『the paper wedding anniversary −それぞれの思い出−』 /*/  机に向かって絵筆を握る。が、先が進まない。 しおり型に小さく作られた和紙に何を描こうか。 しおりを作ろうと思い立って、30分思案して、それでもまだ絵筆を握ったままだった。 この間の電話でのもやもやが、少しばかり心に重たく感じられて、それが筆にも移ったように。 こんなの柄じゃない、と思いつつもどこかぼんやりしてしまう。 少し伸びをして、首を回す。 コキコキと小気味のいい音が鳴り、肩が少し楽になる。 そのとき、花瓶に活けた大きな花束が目に入った。 花束は色鮮やかで、でも派手すぎずに部屋を彩っていた。 その中の一つに、鮮やかに夕映えした空を思い出させるような朱色の花があるのを発見した。 夕映えの色、広い草原、白いタキシードとウエディングドレス。 色から連想していくうちに、当時のことが鮮明によみがえってくる。 しおりを作ろうと思い立った大切な記念日のことを。 /*/  机に向かって和紙を触る。が、先が進まない。 触り心地のいい折り紙用の和紙で何を作ろうか。 折り紙を折ろうと思い立って、30分思案して、それでもまだ和紙を触ったままだった。 この間の電話でのやりとりが、心に重たく感じられて、それが指先に移ったように。 こういうことは望んでいない、と思いつつもぼんやりしてしまう。 少し伸びをして、首を回す。 ゴキゴキと気味のいい音が鳴り、肩がだいぶ楽になる。 そのとき、銀色の懐中時計が目に入った。 コチコチと規則正しい音が、約束までの時間を刻んでいた。 手を伸ばして裏返してみると、澄んだ銀色の中に小さな文字が刻んであるのを確認した。 小さな文字、銀の時計、用意したタキシードと結婚指輪。 文字から連想していくうちに、当時のことが鮮明によみがえってくる。 折り紙を折ろうと思い立った大切な記念日の前夜のことを。 /*/  丘の稜線に隠れるようにして白い教会がひっそりと建っている。 周りを見渡すと牧草が伸び放題で、それらを羊たちがゆっくりと食んでいる。 太陽は少し傾いていたが、まだまだその光は健在で、教会を囲む草原に柔らかな光を与えていた。 今、共和国に起きていることを思えば、その光景はあまりにも場違いで、別の世界に来たときのようにも感じる。 しかし、ここは共和国。しかも、フィーブル藩国であることを考えると、世界はそんなに慌しくないのかもしれない。 ・・・まぁ、そんなことはないかと、本人は十分に分かっているのだが。  教会の下見に来た総一郎を春のやさしい風が通り抜ける。 こののどか過ぎる光景に、どこか自分の結婚式のイメージが思い浮かばない。 誰もいない、二人だけの結婚式。  実際には式を急かしたのは総一郎であるのだが、もっと違う形になると思っていた時期もあり、内心では結婚式に戸惑っているのかもしれなかった。 自分にある・・・いや、ミサのためにある予知能力も、この式のことだけは見えないなと、遠くを見て独りごちる。 少し手持ち無沙汰になり、ポケットの中に手を突っ込むと、収めていた銀の懐中時計をぐっと握り締め、今までのことを思い返す。  夕方の小笠原、取り出したコインを結局渡せず、ずっと愛すると決めたあの日。  夜の自分の部屋、ミサの調子が悪いから全力で優しくして、不覚を取ったあの日。  待ち合わせした噴水前、デートにギクシャクしながらも、この時計をもらったあの日。  また夜の部屋、ミサが大量に買い込んできた酒とつまみで家呑みして、初めて二人で酔ったあの日。  昼の部屋、初めてミサが手料理を作ってきて、食べたブロッコリーが初めて美味かったあの日。  それ以外にも、たくさんの日をミサを過ごし、多くのことを二人で乗り越え、これからも多くの日々を過ごす。  ふと気づくと、高かった太陽も草原と空の境界にかかり、緑の牧草をその色で染め上げていた。 総一郎が見やった先では、羊たちもそれぞれの家族の許でその光を浴び、帰路へと着いているところだった。 思いのほか時間をとってしまい、十分に下見が出来なかったことを後悔したが、どうせ二人だけだと思い直すことにした。 さすがに鍋の国とフィーブル藩国を短時間で行き来することは出来ないので、近くに宿を取っている。 ミサは当日来る予定になっているので、今日は独身最後の一人の夜になる。 とりあえず教会を一周し、おかしなものが無いことを確認した後、宿へと向かった。 /*/  宿では女将のおせっかいに総一郎は悩んだ。 とりわけ夕食は野菜のてんこ盛りで、見た瞬間にどうやっつけようかとかなり悩んだ。 女将曰く、一人でこんな所まで来たんだからサービスしてあげないとね、だそうだ。 もしや上司の手先かとも思ったが、宿の様子を見ているとそうではないのだというのがすぐに分かった。 愛の女神というのがいるとするのなら、あの女将はエリザベス・リアティと同じくその手下に違いなかった。  なんとか夕食を撃退し、サービスついでについでに女将が渡してくれた酒を手に自分の部屋へと戻る。 女将は夕食中も何かと声をかけてきて、挙句の果てには周りの客を巻き込んでの宴会になったが、それはそれで楽しかった。 ベッドの上にはスーツケースと、その上に明日のために買った取って置きの箱が、大事に置かれている。 スーツケースには明日のためのタキシード。箱の中はもちろん結婚指輪が入っている。 そのままベランダのウッドデッキまで歩き出し、途中で箱とグラスを手に取り、全部をデッキの机の上に置いた。 酒をグラスに注ぐと、すっかり夜の闇が覆った空と、星の明かりが瞬きだす景色を見ながら、ちびちびと呑みだした。 思えば、一人で呑むのも、あの部屋呑みをした日からしたことは無かったなと、酔った頭でぼんやりと考える。 夜風が火照った顔に心地よく、火星で夜明けの船が浮上したときのデッキでのことを思い起こさせた。 自然の風を感じることがない夜明けの船の中での生活では、浮上すると自然に全員がデッキに足を運ぶ。 「よくよく考えてみれば、あいつも(姿は男だったが)同じ風を感じていたんだな。」  そのときのことに思いを馳せる。 馳せた後、「・・・その後、デッキから落とされなかったか?」と、落ちたのが可笑しくて笑っていたミサを思い出す。 そして、そのときの自分のことを思い出すと、妙に可笑しくなってきて、笑いが込み上がってきた。 そうか、俺はあいつと結婚するんだな。 妙な話だとは思うが、それでもその事実は嬉しかった。 どこともなくコインを取り出して、指ではじく。 月と星の光に照らされたコインがくるくる回って、また総一郎の手の中に納まる。 これは、もう本当に必要ないことを実感し、またどこともなくコインをしまった。  グラスに残った酒をあおり、今度は机の上の箱を手に取る。 蓋を開けると風の妖精をどことなく思わせる意匠の指輪が納まっていた。 一つを手に取ると、自分より少し小さい手を思い描き、その指の一つにはめる。 指輪は月と星の光で幻想的な輝きを見せている。 ミサの指に光るその指輪をぼんやりと思い浮かべる。 そして、自分のやってることに盛大に照れると、周りを確認してすぐにしまった。  グラスに酒を注ぎなおして、酔ってることを感じながらも、もう一杯あおった。 「明日、俺が結婚する・・・か。」 翌日に残らないようにほどほどにしておくと、しばらくデッキの上で月を眺めていた。 /*/  ミサは指定された場所にやってきた。 辺りはもうすでに夕方だが、おかげで真っ白なドレスがきらきらと輝いているように見える。 丘の上から見る景色は、一面朱色に染まっている。 伸びた牧草を食む羊たちはもうすでに、家族単位でかたまっている。 のどかな風景に似合わずどきどきしながら、総一郎を目で探す。 夕日を背にした影が目に映った。 その姿はよく見えないが、雰囲気と直感でタキシードを着た総一郎だと確信した。  影が目の前まで迫り、じーっと見ることで総一郎が微笑んでいるのが分かった。 「よりにもよってこんなときに結婚しないでも。」 「うっ。・・20日までか7月以降って言ったから・・・、7月はちょっと遠いなって思ったのっ。」  ミサは自分が急かしたと思っているが、総一郎はミサの行動を見越してるため、実際は総一郎が急かしていることになる。 「そうか。抱きしめても?」 「うん。」  少し力が入っているが、大事そうに抱きしめられる。 少し悔しかったが、抱きしめられたとたん、顔が熱くなり、どうしようもなく顔をうずめる。 総一郎の横顔が夕焼けの色に映っている。 「神父もいないぞ?」 「それは進行の仕方が分かんないから困ったわね。」  お互い満足そうに笑うと、「勝手にやるか」と教会の入り口まで移動した。 風が二人の体を吹き抜ける。総一郎の髪とミサのスカートがその風で揺らめいている。 「人が非難して戦争が始まりそう、あちこちで情報部隊が動いている。」 「うん、また忙しくなりそうだね・・・。」 「それでも俺はお前と結婚できるのが嬉しい。」  嬉しそうに総一郎が笑っている。 どんなときであっても、ミサと一緒になれるのが嬉しいと明言してくれる総一郎。 やっぱり総一郎でよかったと本当に嬉しくなる。 でも、同時に何て言えばいいのか分からくなってきて、おかしなことを口走ってしまう。 緊張して、恥ずかしくなる。 「指を出してくれ。」  総一郎にそう言われて、おとなしく指を総一郎の前に差し出す。 「死ぬまで愛してる。」  ミサの指に指輪を通した。風の妖精を意匠した指輪が薬指に納まる。 その指輪は夕闇の色を吸収しながらも、ミサの指の中で綺麗な輝きを放っている。 薬指にはまった結婚指輪の輝きを見て、やっと一緒になれる嬉しさがこみ上げてきた。 指輪の輝きに負けないように、いっぱいいっぱい微笑む。 「死んでも、私は大好きよ。」 「死んだら終わりだ。そういう意味で言えば、そうだな。」  憎らしいくらいの総一郎らしい返しが、今は嬉しかった。 総一郎はまた微笑むと、自分に指を見せてみた。 ミサが用意した総一郎のためだけの指輪。 その存在は誰にも言ってなかったのに、総一郎は知っていた。 取り出した手のひらにのったその指輪を、総一郎の指にはめる。 薬指にはまった指輪の青い石のラインはまるで、水の流れのように見えた。 「これでお前のものだ。」 「ずっとずっと好きだからね。」  お前のものという響きに、盛大に照れて、照れ隠しに微笑むことしか出来なかった。 (ああ、恥ずかしい!)  そう思っている間に、総一郎の顔が近づいてきた。 鼻と鼻がくっつき、相手の鼓動が聞こえて、自分の鼓動が聞かれるかと思った。 優しいキスをされて、お返しに頭から総一郎をぎゅーっと抱きしめた。 照れくさくて恥ずかしいことを白状して、大好きを言い合って、心から幸せを感じた。  ふっと、景色が高くなった。 そして、くるくると世界が回った。 今だけは、世界がミサと総一郎の周りを回っていた。 /*/  ふと時計を見ると、小一時間が過ぎていた。 「何やってるんだ俺は」と独りごちた後、手元の和紙に目を落とす。 結婚式の1周年に相手に贈るためのものだったそれを、いつしか義務のように感じていた。 自分の思うままに和紙を折ってみる。相手のことを考えながら。 ミサには長生きしてほしい。ミサが死ぬのは嫌だ。 完成したのは、一羽の折り鶴だった。  総一郎は出来上がった折り鶴を大事そうに箱に入れると、銀の懐中時計で時間を確認した。 電話のことはもう忘れようと、懐中時計と一緒に折り鶴の入った箱をポケットに入れると部屋を後にした。 /*/  ふと時計を見ると、小一時間が過ぎていた。 「何やってるんだろ私」と独りごちた後、手元の和紙に目を落とす。 結婚式の1周年に相手に贈るためのものだったそれを、いつしか義務のように感じていた。 自分の思うままに絵筆を動かしてみる。相手のことを考えながら。 総一郎、愛してる。あの時のように、今でもそうだから。 完成したのは、アイリスの絵だった。  ミサは出来上がったアイリスの栞を大事そうにしまうと、大きな花束を眺めた。 電話のことはちょっと忘れてあげようと、総一郎に会いに行くために用意を始めた。 アイリスの花言葉は・・・。