/*砂糖の演習*/  猫屋敷。またの名を川原邸。百匹の猫がおわすという彼の伝来(?)の猫の家。  その家の猫と家主達は、昼日中、暖かな日差しの下で食後のひとときを過ごしていた。穏やかな縁側は心地よい風と猫の声に満たされている。  最近すっかりなついてきた猫が、仟葉の肩にのぼったり、足下で丸くなったりして山を作っている。  遠目に見れば刈り取ったばかりの羊毛の山とも言わんばかりのボリューム。猫屋敷ならではの光景である。  これを越える光景を作れるのは、彼の霧賀家の小助くらいである。彼は自らも一体となって猫の山を作り得る。  今日は彼はおらず、従って仟葉と川原の両名が猫と共にのんびりと日向ぼっこをしている一日だった。  川原は洗い物を終えると、ちょっと目を離した隙に猫にすり寄られている仟葉の側に腰を下ろした。仟葉がちらと川原を見て、小首を傾げる。少し笑っている。 「あっという間に集まってるね」 「五分もあれば、こんな感じだね」  仟葉はゆっくりと言ってから、左手の猫の背をなでた。猫はゆらゆらと尻尾を振った後、欠伸混じりに立ち上がった。のそのそと歩いて行く茶色い猫は、仟葉の右側に回り込んで、他の猫たちに混じりながらべたーと寝転んだ。  手招きする仟葉。川原はささっと側に寄った。  ……そのまましなだれてみようか。とか。少し考えたが、やめた。なんとなく気恥ずかしかった。代わりに、川原はんー、と言いながら微笑した。  仟葉は追求せず、猫のおやつが無くなってきたね、と言う。  首を傾げる川原。 「あれ、そうだった? この間たくさん補充したと思うけど」 「え? そっか……誰かが盗んだのかな」 「え?」  また唐突な。しかし、彼がそう言うということは……。 「心当たりがあるの?」 「ちょっと物の配置が変わっていたり。普通ならほとんど気づかないくらいだから、逆に気になってね」 「あー。誰の仕業だろう。まあいいや。買い出しに後で行ってくるね」  こくり、と仟葉は頷いた。  そのまま沈黙が続く。  二人はのんびりと庭を見ていた。時々、猫がとことこと歩いて行っては、適当な日だまりを見つけて丸くなる。と思えば、子猫が猛スピードで駆け抜けていったり。  静かなのか賑やかなのか判断に困る光景である。  左手の猫だまりから一匹の猫が起きあがる。オーレがとことことやってきた。川原の膝の上にのぼってごろんと転がる。  なでれ、みたいな態度に川原は笑いながらわしわししてやった。オーレは気持ちよさそうに鳴いた。 「退屈?」 「え?」  ふいに、仟葉が聞いてきた。川原がそちらを向く。 「いや。いつもこうしてるだけだから。退屈してるかなって」 「うーん」 「たまには散歩に行く?」 「え?」  珍しい誘いに少し驚く。目を丸くしていると、少し照れたみたいに目をそらす。  そんなに物欲しそうな目をしていただろうか。川原は頬に手を当てて考え込む。  ……散歩かぁ。 「そうですね。買い出しがてら行きましょうか」  まあ。たまには。  少し、のんびりと歩いてみるのもありだろうと。川原はのんびり頷いた。 +++  買い出しに出て行った川原と仟葉を見送って、オーレはわしわしと顔を洗った。軽く体を震わせ、にゃ、と鳴く。  すると。庭に現れる是空氏。どもー、是空配達です、といいながらオーレに近づく。 「どよ。作戦は順調?」 「散歩中ですにゃ」 「散歩かぁ……」  オーレの言葉に腕組みする是空。しかし……。 「それじゃおまえさんの言った、あー、デート? にならないんじゃないか?」  散歩をデートにできるほどラブに傾倒しているキャラではない……、はず、と考える是空。 「難しいですにゃ。ご主人様はあんまり甘くないのです」  猫に甘さ批評されるとは。是空は天を仰いだ。  ……NWCの影響だろうか? 「まー。言われた通り朝のうちにおやつは持っていったけど」 「後は外部部隊に任せるのですにゃ」 「ああ。あの野良達か……何するつもりなんだ?」 「そんな事はわからないのです」顔を洗うオーレ。 「おいおい」傾く是空。 「猫ですから」 +++  仟葉と川原はのんびりと外を歩いていた。あまり人の多くない高層ビルの外、最近草地になった裏道。  涼しい風と、遠くの喧噪。  これで桜か梅か、木の下を歩いていればいろいろと完璧な雰囲気である。  仟葉の右手には月刊誌を何冊か重ねたくらいのボリュームの袋がぶら下がっている。すでに買い物は終わり、今はぶらぶらと裏道を歩いている。 「もう帰る?」  川原が聞く。仟葉は少し考えた。  ……このままデートをする、という選択肢も無いではないが、たぶんきっと、難しいだろうな。この袋がなければまだなんとか、とも思わなくもないが。 「そうだね」  仟葉は頷いた。まあ、いつも通り。のんびりと歩いて、のんびりと帰ろう。  少し影響されてるな。仟葉は頭を振る。 「だけど、なんだったんだろうね。確かに買い込んだはずなんだけど」 「猫たちが食べていた、とか」 「包装ごと?」少し笑う川原。 「それはないか」仟葉は苦笑した。 「昇さんはなんだと思う?」 「泥棒……だと思ったけど。よく考えたら、それなら気づかないはずがないし……。猫たちも静かだったから」  目を細めて考え込む。川原はにこにこ笑いながらそれを見ている。  が、ふと、足下に目を向けた。つられてそちらを見る仟葉。  猫がいる。白地に黒の模様の猫。どこかペンギンみたいな模様をした猫がとてとてと近づいてきていた。 「おや。慣れてるねー」  しゃがみ込む川原。昇は足を止めた。  反対側、昇の方には茶色い猫がやってきている。額に黒いわっかのある子だ。 「こっちにも」  昇が言う。川原はわーといいながらもう一匹の猫を見た。 「どうしたのおまえ達」 「知り合い?」 「んー。初めて見る子」 「そう」  話している間に、茶色い猫がていていと昇の手にしたおやつへと前足を伸ばしてくる。こらこらといいながら持ち上げると、飛びかかってきた。 「ほんとうに慣れてるね」やや呆れながら昇が言う。 「おなかすいたのかな。えーっと」  川原は辺りを見回して、少し先にいったところに広場を見つけた。最近ではよく見かける草地の広場で、ただベンチを置いただけの、それだけの場所である。  施設としては高層ビルに空中庭園までもつFEGでは、草地だけの土地というのはある意味で珍しい。  二人はそこまで移動した。当然のように追いかけてくる猫たちは、二人がベンチに座った後もじっとこちらを見てきた。昇が膝に置いた袋から川原はえびのおやつを取り出し、そっと地面に置いてみた。  猫たちは近づいてきて、しばらくその周りをうろついた後、はぐはぐと食べ始めた。 「うちの子達おなかすかせてるかなぁ」 「今頃寝てるんじゃないかな」  ほとんど反射的に仟葉は答えた。最近、猫ばかり見ているので生活リズムが手に取るように分かる。おなかをすかせるにはあと一時間はいる。 「昇さんはおなかすいた?」 「そういえば、もうおやつ時だね。さっき買ったの、食べる?」 「そうしよっか」  昇が袋の中から紙の包みを二つ取り出す。一つを川原に渡した。  どこにでもある、素朴な鯛焼きである。  何故かさきほど通った路地に詳しい松井から川原が聞いた、一押しの品であった。 「……」  二人同時に、ぱくりと食べる。  ……なるほど、と思う。確かに薦められるだけあって美味しい。少し時間が経って冷めているけれど、味は濃すぎず、生地はしっかりしていて。味は素朴だが、どこか懐かしい感じでもある。  少し、年寄り臭いかな、と思わなくもない。 「なかなか美味しいね」 「うん。あの通りは他にもいろいろと美味しいものがあるらしいから、今度ほかにも買ってみよう」 「そうだね。……もう少ししたら暑くなるし、羊羹とかもいいかも」  きょとん、とする川原。じっとこちらを見た。 「どうしたの?」 「ううん。珍しいね。食べたいものを言うなんて」 「そう? ……そうかも」 「羊羹ね。うん。覚えておく」  何故か、少し嬉しそうにしながら鯛焼きを平らげる川原。仟葉は少し照れくさくなって、目をそらした。 「あれ、猫たちはどこだろう」 「あ。いつの間にかいなくなってる」 「がめついな……」  食べるだけ食べてどこかに行ってしまった猫たち。仟葉と川原は顔を見合わせて苦笑した。  それから、何故か二人とも少し固まった。何か考えているようでもある。 「えっと、」  何か言いよどむ仟葉。川原は笑って立ち上がった。 「帰ろう」 +++  猫屋敷に戻る。と、もう昼寝の時間は終わっていたらしく、猫たちがずいぶん騒がしく駆け回っている。  二人が帰って縁側に向かうと、 「こらこら」  何匹か襲いかかってきた。  膝を駆け上がってこようとする猫を抱き上げたり、おろしたりしながら。しかしなかなか猫たちの突撃はやまない。 「みんな落ち着いて。昇さん?」  昇は微笑んだまま見ている。餌は? と首を傾げる川原。 「なんだか、おもしろいなと思って」 「あ。わざとか」 「ごめんごめん」  苦笑しながら、仟葉はおやつをいくつか開封して餌場に置いた。途端に集まっていく猫たち。解放された川原はよいしょ、といいながら縁側に座る。隣に座る仟葉。 「猫たちは元気がいいね」 「お腹が空いてるんだよ」 「うん。ても私は少し満腹」 「なかなかしっかりしてたね、あの鯛焼き」  そうね、と言いながら、川原はそれとなく寄り添ってきた。肩に頭を乗せてくる。  仟葉は二分ほど迷ってから、片手を伸ばした。髪を梳くようにそっとなでる。  くすくす笑う川原。 「くすぐったい」  言いながら目を瞑る。仟葉は気が済むまで川原をなでた後。さて、と立ち上がろうとした。  ……が、川原が動かない。  あれ、と思ってそちらを見れば。すうすうと、寝息を立てている。 「器用だな」  思わず感想がこぼしつつ。  それとも、疲れていたのだろうか、と考えたり。 「……まあ」  これもいいか、と考えながら仟葉は空を見上げた。  遠く高い青空。のんびりとした夕方直前の一時。腹を満たす心地よい満腹感。  なるほど。眠たくなるのも仕方ない、と。仟葉は欠伸をかみ殺した。 +++ 「………………あっ」  はっとして頭を持ち上げた。  すると、ずるりと何かが滑ってきた。膝の上に落ちてきた仟葉に、川原は再びはっとする。  あたりは夕暮れ。オレンジ色に濡れた景色の中、目覚めた川原は軽く頭を振って眠気を追いやった。  ……どうも、うたた寝をしていたらしい。そして膝に倒れてきた昇を見る限り、どうも、身を寄せ合ったままお互いに午睡にまどろんでいたようだ。  座ったまま寝るとは器用だな、とどうでもいいことを考える。無意識のうちに相方と似通ってきている。  ……そして、現実に意識を向け直して。 「……昇さん?」  そっと、声をかける。  しかし返事は無し。規則正しい寝息が帰ってくるばかり。  ……。  …………。 「よし」  位置をそっとずらして、膝枕などしてみたり。  そしてさっきのお返しとばかりに、そっと頭をなでてみた。  ぴくりと、眉が動く。まぶたが持ち上がる。  仟葉が、こちらを見上げてきた。  じっと川原と見つめ合う。 「おはよう」 「うん、おはよう」 「えっと」  仟葉は少し挙動不審。あちこちに目をやっている。  気づく川原。 「もしかして、起きてた?」 「頭をなでられた感覚は、ある」 「そ、そう」  何故か動揺する川原。 「顔、赤いよ」 「昇さんこそ」  しばらく沈黙する二人。  夕暮れはもう終わり。  空からは赤色が消えつつあるけれど、二人の顔はまだしばらく赤かった。