 |
| 【 215 】 新聞記者 |
|
|
先日久しぶりに映画館で映画を見た。 この「新聞記者」という映画がTV放映されることはない気がしたので、電車賃と入場料を払ってでも見にいくことにしたのだ。
見た印象を手短に言うと、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を1・2・3楽章まで聴かされて、突然終わってしまった感じ。 第4楽章の解放感かつ開放感、スピーディーな爽快感というものを持たない。 暗い緊張と圧迫感、解決しないもやもや感が延々と続くのだ。
おもしろいと思ったのは、現政権が繰り返してきた論点ずらしの言い訳や不意打ち、だましの手法、開き直りなどが映画自体の仕掛けとして使われている点だ。 権力から何か圧力があった場合などのために、幾重にも反論を用意している感じをもった。
例えば何故公開を参院選にぶつけてきたのかという疑問は、現政権側ならずとも当然もつだろう。私ももった。 それに対しては、「粛々と準備してきた結果云々」とか言うだろうな。
誰が見ても、現政権批判を内包していて明らかに「政治的意図をもった」作品なのだが、それに対しては論点ずらし作戦だ。 「一から十まで完全な娯楽作品です。ただしヒント、アイデアはたくさん頂きました。ヒント、アイデア満載の現政権、ありがとう」。
|
|
|
| From : 辻 -2019/07/12(Fri)11:39- |
|
|
| 【 216 】 Re:新聞記者 |
|
|
| その意味では、映画のエンドロールや公式サイトなどでは、≪原案:望月衣塑子「新聞記者」(角川新書刊)≫のようになっているのだが、ストーリー・アイデアの多くは現政権が提供したといえるから、≪アイデア提供:現政権≫の1行を加えたらどうか。 |
|
|
| From : 辻 -2019/07/14(Sun)10:25- |
|
|
|
 |