりましたか」  いきなりそういう反応をするとは………驚きにやられた頭が、言わなくても良いことを尋ねてしまう。  しまった。と思っていると、 「なんでしょうか、それ?」  南天はきょとんとした顔。 「………なんでもありません」 「………性格が変わったとか、変な風に言わないで下さいよ………地金がでたとか………あれ、それじゃもっと悪いか」  そう言って彼女は苦笑した。 /*/  不思議なことに。最初に思い出したのは、湖を前にした彼女との会話だった。  思えば………もう少し、何か、言い方があったかもしれない、とか。  こうすれば………別の顔を見ることができたかもしれない、とか。  後悔は無い。  けれど、少しだけ、思い出す。  顔を赤くしたところ、とか。  手をつなごうとしたところ、とか。  よく考えれば。自分の知っていることの、なんと少ない事だろう。  よく考えれば………どうすれば良かったか、自分はよくわかっていなかったのではないか。  考えは明確だった。何かを守るというのが、今も昔も自分の行動方針だ。できるなら、自分の望んだ物を守りたいと思う。  ああ。けれど。  それだけでは、何か、足りなかったのではないだろうか………?  それが何か、わからない。 /*/ 「そうだね。だが不思議な事というのはよくある。特に、自分の知らないことなら」 「知らないこと」 「そう。そもそも、不思議な事とは、知らないことだ。そして全てを知る必要がない以上、人には少なからずの不思議がある」  温室は暖かい空気に包まれていた。花の香りに満ちた部屋は、どこか鼻をむずむずさせる。 「ええと。今は彼女はどうしていますか?」 「うん。今日は墓参りに行っているらしい」 「、っ………」  英吏は表情を消した。そうですか、と言いながら頷く。 「そうですね。自分はもう一度死んだわけですし。それに………まあ、ひどいことをした。顔を合わせない方が良いでしょう」 「そうかね?」  そう聞かれて、即答できない自分に気づく。英吏は苦い顔をした。あれだけやってまだ懲りていないのだろうか? やはり自分は、人とつきあうのが苦手なのだ………。ましてや、好意を向けられているというのは、どうも、その、慣れない。  いや………正直を言えば。  今会ったところで、どういう顔をして良いのか………よく分からない。 「望むのなら何か仕事を見繕おう。おお、そういえばハイマイルで警備の話があってな」  宰相が話を続けたところだった。温室のドアが、こつこつと、軽くノックされた。 「お話中恐れ入ります。南天で御座います」  驚いてそちらを見る。と、そこには、どこか困惑した様子の南天が立っている。こわごわと………戸口から、温室の様子をうかがっていた。  ―――はめられた。 「おお。おいで」  宰相が手招きする。南天は早足で近づいてきた。 「どうかしたのかね?」  よくもまあ。英吏は内心で舌を巻く。ああ、このくらいできれば自分もまた何か違ったのかもしれない。そんな事をぐるぐると考え込みつつも、南天の姿を目で追ってしまう。  彼女はこちらに一礼した後、宰相の方を向いた。 「ええと、クリスマスプレゼントをお渡ししようとおもいまして……あと、その。相談を、聞いていただきたくて」  言いながら、彼女はマグカップを取り出した。宰相は笑ってうけとりつつ、 「わしからもプレゼントをね」  といいながら、こちらを見る。南天はさらに戸惑った顔をする。 「あ、有難う御座います……」 「好きなだけ、なぐっていい」  南天はどんどん困った顔をする。状況がよく分からないので………と、消え入りそうな声で言われた時は、宰相の足を踏んづけてやろうかと英吏は考えた。 「坂神はすべてのものを一度救った」宰相はそう言って小首を傾げる。「それだけだよ。な」  もう、駄目だ。耐えられない。 「いいんです。ハイマイルでかせぎますから。では」  素早く言って、英吏は戸口に向かって歩き出す。  が、 「英吏さん!」  素早く伸びてきた手に、捕まった。  ―――以前、避けようとした事を、思い出す。  英吏は立ち止まった。それから、動揺が顔に出ていない………はずがないから、南天の方は向かなかった。 「気にしないでください」 「もおっだって! 死んだと思って!! 今だって! お墓参りしてきてっ」 「いやまあ、死んだことにしてください。自分も、そう思います」 「いやです、なんで………もう、私は貴方がいないと、だめなんです………。生きていけないくらいダメなんです」  今にも泣きそうな声。英吏は罪悪感で死にたくなった。 「それははじめてききました」 「私も、初めて知りました。貴方が死んだと思ってから。………だから、お願いだから、もう消えたりしないで………」  ぎゅっと、手を握りしめてくる。英吏は反射的に、南天の顔を見てしまった。  顔を背ける。  以前これをやられていたら、きっと………手放せなかっただろうな、と思った。  熱い手。泣きそうな顔。宰相がそっぽを向いているのが、視界の端っこにうつっている。  この手をふりほどけるだろうか?  ふりほどきたいのだろうか?  考えるまでもなかった。わかってしまった。  あのときはわからなかった理由も。だって、仕方がない。あのときわかってしまったら、自分はきっと辛かった。  今だって。手をふりほどけない。そんなことを、したいとも思わない。  そうしていたいと思ってしまった。  英吏は一度目を瞑った。どうすれば良かったのか。どうしたいのか。今はそれだけを考える。  明白だった。 「わかりました」 「わかりました?」  目を開くと、南天がじっとこちらを見ていた。  英吏は頷く。 「ええ」  すると、彼女はとても………とても、嬉しそうに笑って、見せた。  けれど駄目だ。今は、なんというか。そう。防衛能力が足りない。撤退すべきだ。  英吏は素早く歩き出した。  足音は、少し遅れてついてくる。 /*/  少し、緊張する。  軽率だったかもしれない。どう思われたのかわからない。不安で、柄にもなく動きがぎくしゃくしている。  宰相府の中庭。色とりどりの花を眺めながら、英吏は待っていた。  ………何を言えばいいだろうか?  考えてみる。彼女は何を言うだろう。何を考えるだろう。  自分はどうしたいだろう。  どうすれば彼女のためになるだろう。  いつも通りの思考。いつも通りの検討。  けれど。少しだけ、高望みをする余地があるなら………。  彼女の喜ぶところが見てみたい。  英吏は少し笑った。緊張がほぐれた。  花を眺めながら、足音が聞こえてくるのを、ゆっくりと待つ。  今日はどんな顔をするだろう、と。柄にもないことを考えながら。