空歌と連れ立って買い物に出かけた船橋の袖を、誰かが引いた。 振り向けど誰も居ない。しかし袖は引かれ続ける。 「こっち」 視線を下に下ろした。そこにいたのはリュックを背負った一人の少女。 年のころは5,6歳だろうか。見覚えは無い。 次の瞬間少女の口から飛び出した言葉に心当たりも無い。 「おとーさん」 /廻る世界で/ 船橋の袖を掴んだ少女は、うろたえた様子の船橋と目が合うと、へらり、と笑う。 その笑いの中に、船橋は何処か見知った色を見た気がした。 つられて笑い返した船橋であったが、下ろしていた視線を上げた所でその笑いも固まる。 「待て。誤解だ空歌」 目の前で明らかに泣く寸前の表情を浮かべる空歌。 足元に取り落とした買い物袋が落ちている辺り、非常に昼ドラらしい。 「鷹大くん。その子、鷹大くんの」 「誤解だ。違う」 ざわめく周囲。船橋はそちらに視線を向けられない。 『隠し子?』『あんな誠実そうな顔して』 明らかに勘違いされた台詞が耳に届いても、とりあえず空歌から視線を離すわけにはいかなかった。 どう考えても視線をそらした瞬間に空歌の中で浮気が成立してダッシュで逃げられる。 この場の空歌逃亡阻止に使用する評価値は魅力で30。 船橋の評価は空歌帯同、HQ含め27。差分−3で成功率20%。 ダイスロール。 22:20 (asd_) asd_ -> 1D100 = [4] = 4 成功した。 逃げ出そうとするのをぐっと堪え、船橋に問い返す空歌。 「ご、誤解……?」 「そうだ、誤解だ空歌。俺の子供じゃない。信じてくれ」 「そ、そうだよね。鷹大くんが浮気なんて……」 しかし船橋のその言葉を聞いて、今度は少女の表情が歪む。 「おとーさん、わたし、おとーさんの子供じゃないの……?」 目尻に涙を浮かべる少女。固まる船橋。再び涙を浮かべる空歌。 船橋は死んだ。心情的に死んだ。 だが蘇生判定は発生せず、目の前の少女が動いた。 「おかーさん、おとーさんが、わたしおとーさんの子供じゃないって」 空歌に抱きつく少女。 今度は船橋が唖然とした顔で空歌を見る。 「空歌」 「ち、ちがうよ!?」 周囲のざわめきが大きくなるのを感じる。 『妻の浮気』『血液型が合わない』『あらまぁ』 気づけばいつの間にか、外野の手によって夫婦崩壊の危機の如き修羅場になっている。 どうでもいいけどキノウツンに残っている国民はこんなんばっかか。 そろそろ管理機構が来そうになった所で、船橋は取り合えず逃げる事にした。 空歌の手を引いて走り出す。 後に残された買い物袋だけが、寂しげに風に揺れていた。 逃げた先は公園。キノウツン藩国にしては珍しく、比較的緑の多いその場所で、ようやく二人は一息ついた。 「一体なんだったんだ、あの子は……」 「あのね、違うの鷹大くん。ほんとに私浮気なんて」 「大丈夫、空歌はそんなことしないって分かってる」 「そうだよ。おかーさんはおとーさん大好きだから」 「「!?」」 声の出所は、船橋の背中。 服にしがみついてぶらぶら揺れる少女の姿を見て、空歌は思わずかわいい、と呟いてから思い直したように首を振った。 「そ、そこは私の場所!」 「そうじゃないだろう空歌」 「え、あ、ごめんなさい……」 肩を落として落ち込む空歌。 「いや落ち込まなくても良いから。そんな事より降りてくれないか」 「はーい」 船橋の言う事を素直に聞いて、するすると降りる少女。 えへへ、と笑うと船橋の足に抱きついた。 「おとーさん、足はやいねえ」 「だから俺は……うーん」 「……鷹大くん、この子迷子かなぁ」 「……かもしれん」 空歌が少女と張り合うようにこちらの手を握っているのは気にしないようにしつつ、首を振る船橋。 「いつもこれくらい積極的ならなぁ」 「?」 「?」 「いや、なんでもない。浅田にでも電話してみるか。とりあえずベンチにでも座っててくれ」 「うん」 「はーい」 『すみません、調べてみたんですが、今のところ迷子の届けも失踪届けも出ていません』 「他の国の人身売買の可能性は?」 『一応調べましたが、届出が出ている範囲で照合はありませんでした。それ以上は……』 「そうか……忙しいところ申し訳ない」 『いえ、お役に立てずすみませんでした。では失礼しますー』 そうして電話を切って、一息つく。 帰ってきた答があまり好ましくないものであれば、肩を落として二人の方を振り返って。 その先の光景に、思わず微笑を浮かべた。 「――で、近所のイネンさんのおばさんが、凄く良い人でね」 「へー」 ベンチの上で二人並んで仲良く喋っている様子は、確かに親子といっても通じそうなほどで。 そこでこちらに気づいた空歌が、視線で問いかけてくる。船橋が首を横に振ると、苦笑を浮かべた。 二人の間に交わされた視線に気づいて、少女が船橋の方を見る。 「あ、おとーさん、電話終わった?」 笑みを浮かべてベンチの上を飛び降りると、船橋へと走り寄る少女。 えい、と一声あげてとびついた。僅かによろけながらも受け止める船橋。 「っ、と。……さて、どうするか」 「うちで預かる……?」 空歌のその提案は、昨今の国の情勢を見れば、確かに一番正しい選択かもしれない。 しかし子のこの親も心配しているかもしれない、と思えば、どうしたものやら、と一つ唸る船橋。 船橋の手を取って満面の笑みでぶん、ぶん、と振っているこの無邪気な子を、どうするべきか。 不意に公園内のスピーカーから鐘がなった。五時だ。 少女の動きがぴたり、と止まる。船橋から手を離せば、背負ったリュックを下ろし始めた。 「どうしたんだ?」 「なんでもないよ。大丈夫」 船橋の問いかけに首を振って、リュックのチャックを開ければ、中を覗き込むようにして。 「かえろ、ネコリス。浅田おねーさんが心配してそう」 声に応えてリュックから顔を出したのは、一匹の小動物だった。 猫にもリスにも見える、不思議な生き物。 船橋と空歌には見覚えがある。あれはたしか、浅田の家にいるはずの。 次の瞬間、不意に周囲が明るくなる。光源は少女の周囲。 外から見れば、そこに光の柱が立っていることに気づいただろう。 しかし少女の至近にいる二人には、ただ明るくなったようにしか感じられない。 リュックの中から走り出たネコリスは、少女の肩に上る。 その頭を撫でた少女は、船橋と空歌の方を見て微笑んだ。 「おとーさんとおかーさんが、おとーさんとおかーさんになる前が見れてよかった」 「……まさか、ネコリスの」 「じゃあね、おとーさん、おかーさん。仲良しでいてね」 少女の肩からネコリスが駆け下りる。それを追って走り出す少女。 光がひときわ大きく輝いた。 「待って、名前、聞かせて!」 空歌の呼びかけが聞こえたのか。振り向いた少女は笑いながら。 「私の名前は―――」 最後の言葉が聞こえたかどうかは分からない。 少女の姿は光の中に消えた。 五時を過ぎれば、次第に周囲は薄暗がりに包まれ始める。 公園の電灯が灯った。その下で、ぼうっとしている二人。 「……なんだったんだろうね」 「わからん」 何がなんだか分からなかった。 まるで狐か狸に化かされたかのように、不思議な気分の二人。 不意に船橋が、空歌の手を握った。 「っ、鷹大、くん?」 「まぁ、なんだ。未来もそんなに暗いわけじゃないのかもしれないな」 小さく笑いながらそんな事を呟けば、道に捨て置いた買い物袋を回収して、家に帰ろうと。 船橋は空歌の手を引いて歩き出した。 明日は結婚式。今日は夜更かしするわけには行かない。 そこでふと、船橋は気がついた。少女の笑顔に覚えた感覚。 あの笑顔は、今、自分の隣で笑っている相手の笑顔にそっくりなのだと。