*映画の生まれるまで #center(){/*/} 「『逃亡者』ってあれでしょ、○・フォードが大統領役で専用機からトリック使って逃げ出してスチームみたいにかんかんになった補佐官達にマンハントされるって言う?」 「一個も合って無いし。あと○に謝れ」 #right(){映画知識のない某文族と一般常識のある猫士の会話} #center(){/*/}  ヘッドライトの光が鋭角に切り取る闇の中、どこまでも真っ直ぐに続く道路を行く一台の囚人護送車。  格子と鋼板で囲われたそれそのものが、既にして囚人達を捕らえる獄である。希に通り過ぎる街灯に照らし出され窓に映る囚人達の顔は一様に陰鬱で、これから彼等が辿る運命を明示していた。  また一つ街灯を過ぎる。  暗澹とした車内に浮かび上がる一つの顔。  兄殺しの汚名を着せられ無実の罪で収監後に即死刑が確定している元警官エルウィン。  他の囚人達の諦めあるいは怒り、焦燥にぎらついた目とは違う、静かな決意を秘めた目。  そんな印象の余韻だけを残して再び暗転する車内。 と、次の瞬間、閃光と共に轟音が轟き、投げ出されるように横転する護送車。  怒号と悲鳴が交錯し、これ幸いと拘束具の鍵を奪おうとする囚人とそれを阻止しようとする護送官がもみ合い、発砲音。  横倒しになった車内で折り重なるように倒れた囚人と護送官の手から滑った鍵束に駆け寄るエルウィン。素早く枷を外し、今や唯一自由への逃走経路となった窓を見上げる。  一瞬視線を戻せば、流れ弾を腹に受けた囚人が一人。  まだ息がある。すがるような視線が交わり、背後からつんざくようなクラクションの音が迫る。  大型トレーラーだ。  道幅いっぱいに散乱した護送車のなれの果てに衝突するコース。  いやむしろ当てるつもりか。ブレーキが踏まれる気配はない。はたと争いを止めて我先に逃げ出す者達。もはや囚人も護送官もない。  刹那の躊躇の後、エルウィンはその囚人を担ぎ上げ窓から身を乗り出すと出来る限り遠くへ投げ出し。  窓枠へ足をかけ。  迫るトレーラーから出来うる限り遠くへ。  跳躍。  したかに見えたが足を滑らせしたたかに、顔面から護送車の車体に体を打ち付けた。 #center(){/*/} 「カットカットカアアアアーーーーット!」  ばんばんっ、とメガホンが打ち鳴らされる合図と共に暗がりの木立から道路の向こうから護送車の残骸のセットの陰からわらわらとスタッフがわいて出る。  架脚上の照明が点灯され、暗闇の中から迫り来るトレーラーを演じていたトロッコから漕ぎ手役のスタッフが飛び降り、仮設のレール上を押して道路の彼方へと戻っていった。  トロッコの後部に立てた巨大なライトが暗闇を爆走するトレーラーの正体というわけだ。 「大道具さんのスタンバイまで15分休憩でーす。次はシーン28のbから、よろしくお願いしまーっす」  ディレクタチェア上で足を組み苦虫を噛み潰した様な顔で沈黙を続ける監督に代わって横に控えていた長身の優男が拡声器片手にがなるとうーい、とか三々五々に返事を返したスタッフが各々の持ち場に引き上げていく。  新興の映画制作会社が立ち上げた映画企画数本の内の一本、監督を努めるハロンフェルドが新人監督なら主演俳優も新人。脇を固める助演俳優や演出家、音楽家にはビッグネームが付いて制作発表時にはマスコミの注目を大いに集めた本作だが。 「やっぱまずくないっすかねえ?」 「…なにがだ」  トレードマークのテンガロンハット越しにハロ監督に睨まれた優男、仮にスタッフAとしておこう、は小さく顎の辺りを掻いて騒然とした撮影現場を見渡した。  鳴り物入りでクランクインした本作だが、その撮影は当初からアクシデントの連続だった。  キャスト、スタッフ、脚本の順に決定したという恐るべき作成手法からして宜なるかなではあるが、Aの言わんとした意図を察したハロ監督は未だ突っ伏したままぴくりとも動かない主演俳優を見遣った。 「お前、良い映画の条件、知ってるか?」 「予算、脚本、キャストでしょ」 「違うよ馬鹿。解らんならいい、そろそろあいつ、起こしてやれ」  それで話は終わりと言わんばかりにチェアに座り直して手元のボードに目を落とした監督に肩をすくめるジェスチャをしてみせると、Aはどんまいっすーとか言いながら主演俳優の元へ走っていった。 #center(){/*/} 「何故ロイドを、兄を殺した?」 「俺はやっていない!」 「知ったことじゃない」  巨大な地下迷宮の如き下水道で繰り広げられる追う者と追われる者の息詰まる追跡劇。その果てに対峙する元上司と元部下。  共に同じ正義の名の下に犯罪に立ち向かってきた男達の運命が激しくすれ違い、そして交錯する。  互いに銃を突きつけ合い、じりじりとした睨み合いを続ける二人。エルウィンの背後は切り取ったような青空。それは下水道の出口であり、自由への道であり、そして数十メートル下の浄水施設へと雪崩落ちる滝である。  張り詰めた緊張が最高潮に達し、ついに発砲するフォッグ。轟音が轟くと同時に反射的に身をかわし、そして2発目、エルウィンは虚空へと身を躍らせ。  なかった。 「すいません、マジで駄目です!何回も言いましたけど俺高いとこは」  涙目になってへっぴり腰、先程までの気迫は何処へやら。がくがく震えながら切々と訴える逃亡者エルウィンに上司役のフォッグはひょいと肩をすくめるとアルカイックスマイルを浮かべてつかつかと歩み寄った。 「言ったろう。知ったことじゃない、だ」  そう言うやいなやとん、と軽く尻を蹴飛ばすとエルウィンはこれぞ迫真という驚愕の表情を浮かべ、眼下へと転落していった。 フレームアウト。 「撮れた?」 「バッチリ」  おかーさーんとか叫びながら下水道のセットから下のプールに着水したエルウィンを見下ろしてカメラマンとフォッグはサムズアップを交わした。 #center(){/*/} 「…今の見たでしょう。いい加減何とかしないと、ボス」 「だから何をだ」 「今ならまだ間に合いますって。代役を捜しましょう。スタントさえ出来りゃ大根でもいい。いや、マネキンだってもう少しいい芝居しますよ。  今まで撮った分はそのまま使って代役にはヒゲでも付ければいい。どうせ解りゃしない」 「そいつは良いな。…いや、代役の事じゃないぞ。  逃亡中身ぎれいにヒゲ剃るやつはいないだろ?ヒゲの伸び具合で逃亡の凄惨さと時間経過を表現するって訳だ。 よし、良いぞ。それで行こう。ホンは直せるか?」  今やこの映画制作最大の不安要因に成長しつつある主演俳優の更迭を訴えたAは、想定外の方向に大きく舵取りしたハロ監督の前で呆れた余りぱくぱくと口を開閉させた。  そんな彼を背景にハロ監督の胴間声を聞きつけて大きなコンパスでやってきたひっつめ髪の女性スタッフ、仮にBとしておこう、は手元のスケジュール表をぺらぺらとめくりながら変更箇所の検討に入った。 「3日もあればいけるンじゃない?あの脚本家のボウヤ、見た目と違ってホネはありそうよ。  大雑把なイメージもらえればすぐに打ち合わせとくし」 「よしそっちは頼んだ。後は撮影シーンの順番を少しいじらにゃならんな。  みんな集まってくれ。これからのスケジュールに若干変更が出来そうだ」  矢継ぎ早にそこまで決めてメガホンにがなるとうぇーいとかいう返事を返してとりあえず手空きの者が集まってくる。  ようやく呆れ硬直から立ち直って半ば諦観と悲壮感を漂わせながらその様子を遠巻きにするAにBはにやりとしてペンの先を向けた。 「監督の条件って知ってるかい?」 「なんですか姉御、藪から棒に。…部下の言い分に耳を傾けてくれること」 「ハズレ。ケ・セラ・セラだよA。もう少し流れに飲まれちまうのも大事なことさ」  んじゃ、と手を挙げて来たときと同じく大きなコンパスで去っていくBを溜息で見送りつつAはハロ監督の熱弁を書き写していく。  スケジュール変更に伴うスタッフ間の調整、道具の手配、スタジオの予約、食事の用意、あらゆる雑用のあれやこれやに思いを巡らす内に彼は自分の仕事に没頭していった。 #center(){/*/} 「巨大な利権を生む高性能義眼の警察関係者への納入」 「ああ、それがどうした」 「そいつに設計段階からあるバグが故意に仕込まれていたとしたらどうです?」 「妄想だな」 「違う。兄貴はそれに気付いたんだ。だから消された。メガロメディテク社のローガンが黒幕だ。証明も出来る」 「奴は死んだよ。7ヶ月も前にな。…今のところはもう少しタメを作った方が良いな」 「あ、すんません。…メガロメディテク社の、ローガンが黒幕だ」 「いいね。ついに真相に辿り着いたって高揚感が滲んでくる感じだ」  本作のクライマックスシーンの一つであるビルの屋上伝いの追跡劇の撮影を前に、エルウィンとフォッグは次のシーンの読み合わせを行っていた。  二人が並んでかけたベンチから駐車場を挟んだ向こうには空撮用のヘリがスタンバイしており、その周りでは沢山のスタッフが忙しく立ち働いている。  常に状況が流動的な本作の撮影現場においては主演助演の二人といえどもスタッフが付きっきりということはない。またわざわざ時間を取って打ち合わせを行うこともほとんど無いため、空いた時間を利用してのキャスト同士の読み合わせも日常になっていた。  そんな中でエルウィンは役柄とは裏腹に明朗で理知的、ユーモアのあるフォッグを深く尊敬するようになり、役作りの上で度々アドバイスを受けるようになっていた。 「…本当に大丈夫でしょうか」 「何がだい?」 「また高所での撮影です。この前みたいに腰抜かしてNG出したらと思うと」 「はっは、あれは傑作だった。エンドロールで流すNG集の量だけは金手袋賞ものだね。いや、金苺賞か」  快活に笑ったフォッグの隣で思わず胃の辺りを押さえて唸るエルウィン。笑いながらその肩を二度三度と叩くフォッグ。 「なに、いちいちNGを勘定してちゃあ主演なんぞ張れんよ。それだけみんなに仕事の機会を与えてやってると思えば良いんだ。お山の大将はそれ位で丁度良い」 「はあ、そんなもんですか」  今一つ釈然としない表情であごひげをさするエルウィン。ハロ監督の思いつきで付け足されたこの演出も現場では彼のトレードマークになりつつある。  精悍なマスクと魅力的な低音で売り出し中の彼であったが、ここぞという時の押しの弱さでこれまではホームコメディの端役しか回ってこなかった。この作品は彼にとっても願ってもないチャンスであり、事実撮影を通して得難い経験を積んでいると確信もしていたのだが。 「あ、ここにいましたか。そろそろスタンバイっす。一旦エレベータで屋上まで移動しますんでついてきてください」  Aがインカム片手に方々に指示を出しながら現れて二人を見つけると、手招きして先に立って歩き出す。その後に続いて立ち上がったフォッグは振り向いて片目をつぶるとエルウィンを指さした。 「主演俳優の条件ってやつを知っているかい?」 「…それが解れば苦労してませんよ」 「違いない。君には素質がある。上手くやることだ」  フォッグはそう言ってコートを翻すと片手を上げてAの後についてその場を去っていった。慌てて後を追うエルウィン。 「お二人さん入りまーす」  Aに先導された二人が現場には入ると途端にスタッフの間に緊張が漲る。また一つ、脚本に描かれただけのシーンを現出する仕事が始まるのだ。 #center(){/*/}  逃亡と探索の果てに、遂に事件の真相を突き止め黒幕を追い詰めるエルウィン。  舞台は華やかなパーティ会場からうらぶれた地下倉庫、そして夜の摩天楼煌めくビルの高層へとめまぐるしく変わっていく。  満身創痍になりつつも眼光は揺るがず黒幕と対峙するエルウィン。追い詰められていながらも傲然と立ち尽くす黒幕。 警察のヘリが飛び交い突風が二人をなぶる。 「本部長、あんたがホンボシだったなんて…。ずっと俺達兄弟の親父代わりだった、あんたが、何故!」 「ロイドは知りすぎたのだ」  鈍く光る銃口をエルウィンに向け淡々と語る本部長。 「この一件はもはや儂などより遙かに高い次元の政治的な問題なのだ。  なに、お前もすぐに兄の後を追わせてやろう」  ヘリからのサーチライトになぎ払われ、思わず手で顔を遮る二人の背後からフォッグの声が突き刺さる。 「…それはどうかな?貴方がMM社の理事に納まった経緯、金の流れ、全ての証拠は揃っています。  おしまいですよ、本部長殿」 「警部!?」 「全ての裏付けは取れた。良くここまでがんばったなエルウィン。 …そして、済まなかった」 「警部…」 「大勢の見えない三下共が、邪魔をするな」  エルウィンとフォッグに遮られ逃げ場を無くし忌々しげに吐き捨てる黒幕。じりじりと二人から距離を取るとにやりと笑みを浮かべて拳銃を投げ捨てた。  思わず二人が緊張を緩めて銃口を下げると同時に虚空に身を躍らせる本部長。驚愕も束の間、ビルの縁に駆け寄った二人の眼下を外壁エレベータの天井部分にしがみついた本部長がゆっくりと降下していく。  往生際が悪いのも古今を問わない悪党の性か。  エルウィンは大きく身を乗り出して追跡の構え。  …脚本通りならここから地上へ辿り着くまでのエレベータ上の格闘シーンが本作最大の見せ場なのだが。  傍らで次のアクションを待つフォッグ、空撮のヘリから見守る監督にAとB、大道具も音響もメイクも。あらゆるスタッフが彼の挙動を見守り、心の中で声を上げていた。 (跳べ、エルウィン!) (跳べ、跳んじまえ) (君がこの撮影を通じてどう成長したか見せてやれ、エルウィン)  果たして本作の主演俳優は。  ビルの縁へと足をかけ。  フォッグに大きく頷いたのを合図に虚空へと。  勇躍した。  おかーさーんとか叫びながら。 #center(){/*/} 「…でさ、やっぱあの衝突シーンが最高だったと思うわけ」 (実車の映像と編集するとトロッコに乗せたライトもそれっぽく見えるよな) 「主人公が浄水施設に落ちるところはもろCGだって解るけど」 (当たり。ただ最初のワンカットだけはセットから落ちる画を使ったんだよな。あれは傑作だった) 「ラスト辺りのダイブってスタント使ってないってマジ?編集も入ってないだろあれ」 (マジ。台詞だけは吹き替えたけどな。おかーさーんはさすがになあ)  等々。一般試写会場から退席する観客に混じってAは漏れ聞こえる観客の声に内心で独りごちていた。ロビーに出たところで人波の中から目敏くテンガロンハットを見つけて横に並ぶ。 「ボス、良い映画の条件ってのが俺にも解ったような気がしますよ。それに監督が面白いって事もね」 「…言うようになったじゃないか。お前にゃ十年は早いだろうよ。だがまあ」  ハロ監督はテンガロンハットを押し上げてにやりとしてみせると肩をそびやかして外の雑踏へとドアをくぐる。 「まずは助監督からだな」 「了解。ボス」  映画に魅入られた二人は快活に笑い合うと大都会の人混みに紛れ、消えていった。 #center(){/*/} 試写会配布時のパンフレットより抜粋 ***STORY  兄ロイドと二人暮らしをしている真面目な新人捜査官エルウィン・ケニーは冷徹で厳しい上司フォッグ・ブルームにしごかれながらも充実した日々を過ごしていた。  しかし、そんな日常は唐突に終わりを迎える。  ある日エルウィンが帰宅するとロイドが頭から血を流して亡くなっていたのだ。エルウィンは帰宅途中にぶつかった片目が機械化された男が犯人ではないかと考え、捜査してくれるようフォッグ達に嘆願するが、身に覚えのない証拠が上がりエル ウィンが兄殺しの犯人として逮捕されてしまう。  一度は絶望するエルウィンであったが、刑務所へ護送の際に彼の無罪を信じる同僚の機転で逃走することに成功する。  しかし、フォッグは執拗にエルウィンを捕らえようと迫ってくる。  フォッグの追跡から逃れながらエルウィンは真犯人を捕らえようと決意する。  果たしてエルウィンは汚名をそそぎ、兄の仇を捕らえることができるのか……!? ***STAFF&CAST 【主演】エルウィン捜査官 エルウィン・ケニー  全く無名の新人でありながら監督の抜擢により主演に。真実を追い求める逃亡者を体当たりのアクションで演じきり見事大役を果たした。 【助演】フォッグ警部 フォッグ・ブルーム  数々の大作に出演してきた彼は、一部で根強いファンを持つ正しく存在感ある脇役と言えるだろう。本作でも冷徹ながらも一本筋の通った上司役として主人公を追い詰めていく。 【総監督】ハロンフェルド  本作が初監督作となった彼だが『逃亡者』をテーマに単なるオマージュに終わらない独自の境地を開拓した。 【演出】ボブ・フォクシー 【脚本】エンリケ・マクミラン 【音楽】ヨーコ・ジルベストリ 【監督補】A 【助監督】B #right(){翻訳・字幕 久遠寺 那由他}