投稿時間:2000/02/29(Tue) 21:01 投稿者名:オソマツ
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タイトル:Re^2: おやおや
なんだか同じ視点で先生がものを見ていたかと思うと感動です。 私はネット上では自分の視点はかかないのですが、ここはひろあきさん 家のルビチュー部屋と言うことで、少し喋りたいと思います。アイヌ民 族の内側からの視点とはおそらく違うことを前提にお話します。
> 話は変わりますけど、アイヌ民族の信仰の中に仏教と触れたような痕跡のようなものはないのでしょうか? > 時期的に、彼等が北へ北へと押しやられていった事と仏教の流布との間には、何か強烈な出来事かなにか > あったような気がするのですが。
本州での出来事のことは昔過ぎて私には良く分からないのですが、ま ず、目に見える形では、1800年ごろに松前近辺の和人の勢力圏内の 他に幕府が有珠、様似、厚岸の3ケ所に大きなお寺をたてています。 これはロシアから入ってくるキリスト教への押さえでもあったようです。もちろん和人がまとまって住んでいるところにはそれぞれが持ち込 んだ宗派の小さなお寺はあったようです。 多数の和人が集まれば当然葬祭等でお寺がよりどころとなり、地域コミュニティーの一員に組み込まれていったアイヌの人たちにも自然に仏教が広がっていったようです。現在ではみなさんいろんな宗教で暮らしています。 宗教的なぶつかり合いというのは表面には出ていなかったようです。 当時の和人は神道や仏教とアイヌ民族の信仰を対等に見ておらず、寺を開くことは「撫育」なるものの一貫であったこと、またアイヌ文化は自然体の文化ですから和人が大事にしてる神様なら和人なりに大切なんだろうと、寛容に受け入れたことなどが理由として考えられます。松前にあった八幡様を「ハチマンカムイ」と呼んで御供えしてくれていたりしたようです。ただ、和人側がアイヌ民族の信心深いのを利用して、「この神様(あるいは有名人)」は実は君らのいう「○○カムイ」だから感謝しなさい、みたいな感じで融合、取り込みを図ったことは多々あったようです。「義経神社」などはいい例ですね。
> 神々の闘いみたいな形なのかな〜・・・。 > これは、あちらのページで聞く事だったかな? > いやいや、ついつい。 > なんてったって、”火の鳥”世代なもんで、すいません、てへへ。
火の鳥にあったような神と神の戦いというのはあまりないと思いますが、英雄説話には異民族を連想させる悪神が出てきたり、カムイユカラなどではカムイを大切にするアイヌと信仰心のうすい和人のはなしなどはあります。 カムイは人間と対等のもので、生活に密着しており、邪教と戦う任務を持ったカムイというのは存在しないように思います。 ただ、アイヌ(=人間)が邪悪な者と戦う時、自分の憑き神(人によって違う)の力を借りたりします。
うわー長い。また次回に…
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