赤い布を首に巻いたオス猫、アントニオは海を見ていた 駄賃に貰った猫缶を小脇に抱えて、防波堤に腰掛けていた カリ・・・ アスファルトを擦る爪音に気付いて振り向けば、見知った顔があった 「ご無沙汰しております」 昔なじみの猫は、うやうやしく頭を下げる 「まだ、そのガウンの切れ端を持っておられたんですね」 「マフラーだよ、正義の味方ニャア必要だろ、マフラーの猫とでも呼んでくれ」 「英雄の介添えにでもなったつもりで?」 「ありゃ腕だろ。それよっか、どうしたんだ?お前が俺の所来るなんざ珍しいな」 自慢のマフラーを前足で揺らしながら、興味なさ気に訊ねた 「国を渡るのですよ、この国は・・・もう」 確かにキノウツンは度重なる危機によって疲弊している 帝国では呪われた国、などと評される程に 「まあ待て、まだ慌てるような時間じゃあない、諦めるのは死んでからでもできるってよ」 「では、貴方はこの国に残ると?そう仰るんですか?」 「てか、何だ?俺を誘いに来たのか?」 些か驚いた、人間と馴れ合っている自分を誘う猫がいるなどとは思っていなかった 「貴方はこのまま終わっていい猫ではない」 「確かに終わんねぇケド、国は出ねぇよ」 「相も変わらず本当に猫らしくない方だ。人の歯車に組み込まれさらに酷くなら れた」 「人に組みしとて、この身は猫である、遺すは魂魄と想いのみ。子など成さずと も、ってな」 種の保存、本能、などと言われても自分にはピンとこない 「お父上の様に剥製になるおつもりですか」 とある居酒屋に鎮座した父の姿を思い出す。若い頃は無様だ、などと思ったものだが。 今は不思議と、そうなるのも悪くないと思う。ただ、それは遠い未来の話 「そいつぁ御免被るぜ、焼き鳥屋に猫じゃあ格好がつくまいよ」 しかし家主の営む焼き鳥屋に、自分の剥製がある所を思い浮かべて失笑した 余りに似つかわしくない、自分は招き猫が勤まる柄ではない アントニオの笑みをどう受け取ったのか、猫は寂しげな表情を浮かべる 「あの日、駆け抜ける貴方の背中は、確かに皆の憧れだったと…」 風を切り、草原を野山を駆ける、獲物を追い、獲物として追われる 過ぎた時を幻視した だがすぐに現在がその風景を塗り潰した 「オレには、ネズミ相手と子守をする方が性にあっている。今ならわかる、気がする」 「本当に残念ですよ…」 「止める気もねぇし、俺も行く気はねぇ。次に顔を合わせるのは根堅州国だ」 「最早、往生の際ではないので?」 「キノウツン紳士はあきらめが悪いのさ・・・」 沈黙 あたりは風と波の音、遠くで微かな騒ぐ人の声 「埒がない…さようなら、我等の王になっていたかもしれない方よ」 去る猫は振り向かず、残る猫は見送りもしない まるで、今までの会話が無かった事のように 道端ですれ違った他人の様に、そっけなく別れた アントニオは空と海を見て、一瞬考えると懐から缶を取り出した 「さてと、もう一缶空けるてから帰るか」 ///*/// 「ニャッニャッニャ〜ニャッニャッニャニャ〜♪っとくりゃ」 「ゴキゲンだな、今帰り?」 鼻歌まじりで窓から帰宅したアントニオを出迎えたのは、雷綱だった。 寝転がりながら顔だけ向けている 「なんだ雷の字、まだ起きてたんかよ」 「なんとなく、さ」 本を片手に夜空を見ていたようだ 何か考え事をしていたのか、小さくため息をついた 物思いに耽る横顔は父親によく似ている。 「黄昏てんじゃんよー、なんだ?アレか?恋的なアレか?」 「ちげーよ」 悩みの内容にはアントニオにも心当たりはあった この年頃の男子にはよくある悩みであろう 「……もっと強くなりたいとかか」 「まー、そんなカンジ」 「お前充分強いじゃんよ」 「違う、こんなんじゃダメなんだ、もっと、オヤジみたいな…」 なまじ力を持つだけに、一般的な男子よりも悩みは深そうである 若い時分の自分を見ているようだと。ダジャレじゃねぇよ? 何かアドバイスでもと一瞬考えたアントニオであったが 面倒なので止めた 「今日の飯の時の話だけどさ」 「んあ?船さんとこの嫁?」 「なんだよその海産物家族の母親みたいな呼び方」 「翠蓮は役に立ってるのに〜俺は腕っ節しか取りえがない〜ってか?てか?」 「その口調、腹立つからやめろ」 「しらんがな」 「そんな事よりよー、何読んでんのよ?肌色が多目?」 自分から話を振ったくせに、もう違う話題を替えてくる辺り、やはりは猫である しかしその辺は雷綱も慣れたもので、話を切り替える 「・・・ちげーよ、式使い」 「なんだ、その尻尾に響くタイトルは、俺にも見して見して」 タイトルに興味を持ったのか、興味津々、尻尾ビンビンで覗き込んできた 数分後――― 「萌は俺のな?」 「へいへい、ご自由に」 心底どうでもよかった 「サクラギって鋼の字の知り合いにいたやな、漢字違うケド」 「あー、俺は会った事ないけど」 漫画のキャラを真似てポーズを取るアントニオ 気だるげに、横目で見ながら答える 「実は式符持ってんじゃね?」 「ねーよ」 「カーチャンなら式符作り出しててもおかしくなくね?」 「そしたら俺と翠蓮、生まれてないし」 「たしかに」 こうして、夜は深けていった ///*/// ――今はこの毎日がとても楽しい 駄賃にもらう猫缶が、たまらなく美味い 翠蓮の膝の上が心地よい 雷鋼とバカ話するのが楽しい バレないように煙草を吸うのがスリリング 船橋家の幼猫をからかうのが愉快だ 雷電の餌に手を出して、追い駆けられるのが最近のブーム 最近メゾンでよく見かけるおさげのネーチャン、玄関の前を行ったり来たりしているのを眺めるのが面白い 散歩の途中で見かける人々がたまらなく愛おしい 砂漠の熱風と潮風の混じった匂いが好きだ、この国が好きだ だから、ここにいる お前はどうだ?