/*/ 宰相府春の園にある蓮華畑。 ここには一つの噂がある。 いわく、「春の園の蓮華畑にいるきまぐれな女神さまはいたずらが大好きで、カップルが来るたびに試練と称していたずらをするらしい」と。 /*/ 「今日もひまねえ。どっかに面白いカップルこないかしら」 「もう!お姉ちゃんが、いたずらばっかりするから最近みんなこの蓮華畑を素通りしちゃうんじゃない」 まったく妹の反応はつまらないんだから。 私はぴょんと蓮華の花に飛びついて中の蜜を吸うことにした。 甘くておいしい。美容にもいいみたい。まあ、私みたいな美人には関係ないけど。 妹も諦めたみたいに隣で蜜を吸っている。 ま、この子もこの子できっと楽しんでるわよね。 「あ、お姉ちゃん!誰か来たよ!」 妹の声がして、私はさっと花の影に身をかくした。 草場の影じゃないわよ。言っとくけど。 「あ、あれヤガミね!…チャーンス☆」 私は七つの世界すべての男どもを魅了するような笑顔を浮かべてみせた。 となりにいた妹が、すっごく怖いものを見るような眼でこっちを見た気がするけど、気にしないことにしよう。 /*/ ヤガミは、時計を確認した。 待ち合わせの二時間前。計算通りだ。 蓮華畑と遠くの風車の位置を確認して、くまが現れた時に一番きれいな景色が見えるロケーションを選ぶ。 「あちらに見える風車を…あいつ偵察兵だから視力はいい…」 ぶつぶつ言いながら位置を変える。 このヤガミは、ことくまに関する限り努力を惜しむということを知らない。 特殊部隊仕込みのシミュレーションをすでに三十回は頭の中で繰り返している。 一度もシミュレーション通りに行ったことはないが。 「・・・?」 気配がしたような気がして、さっと後ろを振り向いた。 視界には何も写っていない。 「気のせいか」 ヤガミはつぶやくと、またシミュレーションに戻って行った。 /*/ 「あ、あっぶね〜」 私は、蓮華草の下で息を押し殺した。 まさか、私の気配に気がつかれるとは思わなかった。これでも隠蔽絶対成功の持ち主よ?私。 「お姉ちゃん、言葉づかいがはしたないわよ」 「あ、おほほほ、私としたことがつい…ヤガミは侮れないわねえ」 それにしてもあのヤガミ。いったい何分ここにいるつもりなんだろう。 ぶつぶつ呟いてるし。あ、なんかポーズとった。 あ、赤くなってる。 んーヤガミは読めない。 /*/ 「・・・」 一人ポーズをとって口説くシミュレーションをしたヤガミは、自分の行動を後悔していた。 顔が赤くなるのを感じる。 ゴホンと咳払いをして、また時計を見た。あと十分だ。 ヤガミはあらかじめマークしておいた所定の立ち位置に向かった。 /*/ くまが見上げると、抜けるような青空が広がっていた。 蓮華の香りが鼻腔をくすぐる。 視線を向ければ遠く霞むように風車が三つ、それを背景にヤガミが立っていた。 怪我は…してないみたいだ。 「どうした?」 ヤガミは笑っている。なんだか安心した。 「んーん。なんでもない。怪我してないか確認しただけ」 嬉しくて笑顔になる。 「俺が?」 「そう」 うなずいたら、笑って、よろめいて倒れた。 でも、なんか全然心配な倒れ方じゃないなーと思ったら、やっぱりすぐに起き上がってきた。 「冗談だ。面白かったか?」 「イマイチだねー」 くまはくすくすと笑った。 /*/ 「あ、倒れた!」 「と、思ったら起き上がってきたよお姉ちゃん!」 何が起こってるのか全然わからない!デートじゃないの?? 「お姉ちゃん、このカップルいつものと違うよ、」 そんなのわかってるわよ! ここは、もうちょっと様子見ね。 あ、立ち上がった。あ、また座った。 だからなんなのよ〜! /*/ 安全な場所がいい そう言われて、ヤガミはもう一度蓮華畑に座り直すことにした。 安全な場所と言えば宰相府をおいてほかにないだろう。 なにしろ、『あの』宰相のおひざ元だ。 蓮華畑に青い空、吹きわたる風が遠く風車をゆっくりと回す。ロケーションも悪くない。 「お前がいるところなら、まあまあ幸せだ」 座りながらくまに笑いかける。 「私もヤガミがいる所なら、まあまあ幸せ」 くまも隣に座った。最初に会った時よりも近くに来てくれるようになったなと思ったが、それは言わないでおく。張り合うくまをかわいいと思った。 「張り合うなあ」 ちょっと顔がにやけてしまっているかもしれない。 「うう、負けない」 くまは顔が赤くなっている。 「俺の負けでいいぞ?」 そんなくまを見て、自然と言葉が口から出た。 /*/ ヤガミはずるい とくまはちょっと思っている。 なんだか、こっちのことを全部お見通しみたいだし。 なんだか、余裕たっぷりみたいだし。 なんだか、私だけ顔が赤くなってるし。 今も自分から負けでいいって言ってくるし。 でも 「前は傍にいれれば幸せだと思ってたんだけど、今はもっと近づきたいと思ってる」 これが本当の気持ちだ。 ますます顔が赤くなってる気がするけど。 「いいぞ?」 ヤガミが言った。 うーなんかやっぱり。 「うう、やっぱり私の負けでいい」 耐えきれなくなって私から抱きついた。 久し振りのヤガミのにおい。 ぎゅーっと抱きしめたところから、温かいものがながれてきて、心を満たしてくれるみたいだ。 触られたり触ったりって、すごく苦手だったけど、ヤガミになら大丈夫。 いつからだろう。こんな風に思うようになったのは。 もっと近づきたくて、もう一度腕に力を込めた。 ヤガミは優しく髪をなでてくれた。 /*/ 立ったり座ったりして、勝ちだ負けだと言ってるからケンカでも始めるかと思ってたのに!なんてことなの! 「お姉ちゃん、あの二人はうまくいきそうだね」 となりで妹がにこにこしている。 ようはあんたはなんだっていいのね。 私は、こんなもんじゃないわよ。くっくっく 「えーい」 「お、お姉ちゃん!その魔法は!」 ふふふ、そうよ。ほんのちょっとだけぎくしゃくする魔法。 『ほんのちょっと』だけね。 「こんなくらいで別れちゃうくらいなら、とっとと別れたほうがいいのよ」 「お、お姉ちゃん性格悪いね…相変わらず」 うるさい妹を黙殺して、私は観察をつづけた。 /*/ ヤガミは少し困惑した。 さっきまで抱きしめていたのに、くまが急に離れて正座したからだ。 くまには時々こういうときがある。 じっとこっちを見ている。安心させようと思って、柄にもなくにっこり微笑んでみた。うまくいったかは全く自信がないが。 急に遠くに行ってしまった気がして、近寄ってくっつこうとした。 くまは、一歩離れた。 胸の奥に氷の棘が刺さったような気がした。 「悪かった。…そんなに怖がるな。すまなかった」 拒否されたという気持ちより、くまを怖がらせてしまったという気持ちのほうが大きかった。自分からは近付かない。それを暗黙のルールにしてきたつもりだったのに。 /*/ 急に、ヤガミが別の人みたいに思えて、離れてしまった。 何故か、前にもらったペンダントの話をした。歌に反応して踊るペンダント。 共通の思い出について話したら、きっと違和感がなくなると思ったからかもしれない。 でもだめだった。違和感は消えない。 「ごめん、何か私おかしいみたい」 正直に打ち明けた。すごく申し訳ない気がして、悲しくなった。 「…わかってる」 少し息をすってから、ヤガミが答えた。 「何を?」 何をわかってくれているのだろう。私でも私がわからない。 「お前は気難しい」 そういって、ヤガミはちょっとおどけて、長い舌を出して笑った。 「ははは…私はこういうの向いてないんだね」 ちょっと笑顔が出て、違和感が減った。 思い切ってもう一度ぎゅーっと抱きしめてみた。 ついでにおでこもグリグリしてやった。 「俺ほどではないさ…俺のもてないぶりは時々わが眼を疑う」 声音からは、本気で言っていることが伝わってくる。 十分モテると思うんだけど。でも 「私はヤガミがもてないほうが嬉しいかもしれない」 言った後に後悔した。なんか変な言い方だ。 「複雑な表現だな」 案の定笑われた。 「ま、いいさ、俺は一生片思いで」 急に。少しさびしそうに遠くを見たヤガミを見た瞬間に、なぜか違和感がすべてなくなった。 彼はずっと待ってくれていた。前の人を引きずって、悩んで、混乱していた私を、それでも優しく見守ってくれていた。 それと同時に、想いを伝えられていない自分が、勘違いさせてしまっている自分が情けなくなって 「何かもっと素敵に言えればよかった…私は、ヤガミが好きだよ」 肩口に、顔を押しつけながら、小さな声で言った。 「その割にはさっき離れて座ったな?…いや、なんというか、なぐさめられると悲しいから、いいぞそんなのは」 「何か自分が変で怖かったから…慰めているように聞こえた?」 正直少し傷ついた。でも仕方ない。疑り深くさせてしまったのは自分だ。 ちゃんと伝えよう。ぎゅっともう一度抱きしめた。 なぜか涙がでてきて、ついでにヤガミの服に押し付けてぬぐった。 「そうは聞こえないが…俺が悪かった」 ヤガミはもう一度、優しく髪をなでてくれた。 「キスしてもいいか?」 そう言われて胸が高鳴った。少し怖いけど、全然嫌ではなかった。もう一度ヤガミの服で涙を拭うと顔をあげて目をつぶった。 ヤガミの唇が柔らかく私の唇と重なった。 大事にしてくれていることが伝わってくるようなキスだった。 この人とともに歩いていこうと、くまは思った。 /*/ ヤガミとヤガミの女は、軽くキスをして抱きしめ会うと、どこかへと去って行った。 あーつまんないの。うまくいっちゃってさ。 私だってまだ彼氏いないのに! 「あれ、お姉ちゃん。なんか紙が落ちてるよ」 ん?あ、ほんとだ。落し物かな。どれどれ。 『どこかの誰かさんへ 今日はくまに免じて許してやるが、二度はない。俺に八つ裂きにされる前に悪趣味ないたずらをやめるように。 ヤガミ』 ヒ、ヒィーーーーーー!! /*/ この日を境に、くまは八守時緒、ヤガミは八守創一朗と改名することとなる。 ついでに、冒頭の噂話もこの日を境に形を変えることになる。 いわく、「春の園の蓮華畑にいる優しい女神さまはカップルが大好きで、カップルが来るたびにちょっとだけお互いに素直になれるような魔法をかけてくれるらしい。でも、ヤガミの姿をみると途端に逃げ出すらしい」と。