/*心のそこからは難しく*/  風は遠く。海の果てから届くような濃密な潮の香りに満ちて、海鳥や波のたてる喧噪が唯一の賑やかしとなっている。人が消えて久しい陸地にはわずかに果てているようにも見える。  その海辺。砂浜の上には、二種類の足跡。ゆったりとした歩調の二つの足跡は並んで続いて、島の向こう側に回るところまでのびている。  波がのびる。砂浜をぬらして、足跡を覆い隠した。  波が引いた後。足跡は微かに残る程度になっていた。 /*/  玄ノ丈は鼻を掻いた。  ――――まあ、行ってくる。  その言葉を口にすると言うこと自体、玄ノ丈は少し意外に感じていた。いや、それを言うならその前。弁当を食べ始めたあたりの雰囲気から、いつもより、そう、いつもより少し、穏やかだった気がする。  もしかしたら今日は機嫌が良いのだろうか。海辺で、隣に座っている美弥を見た。彼女はにこにこ笑っている。とても嬉しそうで、少し、頬が赤い。それは先ほどの行為が関係しているんだろう。あー。  白状すると、少し照れても、いる。  前だったら、そろそろ何かでひっかかるはずなんだが……いや、考えても仕方ないか。うまくいってるんなら、それでいい。玄ノ丈はそう言うと弁当のはいっていたタッパを片付けた。どうする、という目で美弥を見る。美弥はにこにこしながら受け取った。片付ける。 「いつ行かれるんです?」 「そうだな。まあ、そんなに時間はかけんさ」 「じゃあ……今日はまだ時間ありますよね?」少し上目使いに見る美弥。 「ま。最悪でも出発するまでは一緒だな」玄ノ丈はわずかに口の端を持ち上げた。「あー。なんだ。――散歩でも、するか?」  美弥はちょっと考えて、はい、と言った。嬉しそう。ちなみに考えている間に「散歩じゃなくてデートと言ってくれればいいのに」とか頭の中で言葉が走っている。  玄ノ丈は気にした風もなく立ち上がる。美弥も立った。並んで歩き始める。  しばらく、のんびりと歩いた。海の風は濃く、潮騒は賑やかだ。人の気配こそ他にない物の、今は隣を誰かが歩いている。それだけで、周囲の空気が少し穏やかになったような気がするから不思議な物だ。玄ノ丈は草地から離れて砂浜に出た。ざくざくと砂を踏んで歩いて行く。  美弥はちらちらと玄ノ丈に視線を送った。さて、何を見ているのか。いい加減聞いて見ようかと思った頃、彼女はわずかに顔をうつむけた後、ぐっと面を上げてこちらを見た。 「……あの」 「ん?」 「手をつないでも良いですか?」  玄ノ丈は少し笑った。別に聞かなくてもとは思いつつ、右手を伸ばす。美弥はぱっと笑うと、手を伸ばした。ゆっくりと包むように手を握る。 「しかし、なんだな」 「はい?」 「いや。……デートみたいだな、と思ってな」  その言葉が妙に恥ずかしい。無性に首を掻きたくなる衝動に駆られながら、玄ノ丈は歩くことに専念することにして、だが――  美弥が一瞬きょとんとした後、 「そうですねっ」  嬉しそうに肯定するので、もう、誤魔化す事もできやしない。  誤魔化す? 玄ノ丈はふと笑った。あたりを見る。遠い空に、海は果てまで見えそうなほど広く、左手の森には人の気配が無い。恥ずかしがる、どんな理由がここにある? 「このままだと島を回れそうだな」 「そうですね。いいデートコースかもしれません」  にこにこ笑いながら答える美弥。こりゃ、駄目だ。玄ノ丈は観念した。 「ああ、そうだな」  観念して肯定する。二人はのんびりと、歩いて行った。