*もう一度はじまる家の前 何から物語ればいいだろうか。 初めに断っておくと、これはさほどに面白い話ではない。 多分人類が有史以来連綿と続けてきた営みの中にいくらもある、あるいはあなたの周囲にだって転がっていそうな。 ある一人の男が、ある一人の女に思いを届けようと四苦八苦する、そんなごくありふれた何処にでもありそうな話だ。 ついでに言うとまだ結末のない、中途半端な話でもある。 それでも良いと言うならば。 暫しの間お付き合いいただくとしよう。 ありふれたある一人の男の、ただの勇気の物語に。 #center(){/*/} この物語において、その男をよんたという。 ひらがな3文字。シンプルで覚えよい。それ以外にどのような来歴や願いが込められているものか寡聞にして無知なわたしには及びもつかない。 だが、この物語を読むところのあなたならば、あるいはこのシンプルな名前を何度となく目にしていることもあるかと思う。 ただし、この男の名前としてだけでなく、国家の名として。 ニューワールドを二分する勢力の一方、わんわん帝國。西に版図を広げるその中ほどに位置するのがかの藩国である。 そう。この男はただのありふれた男にして自らの名を冠する藩国の藩王である。 あるいは逆なのかもしれないが。 国体を表して盆暗という。 態は北国人らしく痩身銀髪。 その髪をごく短く刈り上げて、眼鏡を生やしたのがよんたという男である。 彼を一見して、玉体と判じるのはよほどの眼力の持ち主であろう。 シーズン1の往古から動乱相次ぐ帝國において生き抜いて来たのであるから並ならぬ艱難辛苦との戦いを経てきたのであろうと思われるのだが。 だからこれは、知っていれば話の据わりが少し良い。 その程度のいつもの蛇足だ。 #center(){/*/} 帝國の藩塀を為す一柱にしてこの物語においてただの男であるところの彼は、彼の統治する領国を檻に囲われたよけタイガーよろしく右往左往だかあるいは東奔西走していた。 北国の春は遅い。 領国の果てまで白く塗り込めた雪にあらゆる音を吸われたように、辺りは静まり返っている。 一つ白く息をついた彼は、無計画な平面移動を諦めて最寄りの街頭端末の階を登り…余談だが北国の電話ボックスは積雪を見越して周囲の地面より数十p高い基部を備えているものだ…暗唱できるほどには馴染んだ番号をプッシュして受話器を耳に当てた。 とるるるる…という軽快な呼び出し音を十数回、息を殺してカウントしたあと、彼は溜息を白い靄に変えて街頭端末を後にした。 闇雲に探し歩いても駄目。 自宅には通話不能。 短い思索の果てに彼が導き出した次の行動は、果たして最前…語られざる前回の物語…と同じものであった。 つまりは自宅訪問である。 心当たりがあるなら初めからここに来れば良さそうなものではあるが、なんとかは盲目の例えもある。況や双方の交渉断絶に特殊な事情があれば尚更であろう。 特殊な事情という下りを想起している間に目的の在所に辿り着く。徒歩5分である。 周囲の雪景色に紛れてしまいそうなこぢんまりとした一般家屋。 それがよんたの…国又はただの男であるところの彼…用意した彼女を迎え入れるための家であった。 この度で通算二度目の訪問になるその家を、往来から首を伸ばすようにして様子をうかがう。 取り立てて物音はしない。 最前電話をかけた際の反応から居留守かあるいは外出中か。どうやら引っ越したわけではないことは掴んでいる彼である。 逡巡すること暫し、彼は意を決して玄関に歩み寄るとおもむろにチャイムを押した。 寒さにかじかんだか心理を映したか、震える指先がチャイムから離れるまでに間。 ぴぃーん・ぽーん。 妙に間延びしたその音が家内に響いてすぐ。 残響をかき消すような足音がいやに騒々しく響き、すぐに元の静寂。 静寂。 端的に解説するならば、居留守を決め込んだ家人がチャイムの音に思わず待ち人を出迎えんと先走り、数歩のうちにはたと思い至る、 『そうだ、私達は今ケンカ中。 家までたずねてきたからってほいほい顔を出したら私が悪かったみたいじゃないの? 私、まだ怒ってるんですからね! 向こうからきちんと謝るまで許さないんだから。ぷんぷん』 といった具合の思考の変遷を如実に物語る物音であったと言える。 これに対して彼の内心の呟きは以下の通りであった。 『いるなこれは…』 よしんば物音の主が彼の訪ね人以外だったとしたらそれは不法侵入者以外の何者でもないのであり、然るべき筋に通報するのが正常な判断であろう。従って、そういったリアクションをとらなかったことからも彼が彼女の在宅を強く確信したのは間違いないようである。 閑話休題。 ともあれ痕跡も残さず国外に逃避したり謎の国家的組織やら巨大犯罪組織に拉致されたりはたまた屋内で衰弱して身動き取れなくなっていた訳ではないと確認して一安心した彼は次のアクションに移った。 目の前のドアはさほどに重厚では無さそう。壁もはっきり言って大した防音対策もしていないであろう、と大きく口を開けて深呼吸。 そこでふと思い直すと口を閉じ、代わりに隣家との間に設けられた犬走りへと潜り込む。 両肩で塀をこするように歩みを進めるとすぐに裏路地へと通り抜けた。そこもまた雪に覆われた道路に低い塀。建て売りで双子のような家屋の並ぶ通り。 迷子を誘発せんばかりに判で押したような住宅地の景色。 視線を返せば玄関に輪をかけて質素な裏口が見えた。 裏口の周りには冬の間は使わない家財が並べられ、一部は雪に覆われて寂れた雰囲気を醸し出している。裏口自体は機能しているようだが、扉の前に積もった雪に足跡は無し。 どうやら玄関に注意を引きつけて置いて裏口から脱出、もしくは足跡を辿り戻って実は家にいました、という手口は使われなかったらしい。 籠城の構えか。 ならば先程中断したアクションを実行するに躊躇無し。 彼は再び玄関前に舞い戻るとよく冷えた大気を胸に貯め、大きく開口一番。 「この前はスミマセンでした。何度も言いますがあの人のことは誤解です!! 俺が好きなのは森さんだけです!!! 信じて・・・お願いですから…」 北国産耐寒二重窓枠も貫けと大音声であった。  しかしてその反応は。 どさりと落ちる屋根に積もった雪が合いの手。 後はひたすら静寂。 隣家からのクレームすら無し。 しかしここで消沈してすごすご引き下がるくらいなら彼はこの物語に登場しないのである。彼は再び吐息を靄と変えて思いの丈を声にする。 「チョコ食べました…。 凄く苦かったです…。 でも嬉しかった。 キミからのチョコだったから。 初めて君からもらったものだから…」 そういえばかの冬季イベントに合わせてビター投票なるものもあった。 彼が噛み締めた彼女よりのチョコはさて、何票分に値するのだろう。 「怒ってますよね…。 うんそうですよね…。 でも会いたいんです。 好きだから。大好きだから。 誰よりもなによりも。 怒ってるなら直接顔見せてください。 覚悟できてますから!!」 最早語りかけているのは人にか虚空にか、建て売り一戸建てのこぢんまりしたドアが天の岩戸か。 ならは最後の手段、古式ゆかしくこの寒空の下で肌も露わに踊り狂うより無しかと半ば本気で思い始めたとき…あくまでわたしがであると断りを入れておく…かちゃり。 ぶつけられた大音声に比して余りにかそけく、そしてあくまで細く。 ドアが開いた。 騒音ないし露出の容疑で然るべき筋に通報される前であったのが僥倖である。 しかしながらそれを喜んで良いものか、ドアの隙間から顔を覗かせている彼女は半眼のとても怖い目をしている。 夫神を追い返した女神さながら、ではあるが、よんたは喜びに顔輝かせついでに吐息で眼鏡を白くして声を上げた。 「よかった…顔見れた…。 ごめんなさいっ。 酷いことばかりして。 ほんとに…」 顔が見れたなら言おうと思っていたこと、実際に顔を見たら口をついて出たもの、とりあえずその内の幾許かを圧縮して置換して大胆に端折った先頭何行かを口にした彼は久しぶりに見る彼女の変化に気付かされた。 「あれ…?髪が」 乱れていた。盛大に。 わーんとか泣いてかきむしると丁度こんな感じ、という具合に。 「……なんですか」 普段の仕事中はバンダナに大半が隠れる栗色の髪をあくまで不機嫌かつ無感情に、あるいはそう装って素早く手櫛で梳って彼女は一言そう返した。 漸く彼の耳に届いた第一声であった。 「ああ。いや。この前はすみませんでした。 早く会いたくて、焦ってしまって…。 ずっと会えなかったから…。 顔見たかった。声ききたかった…。 そばにいたかった…。 ごめん…ごめんなさい…」 彼の謝罪はまだまだ続いているが、事のあらましを知らないあなたのためにここまでの経過をダイジェストでお届けする。 かの藩国の賓客であるところの彼女は様々な紆余曲折の末に他国へ出向したり帰国したり事件に巻き込まれたりするうちに音信不通になった。普通に引っ越しを繰り返せば誰もが陥りがちな状態ではあるが、なにぶんこのケースでは彼の思い入れと双方の立場というものがある。 しこうして決死と言うべき探索行の果て、青い鳥よろしく在所に普通に起居していたらしい彼女を発見、首尾良く再会を果たしたまでは良かったのであるが。 運命の悪戯か、その時丁度彼の傍らに美女が立っていたのが運の尽き。 それでも大抵は即座にそれを彼の交際相手だとか浮気だとかまで発展させたりはしないものなのだと思うが、しちゃったのである。 どうやらそれが彼女の特質であり、あるいは彼が可愛らしいと思うような所であったりするのかもしれない。 ちなみに彼の名誉のために断っておくが美女というのは立場上随伴していただけの彼の部下であってお互い恋愛感情は1rもない。 いやはや。げに天然は何とやら。 「……。 ……情けない顔」 どうやら謝罪の方は終わったらしい。彼女はまだ随分と怖い目をしていたが、それでも屋内に引っ込むようなことはせず、しっかり彼の顔を見据えて会話を続けている。 予断を許さないがこれはひょっとするかもしれない。 「これが俺です。 どんなにえらそうな立場でも好きな子の前じゃ傷つけてばかり…」 然り。だからこそこの物語は成立している。 迷を持たない者が危なげなく舗装された道を歩いても仕方がないのだ。普遍的であるが故に、それは貴い。 「帰ってください。 私も、心の整理しますから」 「会ってくれますか?また」 「そういうところを聞くところが嫌いです」 「うん…なおす…」 前段までの紆余曲折を思えば余りに短い遣り取りの末、これが犬妖精なら尻尾をしおしおとさせるところ、という具合にうなだれた彼の前でかちゃり。 ふただびかそけくドアが閉じる。あるいは乱暴に音を立てて閉め出されなかったのは矢張りひょっとすると、という意思表示なのか。 再び静寂の番人のようになったドアに向けて彼は顔を上げて、開口一番。 「今度はデートしよう!! まってるから絶対いくから!!!」 しかしてその反応は。 どさりと落ちる屋根に積もった雪が合いの手。 後はひたすら静寂。 それから。 「……考えておきます」 ドア越しにくぐもった声なのでやはり無感情に響いた彼女の囁き。 「うん!! 森さん!!好きだよ!!またっ!! 俺はずっといるから、キミの横にいるから!! 絶対離さない。今度は何があっても。 …だから…また会おう…」 最早静寂しか返さないドア、もとい彼女に最後に声を張り上げると、それでも彼は顔を上げて肩を落とさず。 胸をしっかり張って。 雪道で滑らない北国人特有の歩みでもと来た道を引き上げていった。 背後の静寂はしかし、そんなに居心地の悪いものでもなかった。 #center(){/*/} 以上がこの物語の全てである。 初めにお断りしたようにさほどに面白くもなければきちんとした結末もない。 ある一人のの男がある一人の女に思いを届けるために四苦八苦しただけである。 宇宙開闢以来連綿と繰り返されてきたありふれた情景であったろう。 それでもわたしは思うのだ。 雪解けの頃、北国人らしい痩身に銀髪を短く刈り上げて眼鏡を生やしたただの男が。 ざくざくとシャーベットのような雪を踏みしめて往来を行く。 肩が切る風はまだ随分冷たいが幾分薄着な彼はまたあの家の前に立つのだ。 咳払い一つを白い靄に変えて、暫し後にチャイムを押す。 大きく開け放たれたドアから流れ出た暖かい空気が春を感じさせて。 そんな彼の後ろ姿は随分画になる。と。 その後のことはまあ、あなたの想像にお任せしてわたしは筆を置くことにする。 あなたは、どう思っただろうか。 #center(){/*/} #right(){拙文:ナニワアームズ商藩国文族 久遠寺 那由他}