/*黙考の狭間*/  遠くに、月が見えた。  暗い夜。昼間に降っていた雨はやんだ物の、変わらず空には分厚い雲が折り重なって星の明かりを隠している。それでも、わずかに空いた隙間を通して月の白さがぽっかりと空いた穴のようにその姿をさらしていた。  遠い、―――な。  カールは目を瞑った。  弱い風が服越しに肌をなでていく。少し遠くから、ざわついた音がする。夜は遅く、もう一時間もすれば、この微かな話し声も蓋を閉じるように静かになっていくだろう。  今日は久しぶりに介入していた。そして、少なからず、話をした。  正直を言えば気が重たくもあった。言わなければならないとも思っていた。腹も立っていた。だがそんなことで、こちらの考えが伝わるだろうか、と心配になった。だから、様々な物が絡まり合う中から、なんとかして、言葉を紡いだ。いささか、堅くなっていたかもしれない、と思う。  しかし。話してみれば、向こう――第七世界人の方も、いろいろと考えているようだ、という事が伺えた。  だが。 「――――」  目を開く。やはり、月は遠い。この風の強さなら、月が隠れるにはもう少し時間がかかるだろう。  人は遠い。カールは片手を持ち上げた。わずかに体が揺れそうになり、足を広げて姿勢を保つ。家の前の道のアスファルトは堅く、靴の裏からしっかりとした感触を返してくる。  だが、と思う。だが―――信じるには、いささか遠すぎる。  ここで持ち上げた片手を、あの月から見ろと言っているような感覚がする。そもそも、理解できるのかどうか、見えているのかどうかも、怪しい。  やはり。信じるというのは難しい、と思う。  時には、そう。本当に理解できているのかと怪しく思うこともある。  だが、時には。ちゃんと通じていると思う事もある。  どちらなのか分からない。しかし、どちらかが分かれば、安心できるのだろうか?  きっと違うだろうな、と思う。思いも、言葉も、交わすことはできる。だが、本当に納得するには、納得して認めるには、そうであるという態度を示すしかないのだ。  示すしかないから、やはり自分の気持ちはまだ揺れているところがある。  まだ見よう、とは思う。これでも――そう。これでも、ただ第七世界人に腹を立てるだけである人よりは、少しだけ、向こうのことも分かっているつもりだ。それでも、気持ちを抑えられなくなることはあるが、だがそれでも、もう少しはこちらも考えるべきなのだろう。  少なくとも、 <もうやです! ここの人が私達のせいで死んじゃうの>  そうの言葉は、信じていたいと、心から思う。  ―――傷は深いな。カールは苦笑した。自分が、ここまで傷つきやすいとは思っていなかった。もう少し、そう、自分は鈍感な方だと思っていた。思っていたが、実際はどうだろう。今では、人を信じることがどれだけ勇気のいることか、などと思ってしまっている。 「ああ―――」  けれど、それでも。彼女はこちらに来て、 <そして、私が間違ってると思ったら遠慮なく叱って>  そう言ったのだ。  夫婦でしょ、とも。  自分は腹を立てていた。  自分はまだ、許せていない。  それでも。いや、だからこそ、 「―――ああ。そうするさ」  そう誓う。  よく見ていよう。よく知ろう。そしてまたもう一度。  信じられるように。  カールは小さく息を吐いた。見上げた月は、いつの間にかすっかり雲に隠れている。  振り返り、家の中に戻っていく。その足取りは変わらず重いが、少なくとも、目だけはまっすぐと前を向いていた。