「不器用な父と子」 /*/ 「東おとうさんへ はじめまして。わたしの名前は東みなとです。おとうさん」 そこまで書くと、みなとはぴたりと手紙を書くのをやめた。 鉛筆を持ったまま、悩む。もう何度も同じことを繰り返している。 無名から、リワマヒへ、リワマヒからFEGへ。短い間に国を転々とした。 自分を養子にしてくれた人の名は、東恭一郎という人らしい。 まだ、話したことはない。会ったことも、ない。 だから手紙を書こうと思って、そして、いつも書けないでいる。 「私は元気です」「頑張って勉強しています」「おとうさんはお元気ですか?」伝えたいことはたくさんあった。尋ねたいこともたくさんあった。 それでも、一番伝えたいことはどうしても書けなかった。 「おとうさんに会いたいです」 そう書いてからしばらくして、みなとは手紙を丁寧に畳んでゴミ箱に捨てた。 /*/ FEGには、リワマヒ国難民用の私塾がある。 大統領の判断により、リワマヒ国の文化を重視した教育を行っている場所である。 その私塾の中庭で、子どもたちが手回しラジオを楽しそうに回すのを物陰からこっそり見守る男が二人いた。 一人はこの国の王にして、オリオンアーム大統領の是空とおるその人であり、もう一人はリワマヒ国摂政にして、東みなとの父親の東恭一郎である。 きな臭い情勢を鑑みて、こっそりお忍びで訪問していたが、いかんせん二人とも有名人なうえ、動きがあやしい。 通りがかった人が、「あ、大統領…」「え、東摂政?」とぼそぼそつぶやきあって、やがてなま暖かい微笑みをのこしてその場を去って行った。 東の視線の先には、金髪の南国人に交じって、ひときわ目立つ銀色の髪の少女がいた。一所懸命に先生の話を聞いている。まだ一度も話したことのない自分の娘。話したくないわけじゃない。ただ、東は第七世界人。時間軸がどうしてもずれがちな自分は、あまりかかわるべきではないと思っていた。 「じゃあ次は、みなとちゃん」 授業はいつの間にか教科書の輪読に入っていて、指名されたみなとが立ち上がった。 「『それから毎日、小さな蛙は空に向かって跳び続けました』」 それは、リワマヒに伝わる民話だった。一匹の心やさしい蛙が、すべての生きとし生けるもののために、あきらめずに努力を重ねる物語。 みなとの声量は不安定で、時に大きくなりすぎてしまったり、小さくなりすぎてしまったりした。声がたびたび裏返ってまわりの子どもに笑われる。そんなとき決まってみなとはあわせるような笑顔を浮かべた。 「んーまあそんなもんだよなあ」 東が髪をくしゃくしゃとかきながら、つぶやく。心が少しざわついた。 となりでは、是空が「難しいなあ…」と肩を落としている。 「戦争で親をなくしてる子だしねえ…『よし、笑顔を取り戻すためのゲームを始めよう』、とか言うところなのだろうけど」 東が苦笑いを浮かべた。 「まかせた」 隣の是空はかなり落ち込んでいて、ふらついている。 /*/ 輪読は終盤に差し掛かっている。雪の降りしきる高い山の山頂へ登った蛙が、星に触れるために跳び上がるシーンだ。 (私も跳び続けたら、いつかお父さんに会えるのかな) みなとは、窓から少し空を見上げて、また視線を教科書に戻した。 (勉強、頑張ったらお父さんは喜んでくれるのかな) 先生が、板書を始めた。一所懸命にノートに書き込む。 /*/ 「とりあえず、突発でイベントでもやりましょうよ。この手のは機会を増やしてやるのがいい」 一所懸命に勉強をしているみなとの姿は、幾分か東の心を穏やかにした。 「そうね。うん。よし。がんばろう」 是空が気合いを入れ直す。 「町会長に相談して、文化継承の意味をかねてお祭りでもお願いしてみましょうか。いや、それとも無名の方の祭りの方がいいか、さて。」 「よしきた。ちなみにどんな祭りだい? いや・・・・リワマヒの祭りにしようよ。無名はまだ、人口が多い」 人口の多さは文化の継承に影響する。人口の少なくなってしまったリワマヒ国の文化を守るためには、人口の多い国よりも苦労が多いはずだ。 「了解。 この時期だと・・・節句は外れてるから、うーん…時期的には田植え終わったんで祭り、かな」 「せーんせーあーりがーとーごいまーした!」 授業が終わって、先生に礼をすると、子どもたちはわーっと外に向かって飛び出した。 「おっとと」 話しに夢中だった東と是空があわてて身を隠す。 子どもたちの一段が暴風のように過ぎ去ったあとの教室をのぞくと、みなとが一人残っていた。 ほっとしたように微笑むと、鞄から本を取りだして読み始めた。 「幸せなのか、不幸せなのかもわからんな・・・」 是空が目を眇めてみなとを見た。 「・・・素の顔だと、美人になりそうな予感」 「え。そっち?」 ぼそりと呟いた東に、思わず是空が振りかえって突っ込んだ。 「え? 余所んとこの人が一杯から解放されたらあんな感じじゃ?あとで、本でも買ってあそこに送ってやろう」 すこしうなずいて、東は優しくわが子を見つめている。 みなとは、細い指でページをめくっている。放課後の教室特有の、緩やかな時間が流れていた。 「余所って・・・うーん。別に差別とかしたくもないし、してもないんだけどなあ・・・くそー」 「一人、育ったところから移動して、集団生活するとあんなもんだと思うんだけどねぇ、私も近い経験が身に覚えもあるし。差別してなくても、笑いのポイントがずれてるとか、差を感じることは結構あるもんですよ。3年ぐらいたって、一緒に飯でも食べる友達がふえりゃ、そのうちなじみますて」 西の空に沈む太陽が、みなとの銀色の髪を染めていた。時折吹く風がふわりとその髪を持ちあげると、きらきらとした黄金の光の粒が鮮やかに舞った。 「酒でものもう」 ふと、是空がつぶやいた。 「そうですな、呑みにいきましょう、呑みに」 東がうなずく。 「ああ…がんばれよ・・・」 万感の思いを込めて、是空はみなとを見つめた。 「生き残った子ですよ。しぶとさは折り紙付きですよ」 東が肩を叩いて、是空を促す。 二人は踵を返すと、飲み屋街へと歩き出した。 カラスが一声鳴いて、夕日に向かって一直線に飛んでいった。 子どもたちは家路につき、大人たちの時間が始まる。 /*/ カラスの声に気づいて外を見ると、ずいぶん暗くなってしまっていた。 みなとは読んでいた本を閉じると、鞄にそっとしまって立ちあがった。 教室の扉に手をかけて廊下にでると、なぜか少し温かい気配に触れた気がした。 ふと思いついて教室にもどる。 ゴミ箱から、自分で捨てた書きかけの手紙を取りだして、丁寧にしわを伸ばして鞄に入れ直した。 家に帰ったら、続きを書こう。お父さんに届けることはできなくても。 みなとはいつもより少しだけ軽い足取りで、通学路を家へと歩いた。一番星が紫色の空に輝いていた。