暖かな空気、静かな気配。  目を開いたら、屋内だった。  ――ここは星鋼京。  王城たる白亜宮、執務室の中。  さて、本日もよき星の巡りで。心中ひとりごち、セタはまず、周囲を見渡した。  落ち着いた色合いでまとめられた部屋は、主の人柄がうかがえる。  その主――クロは、セタのいる傍で、静かに椅子に座っていた。  /*/  黒の上衣に、白のふわりとしたスカート姿の王妃は、今日も可愛らしく、少しだけ表情に乏しかった。 「おはよう、クロ」  視線を合わせ、あいさつひとつ。ちら、と机の上を見ると、先日手紙と共に送った花は、綺麗に飾ってあった。  整えられた花束に混じる花は、<コブシ>。花言葉は<友情>。 <この花が枯れる前に再会できることを願い>  したためられた返事にはこう書かれてはいたが、実際に飾られている間に逢う事ができたと思うと、なんだかほっとした。  そしてその事実に、嬉しくなる。  これで、できれば花言葉通り、友人の一人や二人、できてくれたらなぁ。  クロの反応を待つ数瞬で、ちらりと考えた。 「おはようございます。大変ですね……」 「うん」  クロもあいさつひとつ。  他人事に思えないのだろう、すこし息を吐いて、クロは言う。 「共和国、問題ばっかり」 「ああ……らしいね。友人もいるから、少し難儀してる。とはいえ……」  言葉尻に別の話題を察して、クロは不思議そうにセタを見あげた。  クロが座っているため、普段よりかなり差がある高低差が、更に広がっている。  気づき、近くの椅子に腰を落ち着け、視線を合わせる。  何ですか、と声に出さず問いかけてくる妻に、ぺしりと自分の額を叩きながら、説明する。 「うちも問題がないわけじゃないみたいだ。ヌルとコガネマルの行方、捜しにいかんとね」  そう、ここ数日で各国話題になっていたのが、王犬問題だった。  犬士、猫士、という宮仕えの存在がいる。  彼らの登記簿に不備があったことから端を発したこの問題は、国の根源たる王犬・王猫の居住地にも広がり、華族たちの悩みの種になっていた。 「久々にクロにゆっくり会えたかと思ったらスグこれだ。クロ、着替えて街に出たいけど……構わないかい?」 「はい。それは、なんですか?」  外出には頷く。  茶器の用意を始めていたメードを止め、準備を命じつつも、どこか不思議そうな顔。 「それ?」  それは、なんですか?  それ。…それ?  自分を見る。周りを見る。そしてもう一度クロを見る。  考えど、思い付くものがない。  疑問符を飛ばすセタを見て、クロは口を開いた。 「ヌルとコガネマル、です」  たどたどしい名詞の発音に。あー。とセタは心の中で頷いた。たしか。 「あー。えーと、王犬……だね。元、だけども。ヌルは伏見藩の、コガネマルは奇眼藩のだよ」 「なるほど…知りませんでした」  ぱちぱちとまばたきをしながらのクロの台詞に、もう少し説明を加える。 「クロが俺と結婚したときには、もう星鋼京になってたはずだから、知らなくても無理はないかな」 「その王犬に、なにかあったのですか?」 「恥ずかしい話だけど、足取りが最近掴めてなくて行方不明、ということがつい最近判ってね」  セタはまあ、と前置きしてから言う。 「王犬だから、という訳ではないけども知ってる子の行方が知れないことが判ったら、流石に放っては置けないからね。探しに行こうと思う」 「なるほど。調べましょうか?」  ようやく事情が呑み込めたのか、ひとつふたつ頷いて問いかけるクロに、セタはちょっと笑って言った。 「ありがとう。手伝ってもらってもいいかな。手伝ってくれると凄く嬉しい」  はい、と頷き。クロは部下を呼び出して指示した。  手際の良さ(と相変わらずの愛らしさに)ちょっと見蕩れている間もなく、あっという間に返事が来たようだった。  報告にまた、ひとつ頷くクロ。  ありがとう、と部下を下がらせると、わかりましたよ、とセタに言った。 「流石というか……」  自分の、というよりはクロの部下である。なにせ過ごす年月が違う。  複雑な気分を隠しつつクロを促すと、どこか苦笑交じりの返答がきた。  本人も意識していない程度の感情の揺れ。 「今は引退して飼われているそうです。王宮に」  王宮。  ……。  …なに?  それ、気合を入れて探そうかと意気込んでいたので、あっけにとられた。 「広すぎるのも問題な気がしたよ。できるだけ、城の中ぐらいは歩き回るように心がける……クロ」  しゃがんで、視線を合わせて、微笑む。 「ありがとう」 「?」  クロは不思議そうだった。  礼を言われる理由が思いつかないようだった。  分からないまま、首をかしげる。口を開く。 「みにいきますか?」 「あ、うん。行こうか」  そっと手を差し出すと、クロは手をにぎった。  /*/  白亜宮は、国の象徴として建てられた、おそろしく巨大な城だった。  故に、王族の住まう中枢ブロックもまた、比例して広く大きい。  クロの執務室から歩くこと500メートル。並んだ部屋の前で、クロは止まった。  どうやら、目的地はここらしい。 (王犬二匹、それぞれ一部屋ずつ……豪勢な)  しかし、それ故に国の柱が去らずに大混乱になっていないとも言う。  保護をしてくれていた国の者に、心の中で何度もお礼を言いつつ、クロを見た。  不思議そうな顔をしていた。 「クロ。重ねて言うけど、ありがとう。君が国を見ていてくれているお陰のような気がした。こうやって混乱が起きていないのは」  一息。 「いつも、お疲れ様。ありがとうね」  クロは微笑んだ。 「いえ。そこまで大げさに喜ばないでも」  まんざらでもない、かな。  空いている手で、髪の毛をそっと撫でる。 「じゃあ、コガネマルの方から見に行こうか」 「はい」  ノックをして、部屋に入る。  部屋は、立派だった。  (周りの部屋に比べたら)狭いながらも、コガネマルが愛されている事を思わせる、内装だ。  人が来るのに気づいていたのだろう。  コガネマルはセタとクロの方を見て、尻尾をふっていた。  その名の通り、コガネ色の毛をした王犬で、なかなかの毛艶である。  毎日ブラッシングされているらしい。 「ちゃんと会うのは初めてだね……セタだ。元気かい?」  しゃがんでコガネマルに視線を合わせる。  コガネマルは嬉しそうに息をついて、尻尾をふりふりと揺らした。 「元気そうですね」 「何よりだよ。さて、次はウチの方のだけども……」 「はい」  ノックをして隣の部屋に入ると、はたして、かつての伏見藩国の王犬は、いた。  名目上は雑種。でも何の雑種か分からない。  見ていて和む顔立ちである。  そのヌルは、ぐてーとした様子で、ちらりとセタを見た。  見る。  視線が合う。  めんどくさそうに尻尾をふった。 「…………えーと、久しぶりです」  セタが一礼すると、それでよしとばかりにヌルは鷹揚にうなずいた。  気がつけば、ヌルに近づいたクロは、ひたすら王犬の頭をなでている。  ヌルはぺろっとクロの手をなめた。なんだかんだで気に入ったらしい。  態度の差に苦笑しつつ、セタは口を開いた。 「ああうん、元気そうで本当に良かった。ああ良かった……ん。クロ、嬉しそうだね」 「かわいい…」 「クロの方が可愛いよ」  笑顔が抑えきれない感じで、クロの横でかがみ込むと、む、と眉根を寄せたクロが目に入った。 「かわいいが違います」  クロはまだまだ犬をなでている。  それを眺めて、ピンときた。  今日はこれにしよう。 「もっともだ。ところでクロ――せっかくだから、コガネマルとヌルと、今の王犬のヌル・ツーを呼んで庭園に出ないか?」 「はい」  3びき、とクロは呟いて瞬き。  どうやら、気に入ったらしい。  /*/  中央庭園の、深部。  一般公開されてはいても、なかなか訪れる人も無い、王族のプライベートスペース。  星詠みの知識で作られた華麗な庭園で、王犬3匹は銘々勝手に歩き出している。  とてとクロが近づき歩み寄り、懐くヌルを捕また。 「よっぽど気に入ったみたいね」  嬉しく思い、そう呼びかけると、クロも楽しそうな様子で声をあげる。 「セタも、つかまえて」 「うん」  にやけながらクロに言われるままに捕まえに行く。  自分もヌルツーをひょいと捕まえる。きょーじきょーじと目で訴えるヌルツー。  はいはい、今日はみんなで遊ぶぞー。 「クロ、ほら。抱いてみる?」  抱きかかえたまま、クロに近づくと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。  ぱたぱたとしっぽを振っているヌルツーを、そっとクロに手渡す。  クロも、怖がらせないようにそっと、受け取った。 「ありがとうございます」 「ありがとう、でいいよ。俺もその方が嬉しい――お茶にしようか」 「はい」  こくり、と素直に首肯するクロの頭を撫で、控えていた者に、茶会の用意を頼む。  銘々転がっている王犬を眺め、まぁなんとかなったかと内心ため息をついた。  少しずつ、少しずつ。  このまま、全てが上向いて。  ふわりと香る菓子の匂いを感じつつ、セタは未来に思いを寄せていた。