雨上がり、心の露払い /*/                                               見えない雨が降り続いているようだった。 街の人気はなく、人々が家の中から恐々と空を見ている。 轟く雷鳴は今はなく、体を冷やす雨も止んでいるのに、雨の冷たさと雷の恐ろしさが離れない。 だから、まだ誰も知らない。もう雲は去り、陽の光が差し始めているのに。  高原は街の通りを出来るだけゆっくり歩いて、様子を観察している。 夕飯の買出しは、もはや日課になっている。ついでに、街の様子を見るのも。 前までは商店もいくつかやっていたのだが、今は買い物に行く場所も決まってしまっている。 それに、買い物時にもかかわらず、表を出歩く人もめっきり減ってしまっている。 人の流れのない藩国に、難しい顔を浮かべる。 どうすれば、みんなが表に出てきてくれるのだろうか。  ふと、買い物袋を持っていた右腕が軽くなった。 横を向くと、硬くなっていた眉間を細い人差し指でぐりぐりされる。 手を重ねるように買い物袋を持った妻が「仕方ないわね」という顔でこちらを見ていた。 ぐりぐりされて、よっぽど難しい顔をしていたのかと少し反省する。 「そんな顔で家に帰ったら翠蓮が心配するわよ?あと雷鋼も。」 「そうだな。ありがとう。」 「そ・れ・に、せっかくの二人っきりなんだから。」 「ははは。」                                               妻の肩に頭を添えると柔らかい髪が頬に触れ、やさしい香りが鼻をくすぐる。 ぐらぐら煮え立っていてもいい案は浮かびやしないのだからとやんわりと忠告されているようだ。 まぁ、人がいないのでこんなことも出来るのだが、やっぱり藩国は賑わっていた方がいい。 しかし、一人で考えても眉間にしわが寄るだけで、何も思い浮かばない。 やっぱり、あれしかないのか。仕事は家に持ち帰りたくないんだが、と心で独りごちる。 【一人で考えても駄目なときは、家族に相談して家族で考える。】  それが高原家の家訓である。 /*/  家族で考えた。 そうして、一つの結論が出た。 『人を頼ろう。』  それが、一家で出した結論である。 どうしても専門分野のことになると、それに長けた人に相談した方がいい。 当たり前のことであるが、一人で考えていると一番忘れがちで、とても大切なことである。 それを家族で考えて決めた。高原家のいいところは「大切なことをみんながいるから思い出せる」そういうところである。  問題は「誰に頼るか」だった。高原自身、誰に頼ればいいのか迷い、結局一人悩んでいたのだ。 しかし、そこは家族会議である。結果、息子が世話になったというある人物を頼ることとなった。 有事の際に高原も一度会っているのだが、きちんと挨拶をしたことがなかった人物というである。 今のところ、そうするしかないだろうということで、息子に呼んでもらうことになった。  そして、今日がその人物との約束の日である。 家族で朝食を済ませ、約束の時間近くになって、全員外に出てその人物を待った。 少し時間が経つと、道の向こう側に向けて雷鋼が膝をついて頭を下げた。 息子の行動を悟り、高原も同じように膝をついて頭を下げると、ゆっくりと人影が近づいてきた。 あまりにもひどく血なまぐさい雰囲気と厳つい様相に、翠蓮が思わずアララの後ろに隠れた。 顔を見ずとも気配だけで、その威厳がひしひしと伝わってきて、頬に汗が一筋流れる。 その気配が近くなったところで、畏怖を払いのけ、顔を上げて謝辞を述べる。 「遠いところをご足労戴き、ありがとうございます。」 「孔明先生・・・。」  雷鋼が男のことをそう呼ぶと、男の雰囲気が一変した。 尊厳は消えていないのだが、その微笑みはさっきまでの厳つい様相を溶かすようだった。 アララの後ろに隠れていた翠蓮もその笑顔を見て、改めてアララと一緒に頭を下げた。 孔明と呼ばれた人物は、自分が胸中で描くその人物と同じままの挙動で、高原に言葉をかけた。 「庵と茶は、ありますか?」 「私の家でもよろしいでしょうか。茶もご用意できます。」 「はい。」                                               高原は自分が立ち上がってから息子に立つように促し、孔明を家の中へ案内した。 事前の打ち合わせで妻と娘にお茶を、息子にはそばに控えるように指示を出している。 家の中に入って妻と娘と別れると、息子と一緒にリビングまで案内して、二人が戻るのを待つ。 孔明と同じ席に着くと、さきほどよりももっと孔明という人の大きさを感じるような気がした。 先ほどのような微笑みは今はないにしろ、人格からくる深みのある顔立ちがそれを物語っている。 自分が硬くなっているのをまじまじと感じながら、硬くなった表情のまま妻と娘を待った。 二人がお茶を運び、孔明と高原の前にそれぞれ置くと、孔明はゆっくりとそれを飲む。 どうにも硬くなっている高原を察したのか、孔明は高原の後ろに控えている雷鋼に声をかけた。 「大きくなりましたね。李雷鋼。」 「はい。鍛錬も欠かさず。」 「うん。子竜にもなれるでしょう。」  息子がやり取りをしている間に、お茶を含んで緊張で強張った喉をほぐす。 それを確認した雷鋼が、「あの。実は。親父が。」と父親に言葉を促し、孔明も高原を見た。 「はい、今この国では人心が恐怖に見舞われておりまして。」 「はい。」 「それと言いますのも、国の中で起こった人斬りの恐怖が皆を恐れさせているようでして。」 「ムラマサ、ですね。」                                               さすがに大混乱に陥っていた隣国のフィーブル藩国を正しい方向へと導いた人物である。 今はその座を退いているとはいえ、こちらの心の動きを的確に射抜き、動作を言葉を繋いでくる。 ムラマサによって植えつけられた恐怖感、それを取り除くためにはどうすればいいのか。 今回の本題を話し終えたとき、今度は雷鋼の方へと孔明は目をやった。 「雷鋼。」 「はい。先生。」 「雨が降り、雷が鳴っている。人は恐ろしく、外には出れない。」 「はい。」 「雨は一時でやんだが、いまだ人々は出てこれない。」 「はい。」 「どうしますか?あなたなら。」                                               さも、やりなれた禅問答のように息子と孔明が矢継ぎ早に言葉を交わす。 妻は高原の緊張を心配していたが、娘は兄と孔明が交わす問答を興味深そうに聞いている。 息子は一瞬、思案したかと思ったが、すぐに返答した。 「外に出て大声で大丈夫だと呼びかけます。自らで範をとります。」  その答えに、孔明は優しく笑った。 高原に目を返すと、その優しいままの口調で雷鋼が出した答えを出した。 「ならば。ここで茶をするのではなく。外でやりましょうか。」 「はい。」 「お菓子を持って。」  高原とアララの返事に、孔明は「良い策だと思います。」と笑い返すと真っ先に席を立った。 息子に孔明を任せ、妻と娘にお茶請けと茶器のセットを用意させて、高原はゴザを取りに行った。  外は先ほど出たときよりも、ひどく寂しく、静かに感じられた。 孔明は分からないように雷鋼を横目で見やった。雷鋼自身を試すかのように、涼やかな目で。 息子は寂しくなった空を街を、自分が育った藩国を思いながら、まっすぐな声で。 「これから毎日でも、外で騒ぎます。」  誰にも促されもせずに、自分の意志で、そう答えた。 「そうしなさい。人は貴方を愚か者、不良というでしょう。でも、私は知っている。」  言葉に柔らかな気持ちがこめられていた。 「大丈夫、お前一人でやらせはしない。二人でやれば二倍だ。」 「これで三倍。」 「みんないるものね。」 「そうだね。」  家族の力に孔明は優しく微笑むと、遠くをちらりと見た。 「結構。きっと守護者どのも喜ばれるでしょう。」 「ありがとうございます、孔明先生。」                                               その言葉で高原ははるの存在に気づき感謝したが、孔明がいつから知っていたのかと驚嘆した。 心から礼をいい、息子と、家族とともに騒がしい明日を呼ぶために、家族に、お茶を淹れ始めた。  今日一日、高原家を気にかけ、遠くからずっと見守ってきた守護者にも礼を配し、孔明は自らにある理想の”孔明”とともに微笑みながら去っていった。