レンジャー連邦。にゃんにゃん共和国唯一の連邦制国家、有数のパイロット輩出国などの特徴を持つ国である。しかし、この国の名が出た時に多くの人々は、次の言葉で表現する。 レンジャー連邦、それすなわち愛の国である、と。 そんな愛の国に彩貴という女性がいる。 レンジャー連邦所属のパイロットであり、かつ舞踏子である。 パイロットとは、手をのばしても届かぬものを手に入れるために翼を得ることを選んだ者たちの総称である。 舞踏子とは、愛のために戦うことを選んだ、恋する乙女の意地のことを指す言葉である。 これは、一人の女性が、翼を手に入れる物語だ。 /*/ 「……ちょっとイジワルな年上の彼。いつまでも子ども扱いされている気がします。どうしたら、彼を振り向かせることができるでしょうか……まるで私みたいですね」 レンジャー連邦、パイロット待機室で待機命令中の彩貴が読んでいるのは、レンジャー連邦で人気のデート雑誌「レンジャーウォーカー特別増刊号」である。ちなみに表紙には「タイプ別攻略法を徹底解説!軍事戦術論式恋愛術特集」とかいてある。 「いつも主導権を握っていたい彼。彼のペースではいつまでたっても戦線は膠着状態。ここは思い切って高機動・高火力をもって迂回攻撃。彼のペースをかく乱させよう!…か、ふむふむ」 次のページをぺラリとめくった瞬間に、固まる彩貴。 「こ、これは…」 そのページには、チェックのラインが一本入った白いミニのプリーツスカートを身に付けたモデルがにっこり笑顔でうつっていた。右下には、先ほどの相談を受けていた自称軍事評論家のおっさんくさい顔写真とともに「かわいさと、セクシーさの諸兵科連合!ファッション界のエア・ランド・バトル!超絶高火力で、彼の心も一撃粉砕!」と胡散臭いあおり文句が書いてある。 「高火力…一撃粉砕…」 /*/ 「彩貴、今日はなんだか、一段とかわいいな」 え、ヤガミ!そ、そんなことないですよ!何言ってるんですか! 「そうだな、なんだか今日の俺はおかしいみたいだ」 え、ちょっと、ヤガミ…待って、まだ心の準備が… 「俺は彩貴のせいでおかしくなったみたいだ。責任はとってもらうぞ」 そ、そんな…ヤガミ…あ… /*/ 「だ、だめです……あ、やっぱりだめじゃない」 完全に妄想モードに入って、しかもその妄想を全部一人で口走る彩貴。 「あらあ、お嬢ったらまあ」 「しかた…ない…わ。来週…デート…だ…もの」 まわりの同僚は、慣れっこなのか暖かく見守っている。 「でもまあ、恋する乙女はいいねえ」 「そう…ね」 牛乳と、お茶をぐびぐびのんで、ぷはー。 「こんな会話、前にもしなかったっけ?」 「気の…せい…よ」 今日も、レンジャー連邦は平和である。 /*/ デート当日。 空は晴れ渡り、遠くに白い雲が二つ浮かんでいた。 レンジャーの駅ビルの一階にはバザールやショッピングモールなどがならび、休日を楽しむ人々でにぎわっている。 そんな中をヤガミと彩貴は歩いていた。 雑誌に載っていたミニを結局は履くことにした。ちょっと短すぎる気もしたが、せっかくのデートだし、 (なにより時代は高火力…) などと微妙にずれたことを思いながら歩いている。 すらりと健康的に伸びた足の先には、ややヒールの高いサンダル。 足のラインがきれいに見えると評判だったのだが、早くも指が痛くなってきていて、これは失敗したかもと思い始める。 髪は前の夏の園の時と同じようにアップにしてあった。ちょっとしたゲン担ぎだ。 上は白いへそ出しブラウスに、淡い桜色の半そでカーディガンを羽織っている。 胸元で結んだリボンがかわいいお気に入りの一品で、それがふんわりとした彩貴自身の雰囲気と相まって、全体にやわらかな魅力を醸し出していた。 先ほどから、通行人がちらちらと彩貴を振り返っては、ヤガミに睨まれて沈黙させられている。 「いろいろあるな。東京駅みたいだ」 その声に、彩貴はふと我に返ってヤガミをみた。 「土産物屋にケーキ屋、か」 ヤガミは珍しそうにまわりを見る。お土産物屋には、レンジャー連邦らしく、恋のお守りやパワーストーンなどが目につく。ホテルグループ『Rangers』のテナントも目立っていた。 「はい、展望台もあるんですよ。海中と屋上に」 しゃべれるだけでもうれしくて、彩貴は声を弾ませた。 「迷宮でもでそうだな」 ふと、表情を曇らせてヤガミがつぶやく。 「?迷宮ですか…?」 古代の遺跡が迷宮化する事件が最近起こっていた。 なりそこないなどと言われる異形の者もあらわれ、国がほろびかけるところもあった。 それを思い出し、彩貴はすこし眉をしかめる。 「いや、鍋の話さ。食事を食べるか、眺めのいいところにいくか、それが問題だ」 ヤガミは暗い雰囲気を払拭するように彩貴のほうを向いた。 「あ、びっくりしました。レンジャーにも迷宮が出るのかなって思って…ヤガミさんはどちらがいいですか?」 ヒールを履いていても、背は彩貴の方が低い。自然上目づかいで、ヤガミを見上げることになる。 「まあ、そうだな。高いとこ登ろうか」 ヤガミはちょっと目をそらすと、エスカレーターに向かった。 「はい、きれいな海が見られますね!」 嬉しそうに彩貴はそのあとを追った。 レンジャーの駅ビルは、1−4Fまでが吹き抜け構造になっている。エスカレータで登ると先ほどまでいた場所が、俯瞰して見えて、ちょっとした鳥の気分である。 エレベーターを上り始めて少しすると、ヤガミはさりげなく一段下がって彩貴の後ろについた。 不思議そうな彩貴を、ヤガミはちょっと微笑むと目で、気にするな、と押さえる。 普段は視線の高さの違うヤガミが、この時はちょうど同じくらいの高さになっていて自然に目が合った。 (わ…) 意外な近さに、ちょっと驚いて、そのあとその目に引き込まれそうになる。 ふと、前に会った海でのことを思い出して、そのときつかんだ腕や声を思い出して、彩貴は耳まで赤くなった。 「へえ」 ヤガミの声が、彩貴を現実に引き戻した。 「?何かありましたか?」 「いや、それなりに栄えてる。」 そう言われて、彩貴は顔をほころばせた。 国の人間として、自分の国をほめられるのは素直にうれしい。 「あ、あの、このレンジャーの駅ビルは、地上八階地下二階で構成されています。一階と地下一階の間には専用階というのがありまして、こちらは海中展望台としてきれいな海の景色がごらんになれます」 なんとなく嬉しくなって、突然レンジャー駅ビルの説明をしだす彩貴を、ヤガミは面白そうに見ている。 「この真ん中のビルはハートの建物になっていまして、一階から四階部分は吹き抜けで…ってそれは見ればわかりますよね。すいません」 「いや…二階は何があるんだ?」 さりげないフォローに、少しほっとする。意地悪っていわれるけど、なんだかんだいって優しいのだ。 「えーと、二階にはレストラン街や…ホテルのロビー…」 と言ったところでちょうど二階についた。が、続くエスカレーターが見当たらない。 「ん?上にはどうやっていくんだ?ガイドさん」 「えっと、それが直通のエスカレーターがないので…エレベータをつかいます…」 「…最初からエレベーターでもよかったな」 ちょっと気まずそうに、二人はいそいそとエレベータの前に並んだ。 /*/ 屋上につくと、潮風の匂いがした。 目の前にはディープブルーの海が太陽の光を反射して、きらきらと輝いている。スカイブルーの空が、その海に水平線のかなたで溶け合っている。 遠くを見ればV島や、そのほかのレンジャー諸島の姿も見える。 日差しは少し強くて、ヤガミはちょっとだけ目を細めた。 「ひゃー!気持ちいいですー!」 風をうけて、彩貴が両手を広げた。 空には相変わらず二つ、雲がぽっかりと浮かんでいる。 ウミネコが飛んできて、ふた声ほど鳴いた。 ヤガミは少し微笑むと 「余計なお世話だ」 と、彩貴に聞こえないようにつぶいやいた。 「鳥さんも気持ちよさそうですねー」 展望台の端まで言って伸びをする。 「そうだな…いいじゃないかここ」 ヤガミも追いついてきて、横に並んだ。 「はい!ヤガミさんにそう言っていただけてうれしいです!」 元気よく振り向く彩貴を、ヤガミが見て微笑んだ。 また顔が赤くなるのを感じる。 でもうれしくなって、彩貴もにっこりと微笑み返した。 なんとなく、ヤガミにはこの青い空が似合う気がした。 同時にどこかこの空のように手が届かない気もした。そんなことを考えてしまって、彩貴は少し悲しくなった。 だって、こんなに近くにいても、まだヤガミじゃない。 けれど。 それをただ悲しんでいる時期はもう過ぎたのだ。 昔はあきらめていた。手が届かない空を見上げるだけだった。だけど今はもう知っている。手が届かないならば飛べばいい。 「あ、ヤガミさん。1個だけいいですか?」 意を決して、ヤガミを見上げる。 不思議そうに、ヤガミが首をすこしかしげた。 「さん付け無しで…その…ヤガミって呼んでもいいですか?」 言いながら、焦る。 「なんだかよそよそしく線引きしてしまったみたいに思って気になってきてしまって…」 一気に言いきる。 目はそらさなかった。そらしたら届かない気がして。 少しの沈黙。 「…かまわんが」 少し照れたようにヤガミは答えた。 彩貴の顔がぱっと明るくなる。 「わ!ではこれからはヤガミ、で。わー」 口に出すと、さらに実感がわいて、さらに嬉しくなった。 ヤガミも笑っている。少し恥ずかしくなって、二人で海を見た。 「うーん、ここからだとイルカって見えないかな?」 「難しいな。昼間はこないだろう」 何気ない質問に、ヤガミはのんびりと答えた。 「あれ?イルカって夜行性なんですか?」 ヤガミの方を少し振り向く。 「まあ、時刻によって、場所はかえるな。魚のいる場所を探しているはずだ」 「うーん、残念です。そういえば夏の園にもいなかったですね」 「夕方か朝だな」 「なるほどですー」 うんうんとうなずく。 風が軽やかに二人の間を駆け抜けて、彩貴のふわふわとした髪を揺らした。 空を見れば、先ほどは遠く離れていた二つの白い雲が、風に流れて近づいていた。 気持ちのいい休日の午後。 こんな何でもない雑談が、とてもうれしい。 こんな何でもない時間がずっと続けばいい、と彩貴は思った。 ふと隣を見る。 こちらを見つめているヤガミと目が合った。 「?どうかしましたか?」 「別に?」 ヤガミはニコニコとわらっている。いや、これはニヤニヤかもしれない。 「うー…えっと、ですね…」 からかわれてるとわかって、顔が熱くなった。 ヤガミがすっと視線を外す。 「そ、そうです!約束のことなんですが…!」 そう口走ったのはとっさだった。 頭で考えるより、言葉が先に出た。 でも、それは決意を固めてきていたからだ。 約束…そう。私は約束を果たしに来たんだ。 今はすごく楽しくて、幸せで、満たされてる。 ずっと続けばいいって思った。 けれど、終わってしまうのだ。隣にいなくなってしまう。 この時間はずっとは続かない。 もしかしたら、言ったらこの時間もそこで終わってしまうかもしれない。 でも。 私は前に進みたい。 「なんかしてか?」 はぐらかすようにヤガミが言った。 前は、何かお願いごとを一つでも聞いてくれたらうれしいと思ってた。 だから、バレンタインメッセージにはそう書いた。でも…私はわがままになったのかもしれない。 「いえいえ、そっちではなくてですね…!その、夏の園で言おうとしていた方です!」 流されそうになる心を必死に立て直す。 初めて会った、宰相府の春の園。 憧れの人が目の前にいて、緊張して、頭が真っ白になって、それでも一所懸命話そうとして…ひどいことも言うけど、声はあの頃から優しかったように思う。 次に会ったのは一緒に泳いだ宰相府の夏の園。 先に行ってしまったヤガミを、一所懸命泳いで、追いかけて、きっとあれは待ってくれてたんだってわかる。泳ぎ着いて腕をつかんで、自分でも赤くなってるのがわかって、顔をあげたらヤガミもちょっと赤くなってた。 今でもはっきり思い出せる。あの時の声も表情もぬくもりも。 でも やっぱり、伝えたいことは伝えられなかった。 「考えとく」彼はそう言った。 何故だかちょっと安心して、でもそのあと不安になった。 迷惑だったのかもしれない。面倒くさがられたかもしれない。そういうネガティブな想像をしてしまう。 このままじゃだめだと思って、思い切って会ってほしいと伝えた。 二人きりで。今度はちゃんと伝えられるように。 今、ここで自分をごまかしたら、きっとまた不安になる。後悔する。 だから。 「その、今言わせてください。次にいつ会えるかわからないので…」 届かないかもしれない。でも、もう。地面をむいていじけているのはやめたのだ。 怖い。そんなつもりで会ったんじゃないと言われたら。そんな気はないと言われたら。 そして…もう会えなくなってしまったら。 悪い想像が駆け巡って、足が震える。 心臓が爆発しそうに鼓動を打つ。 それでも彼女は、前を向いていた。まっすぐにヤガミを見ていた。 彼女はすでに翼を手に入れていた。その翼の名は勇気。 翼を手にしたパイロットは、決して目をそらしたりしない。 ヤガミは、そんな彩貴をまっすぐ見て微笑んだ。すこし意地悪そうに、それでも愛おしそうに。 「次にしとく…なるべく急いで来い」 次、と言われて彩貴が感じたのは落胆より、次があるという喜びだった。 なるべく急いで来い。ヤガミはそう言ったのだ。 私を…待っててくれるんだ。夏の園でそうだったように。 今日で終わりじゃないんだ。 「は、はい!頑張りますから次もあってくださいね!」 考えるより先に言葉が出たのは今日二回目だ。 ヤガミを見上げて一所懸命に伝える。 少し泣きそうなのはうれし涙で、顔はほころんでいた。 「ああ」 ヤガミはうなずいて歩き出した。 彩貴が追いついて横に並ぶ。 「飯でも?」 ヤガミがおどけたように言う。 「はい!じゃあ約束のしるしに手をつなぎながら行きましょう!」 白い二つの雲は、いつの間にか寄り添いあって一つの雲に見えた。 ウミネコがふた声鳴いて、その雲に向かって飛んで行った。 /*/ 「×月○日晴れ 今日は初めてヤガミと二人で会いました。伝えたいことは伝えられなかったけど、待っててくれるみたいです。終わってしまう今日が怖かったけど、次があるって教えてくれたから。また絶対会いに行きますね、ヤガミ。」 二人の恋の物語は続いていく